Day 28

アホ毛が出ている。

出かける直前でそのことに気がついた私は、慌てて洗面所に戻り、これでもかというほど水でアホ毛を濡らして鎮圧した。その様子を見た茉莉ちゃんが若干呆れた様子で

「早く行こうよー」

と、急かしてくる。

「だって、なんか緊張して」

「気持ちはわかるけどさ」

茉莉ちゃんに急かされて向かったのは、桜ヶ丘病院。手術を終えた彩恵ちゃんと初めて会うのだ。

しばらく会えていなかったことと、手術という大きな出来事を乗り越えた後に会うのが初めてとあって、私はかなり緊張している。いつもよりも身だしなみに気合を入れていたら「デートか!」と茉莉ちゃんに突っ込まれた。

意を決して、と言っていいぐらいにドキドキしながら彩恵ちゃんの病室のドアを開けたら、ベッドの上に彩恵ちゃんはいなかった。

「えっ」

「え」

予想外の出来事に茉莉ちゃんと固まっていると、後ろから車椅子のタイヤが回る音が聞こえてきて

「・・・日菜ちゃん・・・茉莉ちゃん・・・?」

本当に久しぶりに聴く可愛い声が響いた。

思わず勢いよく振り向いたその先には、看護師さんに車椅子を押してもらっている彩恵ちゃんの姿がある。顔色もだいぶよくなっていた。相変わらず腕や足は細いままだけれども、どこか手術前と違って見えるのは、手術が成功したと知った後だからだろう。

「彩恵ちゃん・・・!!!」

「彩恵ちゃん、久しぶり!」

私と茉莉ちゃんが駆け寄ると、彩恵ちゃんは大きな瞳を輝かせて

「会いにきてくれたの?嬉しい!」

頬をピンク色にさせる。

その姿に安心して、私も茉莉ちゃんも思わず涙ぐんだ。

よかった。本当に良かった。彩恵ちゃんが生きてくれている。

「彩恵ちゃん、手術、お疲れ様」

「よく頑張ったね・・・」

「ありがとう」

「もう、ドア開けたらいないんだもん!びっくりした!」

「ごめん、今診察行ってたんだ」

そこまで言った時、看護師さんが「ベッドに戻ろうか」と言って彩恵ちゃんの車椅子を押して、清潔感溢れるベッドの上に彩恵ちゃんを運ぶ。そして点滴が落ちるスピードを確認した後

