Day 27

手紙を全部読み終えた時、閉じたお店のドアがノックされた。

慌てて出てみると、私が渡された封筒と同じものを手に持っている和彦さんがいた。

「お代払うからさ、コーヒー飲んでもいい?」

驚いた様子で降りてきた茉莉ちゃんと私は、和彦さんにコーヒーを淹れたり、少しだけどお菓子を振る舞ったりした。そしてちゃっかり自分たちのコーヒーも淹れて、私たち3人はカウンター席に腰掛ける。

「お菓子までもらって悪いね」

「いいえ」

「どうしたんですか?」

「ん? ・・・やっぱね。これ読んだら、なんかいろいろ考えちゃってさ」

何かを思い出すような表情をした茉莉ちゃんも、きっと彩恵ちゃんからの手紙を読んだんだろうな。

和彦さんは手紙を広げながら、一つ一つの言葉を噛みしめるように言う。

「初めて彩恵ちゃんに会った時、彩恵ちゃんはまだ字も書けなくて、一華にずっと抱っこしてもらってて、ちっちゃかったのになあ」

和彦さんが彩恵ちゃんと初めて会ったのは5年も前。図書館で働く和彦さんを、本が好きな彩恵ちゃんに会わせてあげたら喜ぶんじゃないかと一華さんが言ったのが始まりだったらしい。

「本当本当。小さかったですよね」

強がるように明るく相槌を打つ茉莉ちゃんが、彩恵ちゃんに初めて会ったのは3年前。茉莉ちゃんがプレゼントしたチューリップの花束で、体の半分が覆われちゃうぐらい、小さかったと言う。

「最初は・・・、親御さんも会いに来なくて、病気で、かわいそうだなって思ってたんですけど」

そこまで言った茉莉ちゃんの目から、涙が落ちた。

「・・・笑顔が、ほんっとうに可愛くて・・・。もっともっと笑わせてあげたいって思ってました。かわいそう、じゃなくて・・・笑わせたい」

普段見ない茉莉ちゃんの涙に、私も堪えている涙が落ちそうになる。私は涙を落とさないように茉莉ちゃんから視線を逸らした。

そんな私たちの涙に寄り添うように、和彦さんが優しい表情で言う。

「笑顔が見たいって思うことって、愛してるってことと似てるね」

「え・・・?」

「笑わせる、笑顔を見たいってことは、その人が笑っちゃうくらい楽しいこととか、幸せなことをしてあげたいって思ってるってこと。愛してるっていうのも、その人を幸せにしたい、笑顔にしたいって・・・そういう思いだと、俺は思うんだよ」

笑顔が見たい。

そう思うことは毎日の中で何度もある。それは別に、自分の友達や恋人や家族に限らない。

このお店だって、そうだった。

お客さんの笑顔が見たくて、きれいな花を渡したり、コーヒーを淹れたりするんだ。

そう考えたら、私の周りがこんなにも愛すべき人で溢れていて、愛してくれている人で溢れていることに気がついた。

「みんな、誰かに愛を注ぐ人たちだし、愛を注がれる人たちなんだね。その時間がいつまで続くかは、わからないけど・・・。でもだから、俺たちは時々こうして、大切な人が生きてる時間に感謝しようって思える」

和彦さんはそう言って、手紙に視線を落とすと、力なく笑った。

「私がもし死んじゃったら、一華先生のことよろしくね・・・って、なんでそんなこと書いたんだろうな」

「・・・」

「生きるに決まってるのに、彩恵ちゃんは」

その一言を聞いた瞬間、我慢していた涙が溢れた。

私は祈るような思いで目を閉じる。

脳裏には、あの可愛い花びらのような笑顔がある。


彩恵ちゃんの手術が始まったのは午後2時。

私はその時ちょうど、6限目の授業の真っ最中だった。お昼休みを過ぎてから幾度となく時計の存在が気になっていたけど、いざ午後2時を指している時計を見たら、心臓が飛び跳ねた。こっそりゆき音を見ると、ゆき音も神妙な顔つきで時計を見ている。そんな私たちは、帰りのホームルームが終わった瞬間に、一目散に学校を飛び出した。そして学校の近くの公園に車を停めていた茉莉ちゃんのもとへ向かう。茉莉ちゃんが運転する車で桜が丘病院まで行くと、私たちは手術室の前まで走って行った。

分厚い扉。冷たい銀色。

今の私たちにはそれがとてつもなく嫌な存在に思える。

そして、絶対に自分たちだけじゃ勝てないこともわかっていた。

「座ろうか」

ぎこちなく言った茉莉ちゃんにつられて、私とゆき音は紫色の少し古びた椅子に座る。みんなが必死な思いで祈りながら待つ中、外はみるみる光を無くして黒くなる。そしてそんな夜の暗闇によく生える雪がちらつき始めた時、仕事を終えた和彦さんが駆けつけてきた。

息を切らしながら駆けつけてきた和彦さんの脳裏にも、私たちの脳裏にも、浮かぶのは医療ドラマで見たような光景だけ。

大丈夫と言い聞かせながらも、ときどき通り過ぎる嫌な予感が払いきれない。

そんな思いを抱えたまま、私たちは待ち続けていた。

そして・・・、何時間たったのかはわからないけれど、ようやく、手術室の扉が開かれた。

私たちは反射的に立ち上がる。手は緊張ですっかり冷え切っていた。膝も震えている。のどがひりひりしている。言葉が出てこない。呼吸が浅くなっていくような気さえしていた。

そんな私たちを前に、一華さんは震える声で言った。

「手術は・・・、無事に終わりました。成功です」

その言葉で世界が一気に色と温度を取り戻す。

私の全身に体温が戻って、温かい血が巡るのを感じた。自然と目頭が熱くなる。

私とゆき音と茉莉ちゃんは病院ということを忘れて歓声を上げて、大泣きしながら抱き合った。涙と鼻水で汚くなったお互いの顔も今は愛おしい。そんな中、和彦さんは安堵のため息を深くついて、膝に手をやっている。

この場にいる全員が同じような安心感と喜びを分かち合っていることは確かだった。

その時

「一華!?」

突然和彦さんの声が廊下に響いた。

見ると、一華さんがぺたりと冷たい床に座り込んでしまっている。私はとっさに一華さんに駆け寄ろうとしたが、一華さんの頬を伝う美しい涙を見てその足を止めた。

和彦さんは安心して泣き崩れる一華さんを優しく抱きしめる。

「一華もお疲れ様。本当に、お疲れ様。よく頑張ったよ。彩恵ちゃんも一華も」

彩恵ちゃんと一緒にずっと病気と闘い続けてきた一華さん。

ここまで苦しい思いを抱えながら闘い続けてきたのは彩恵ちゃんだけじゃない。

「ありがとう、一華」

一華さんは和彦さんに抱きしめられながら、小さい子のように泣いていた。

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