第九話 心理

心理 第一章

 わたしはせきをおこす。

 これは花輪光一のせきの物語だ。

 黄昏時にへいせん痕跡就中なかんずく長岡空襲から復興した長岡市のはちがいを悠久山の公園からはるかしながらふたりは長椅子に鎮座していた。男性はにいがたてつこうしよの作業着をてんじようさせており女性もひとしなみににいがたてつこうしよの作業着姿である。男性はのプロレタリア青年らしく哲学的なうんちくを物語っている。〈――が疑問で『人間とはなにか』を執筆したんです〉と。かんとする女性に〈その記念に――〉としばらく沈黙しきつきゆうじよとして男性はいった。〈ぼくと結婚してくれませんか〉と。こつえんたる求婚に女性はこうしようした。〈でも花輪さんは『人間とはなにか』を自費出版しなければならないんでしょ結婚するお金なんてないよ〉と。せいかくなるがんぼうで男性はいう。〈出来損ないの哲学書よりあなたが大事なんです〉と。女性はとうしなれる。きよくせきたるがんぼうで男性は女性を凝視する。失敗だったろうか。やがて女性はこうべをもたげてそうぼうのなみだをぬぐった。いわく〈ちよつまっていてくださいこたえは今度おつたえします〉と。女性は長椅子からしようりつし〈ほんとうにもうすぐこたえますから〉といい公園からくりげていった。

 しあわせだった。

 女性はかんとしながらうるんだ世界をしようようかつしてゆく。いわく〈泣いちゃって世界がうるんでみえるよ〉と。つづけて〈こんなに世界がれいにみえたことない〉と。悠久山の山麓にほうちやくするとせんぱくの商店をへいげいした。電灯の明滅した書店がある。女性はけつして書店にっていった。ひやつりようらんの書籍を渉猟する。就中なかんずく高額でごうしやなるそうていの書物を穿せんさくしてゆく。喫煙している店員の視線をまぬかれた女性は『日本古典ぶんがく全集』のうち『古事記』『つれづれぐさ』『方丈記』を掌握してまつしぐらに書店からとんざんした。おうどきこうかんの書物をろうだんしながら工員がほうこうしていたらけいに捕縛されるだろう。女性は焦燥した。ぎようこうだろうか。閉店間際のしよくそうぜんたる古書店を発見した女性は疾風迅雷で店内にちんにゆうしてゆく。ろうの店長に〈三冊でいくらになりますか〉とこえをかけた刹那右肩をなにがしかにわしづかみにされた。きつきようしてかえりみるとくだんの書店の店員である。〈現行犯だね警察へゆこう〉という。店員のてのひらをひんせきしてとんそうせんとすると店員にがんがらめにされた。〈ちゃんと理由をきいてくれるのなら〉と女性がいうと店員は沈黙しながら首肯して警察署へときようどうしていった。

 女性はこくそくとしている。

 せきの警察署にほうちやくすると警官ひとりが女性を監視しもうひとりの警官がくだんの店員からいちいちじゆうでんされた。やがてふたりの警官に〈万引きしましたね〉と鞫訊されると女性はこたえた。〈おなじ工員の男性と結婚するんですが男性は哲学書を自費出版するつもりでした結婚したら自費出版はできないし自費出版したら結婚はできませんだからどちらも実現できるようにお金が必要だったんです情状酌量ですよね〉と。無表情の警官が〈では裁判まで拘留しますので〉と女性の片腕を掌握すると女性は警官をちようちやくせんとした。警官ふたりが女性を緊縛すると女性はもんぜつびやくする。きよの警官が〈きちがいだ〉とほうこうするとそうの警官がいずこかに電話をかけた。〈ええ分裂病らしいんです〉といっている。造次てんぱいもなくかいなるしやりようが警察署まえにほうちやくして白衣の男性たちがってきた。白衣の中年女性が〈クランケは〉といい警官が女性をへいげいするとまた中年女性が〈典型的なスキゾイドですねかわいそうに〉といって白衣の男性たちをした。そうされた男性のひとりが女性のでんに注射器を撃つ。女性は意識がもうろうとしていった。

 ながいゆめをみた。

 もうりようえんから覚醒するとモダンな建築かすいろうごくらしい一室のびようじよくぎようしていた。こんだくする意識のなか〈たすけて誘拐です〉と絶叫すると鉄格子のむこうからかんとした巨漢が女性をべつけんしてあるいていった。四肢にしつこくてんじようされていててんてんはんそくしていると巨漢とともにくだんの白衣の中年女性が現前しろうごくのなかにってきた。かんとしていわく〈ぶんはどうだいクランケ〉と。女性が沈黙していると〈かんもくの症状だあきらかにスキゾイドですよ〉と巨漢にしようじゆする。〈かんもくだのスキゾイドだのわからないとおもってるのフロイトくらいんでますわたしはくるっていませんはやくだしてください〉というと中年女性は〈精神異常者ほど精神医学に興味をもっているものですフロイトをむことたいが一種の病気ですよ〉とこうしようし〈ちよつは冗談ですがね〉と無表情になる。〈きちがい精神科医〉と女性がほうこうすると〈誇大妄想ですねクランケはだれでもクランケだと錯覚する〉といい〈これくらい重症だと一生入院かもしれませんが脳手術をうけたらすぐ退院できますよ〉とそうする。

 中年女性は微笑してつづける。

〈一生入院かいますぐ退院かです〉と。

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