「お姉さんたち来てくれて嬉しいのわかるけど、あまり無理したらダメだよ」

と言って、部屋を後にしてくれた。

「そうだよね。ごめんね、突然来て。あまり長くはいないから」

「ううん。来てくれて嬉しい」

「どう?体は・・・」

「うーん・・・、まだよくわかんないや」

「そっか、そうだよね」

「ねえ聞いて、茉莉ちゃん日菜ちゃん」

彩恵ちゃんはベッドの上に横になりながらも、楽しそうに手術の時のことを私たちに話し始めた。

「手術の時ね、すごかったよ。本当にあの大きなライトあるんだよ。いっぱい目がついてる宇宙人みたいだった」

「面白いね!宇宙人か」

「あとね、一華先生変な服着てた」

「変な服?」

「水色の変な服。やっぱり一華先生は白衣の方が似合うね」

その言葉を聞いて、私はさりげなく彩恵ちゃんに問う。

「手術室で、一華さんと会ったの覚えてるの?」

「うん。麻酔かかるまで、一華先生そばにいてくれたんだ。だから怖くなかったよ」

宇宙人のようなライトの下に寝かせられた彩恵ちゃんの隣に、一華さんはそっと立った。

「一華先生、変な格好。白衣のほうが似合ってるよ」

「・・・そうかな」

「一華先生」

「うん」

「大丈夫だよね」

「大丈夫だよ」

お互いそう言い合ったのを最後に、彩恵ちゃんに麻酔がかけられたらしい。

「そこから先は覚えてないけど・・・、起きたらね、やっぱり一華先生がいた」

「じゃあ、本当にずっとそばにいたんだね、一華さん」

「うん」

茉莉ちゃんの言葉に、彩恵ちゃんは微笑んだまま頷く。

彩恵ちゃんが起きてまず目に入ったのは、やっぱり一華さんで。意識も視界もぼんやりしている中で、一華さんは彩恵ちゃんの額に手を当てて言った。

「彩恵。手術終わったよ。成功した」

うん、と声に出すことも頷くこともできなかったけれど、だんだん鮮明になっていく視界の中で一華さんはただ涙を落としながら

「ありがとう、彩恵。よく頑張ったね・・・、よく頑張ったよ。ありがとう」

そう言い続けていた。

「でも彩恵ちゃん、本当に頑張ったね」

私が噛みしめるように言うと、彩恵ちゃんは少し弱い声で「茉莉ちゃんと日菜ちゃんたちも待ってくれてるってわかってたから」と返してくれる。そして私たちに向かって小さな手を伸ばして、私と茉莉ちゃんの手をそっと握った。

「手術終わっても、病気、治っても・・・、また・・・、遊びに来てくれる?」

「もちろんだよ」

「明日は?」

どこか不安そうな彩恵ちゃんに、私は力強く言う。

「じゃあ、明日ね」

「・・・よし、そろそろ行こうか。日菜」

「うん」

ベッドの上の彩恵ちゃんに手を振って病室を出た瞬間、本当に彩恵ちゃんが助かったのだと改めて実感して、じわじわと身体中に喜びが広がっていくのが自分でもわかった。

「ほんっとうに、よかった・・・」

「うん」

茉莉ちゃんの言葉にそう返した瞬間、あることが引っかかった。

いや、本当は手術が成功したと聞いて数時間後には、もう引っかかり始めていたのかもしれないけど・・・。

「どうした、日菜?」

「・・・あのさ・・・」

「彩恵ちゃんって・・・、退院したら、どうなるんだろう?」

数歩先を歩いていた茉莉ちゃんは、私の言葉でピタリと足を止めた。

今までは彩恵ちゃんの命が助かるかどうかで頭がいっぱいだったけれど、彩恵ちゃんの人生は手術が成功したら終わりというわけではない。

これからなのだ。

「お父さんはもう絶対ここには来ないよね?」

「うん」

「お母さんは・・・?」

「彩恵ちゃんが生まれてすぐ家を出て行ったような方だよ?手術の許可を得る時も、お母さんが音信不通だから、お父さんが呼ばれたぐらいなんだから。 ・・・まあ、それも無意味だったけど」

患者さん以外の人も食事できる食堂で、茉莉ちゃんは怒りを隠せない様子でそう言いながら、オムライスを頬張る。

するとそこへ、彩恵ちゃんに会ってきたばかりという和彦さんが手を振っているのが見えた。私たちは喜んで和彦さんを席まで呼んで、お昼を一緒に食べることにする。

「いやあ、でも、彩恵ちゃんほんっとうによかったあ・・・!」

心の底から噛み締めるようにいう和彦さんの姿から、和彦さんが彩恵ちゃんを本当に可愛がって大切に思っている姿が改めてわかる。

そんな和彦さんに、茉莉ちゃんが問うた。

「和彦さん。彩恵ちゃんって、無事退院したら、その・・・どうなるんですかね?」

「ん? ・・・ああ、どこで暮らすかってこと?俺も詳しくは分からないけど・・・、彩恵ちゃんとご両親の状況を考えれば、養護施設に行くんじゃないかな?そこで、新しい家族を待つ、とか・・・」

新しい家族。

今までの私の人生とはかけ離れている言葉に、私は彩恵ちゃんではないはずなのに、どこか心細さを覚えた。

「どうだろうね」

和彦さんの笑顔もどこか不安げだったのは、気のせいだと思いたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る