時間 第三章

 余震がきた。

 避難所はいんしんとなる。

 霊肉ともにるいじやくとなったおとなたちはせいひつとしているが元気はつらつのこどもたちはふんうんとなにやらくしている。まなむすめは相違した。きようあいなる避難所の仮設居住区域にてふくしながらお絵描きをつづけている。父親はおもう。まえはこんなにお絵描きのすきな子じゃなかった。きつ〈あの日の午前中〉が特別な時間になっているんだろうと。いんまなむすめのかたわらで父親はお絵描きノートのぺーじに数式をごうしつづけている。相対論の概論からディラック方程式といった量子論の内容まで執筆している。〈たきだしの時間だよ〉とまなむすめにいうとまんさんとして体育館入口にあるいてゆきえんえん長蛇のなかにてきちよくする。きつきようした。威風堂堂とたきだしをしているのはくだんのだいがくの学生たちだったのである。順番にほうちやくして〈きみたちなぜここにいるんだ〉というと〈ボランティアですようちのだいがくの中学校のOBが結構いましてね〉とこたえる。〈先生はなにしてるんですか〉とのんままにいうので〈タイムマシンをつくってるんだ〉といちいちじゆうを叙述した。学生はかんとする。〈ならたきだしがおわったら手伝いますよ〉と。

 異様なる風景だ。

 とうたいしたまなむすめのためにおにぎりをふたつ譲渡すると父親はおにぎり一個を満喫しはじめた。りお絵描きノートのぺーじに数式をごうしながらである。やがて盟約どおり学生たちがさんそうしてきてりくりよくきようしんしてタイムマシンの製造法を研究しはじめた。へんてこなる様子をべつけんした小学校の教師や高校の数学教師たちまでしようしゆしてくる。しやはんの事情をりようしようしたこうじゆたちは父親とともにお絵描きノートのぺーじに計算しはじめた。ひもすがら研究するとしゆんがいたちは一旦みずからの寝床にきびすをかえしてゆく。あんたんたる真夜中になるととうに電灯を固定した青年だけがのこった。いわく〈重力子だけは膜宇宙間を移動できるわけですよね膜宇宙内でのアインシュタイン―ローゼンブリッジの構築は不可能かとおもわれますがじんたいを重力子の団塊に相転移させたうえで膜宇宙外にアインシュタイン―ローゼンブリッジを構築して過去へ移動はできませんか〉と。ぜんたる父親が〈重力子に相転移した時点でじんたいがたえられるとおもうかねきみは何どこだいがくだ〉というと〈中卒です〉とこたえる。父親が〈だが発想だけはわるくない名前は〉というと〈中島学人です〉とこたえた。

 えいきよけみされた。

 くりの〈あの日〉から幾星霜をけみして父親は新潟県内中央病院のびようじよくしていた。断末魔だ。びようたいする薬物治療によりせんもう状態で支離滅裂なるうわごとをくちばしっている。はくの病室にてまなむすめと青年はそうぼうを明滅させながらもとして見守っていた。やがて父親はとどろとどろたるけいがいをしはじめた。きよしながらまなむすめがてのひらを掌握するとしゆつこつとして沈黙する。医者は現時刻をひようぼうして〈ご臨終です〉といった。末後の水として物故者の口唇をせんじようせいしきとしてきゆうきようひやくがいをきよめる。着替えとして研究室や大学院での白衣をてんじようさせ死化粧として無精髭をそる。へんぽんとして威風堂堂たるがんぼうになりまなむすめは葬儀社にれんらくした。病院の葬儀スタッフがストレッチャーで霊安室へ遺軆を搬送しながら〈葬儀社はおきまりでしょうか〉と尋問するので〈葬儀社はすでにきまっています〉という。霊安室にほうちやくすると青年が病室にのこっていた〈研究ノート〉を発見してばくしんしてきた。いわく〈薬物治療でせんもう状態になって書いたのかもしれないけれどいろいろ書いてあるんだ〉と。霊安室のまえでふたりは〈研究ノート〉をりゆうらんした。

 ノートは狂言ばかりだった。

 きようあいなる避難所にてひもすがらよもすがらごうしつづけたタイムマシンの理論らしい数式が整理整頓されていたがところどころ現代物理学の常識をひんせきしている。中途には〈宇宙は神のこうによって真空から相転移した〉〈真空内でも宇宙は仔宇宙へと相転移するのだからカラビ・ヤウ多様体からスロートで発生したにすぎないともいえない〉〈が相転移した仔宇宙だとすれば外宇宙とは重力子レベルじようれんかんがあるのではないか〉〈中島青年のいうように宇宙外にアインシュタイン―ローゼンブリッジを構築することはゆめではあるまい〉とはや妄想としかおもわれないりゆうげんかいられた。問題はのなかばで断絶したタイムマシンの製造法のあと数ぺーじ後の記述だった。〈結婚おめでとう〉〈いつかこの日がくるとおもっていたんだ〉〈中島青年きみとかいこうしなければこの日はおとずれなかった〉〈きみに最後のおねがいがある〉〈のぞみをしあわせにしてくれ〉〈のぞみをゆめにわせてくれ〉〈ゆゑにこの研究ノートはおぎわらのぞみと中島学人に相続する〉というものだった。

 父親はへいした。

 父親のゆめはおわらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る