心理 第二章

 男性はこたえをぎようぼうした。

 いんのこたえはゆうだった。

 黄昏時の悠久山での求婚の翌日きよくてんせきとしてにいがたてつこうしよへ通勤するとないこいびとの人かげはるかした。いない。平日は同棟でプレス加工をしているはずこいびとが欠勤していた。おしなべて汎用旋盤を担当しているさいはいに尋問すると無断欠勤だという。しんしやくした。結句ふられたわけか。あんなに唐突に告白して成功するわけがない。幸子さんはもっとしあわせなみちをえらんだんだろう。といえどさいしやくしかねるところがあった。幸子さんは〈こたえは今度おつたえします〉といっていた。今度うことを前提としていたはずだ。おかしくはないか。かつそうようしながらひもすがら鋼鉄を加工し終業時間になると造次てんぱいもなくきようあいなるアパートに帰宅した。プラトンからサルトルまで網羅された本棚に保管していた年賀状を渉猟する。〈大地幸子〉の名前をてつけつして住所を確認した。じゆんじようれんなる関係であったふたりはそれぞれの自宅を往還することもなかった。こいびとの住所を穿せんさくすることさえなかったわけだ。墨痕りんたる住所がひつけんされていることを認識するとしゆもなくくだんの本棚から長岡市内の地図帳を掌握して場所を参照した。

 男性はばくしんした。

 胸臆ではこくそくとしていた。おれはいま真実をたしかめにいこうとしている。幸子さんは風邪で欠勤しただけかもしれないしおれをひんせきして自宅にちつきよしているのかもしれない。いずれにせよおれは甘受しなければならない。いんこうかくゆうであった。実際にはさらにきようてんした運命がぎようぼうしていた。灯台下暗しではないが女性の自宅はにいがたてつこうしよかいわいの工場ちゆうみつ地帯の一部だった。しよくそうぜんたる一軒家だ。がら戸のまえにてきちよくしてしばらくちゆうする。たまゆらもなく意想外にがら戸が開放されて銀髪の女性が現前した。いわく〈おまちしておりました花輪さんでしょう〉と。ひつきよう〈花輪さんをおよびしたかったのですが住所もわからずにこまっていたんです〉ということだった。ちんぷんかんぷんのまま居間にきようどうされるとこうこうをひらいてあんたんたる無表情のまま鎮座する幸子がいた。居間の卓子をじようするかたちで母親らしい中年女性とともに着席すると中年女性が昨晩からのいちいちじゆうを説明した。つづけて〈承諾書を書けばすぐに退院できるとききまして精神外科手術のために承諾書を書いてきました〉という。つつがく退院できたはずだったがらい幸子ははいじんとなって寝食を介護されている。

 男性は激怒した。

 幸子の母親からでんされた癲狂院へとばくしんする。癲狂院というのもしゆんこう明治末期だったがゆゑらしくいんの長岡保養所は老朽化した木造の精神病院であった。しりくらいかんのんの長岡保養所のがら戸をちようちやくしながらこうかくした。きいたことがある。日本の精神病棟はきようあいなのでいくばくかの患者は精神科から精神外科へと搬送され精神外科手術をうけて退院させられると。きつ幸子もそうだったんだ。やがて夜勤らしい中年の女性ががら戸を開放したので胸倉をわしづかみにして尋問した。〈大地幸子を治療した医師をだせ〉と。〈菊池医師のはずですが明日正午からの診察となっております〉というので〈菊池というやつの住所をおしえろ〉と怒鳴った。ふんうんに勘付いた巨漢の看護師が現前しきゆうきようひやくがいがんがらめにされた。〈痲酔を〉と巨漢がほうこうするといんの夜勤の看護師が注射器をもってきて巨漢が男性のでんにつきさす。ゆめさえみなかった。熟睡して覚醒すると診療所らしい部屋のびようじよくぎようしていた。しようりつせんとするが四肢をしつこくてんじようされている。中年の女性がいう。〈わたしが菊池です御用件があるそうで〉というのでもつれたぜつぽういちいちじゆうする。

 菊池医師は冷徹だった。

 菊池医師はかんとして尋問する。〈御家族はおられますか〉と。〈自分がえらいひとだとおもったことはありませんか〉と。ふんまんやるかたなく男性はほうこうする。〈くるってるのはおまえのほうだぶちのめすぞ〉と。菊池医師は〈現在の発言は医療従事者への暴力示唆とこうかくします貴あなたの場合れんらくのとれるろくしんけんぞくがいらっしゃらないので承諾書なしで精神外科手術をうけてもらうことになります〉という。もうろうとした意識で医師のこうを理解するともんぜつびやくしながら〈くるってる〉と絶叫した。しゆもなくくだんの巨漢が部屋にってきてさるぐつわをはめられる。びようじよくはそのまま担架として利用され男性は手術室へと搬送された。巨漢によってすいをうたれる。意識が混濁すると白衣の菊池医師がってきた。医師は男性の左目蓋をてつけつしてピックを挿入すると内奥の前頭葉をこうはんさせる。右目蓋を穿せんさくしおなじ手術を遂行する。〈ねんのためだよ〉と巨漢にいって二本の鉄棒を掌握しいんの脳内の空洞にそうぼうの目蓋から挿入した。〈目覚めたらはいじんだ〉という。

 手術を完遂した医師はいう。

はいじんには世界が如どうみえるのかね〉と。

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