第4話

 昌也はいつもの電車に乗り、会社へ向かう。


 あの、静かに始まった色の混乱の日から、1年半余りが経過した。色は変わってしまったままであった。

 あらゆる機関がこの問題に向き合い、様々な方向から調査を行ったにも関わらず、相変わらず原因は謎のままであった。

 この1年半で、世の中は大きく変わり始めていた。

 まず、多面的な分析にも関わらず、未だ原因の特定に至っていないことから、現代科学に対しては、根本的な部分から猜疑の眼が向けられることとなった。これは若い学生の進路にも影響を及ぼし、理系、特に自然科学の分野を目指す若者たちには、間違った学問をやっても仕方がないのではと思う者、何としてもこの謎の解明に尽力したいと思う者、そのように学問への想いを問われる状況となりつつあった。

 次に、色の変化によって、人間の根本的な欲求、主に食欲と性欲について、激しい変化の波が押し寄せた。

 食については当初、着色料を使用して、かつて我々が見ていた色に合わせた食材が一時的にヒット商品となった。しかし、それらの食材に使用されている着色料、中には過度に色を変えるために、かつて使用されたことのない原料も含まれており、それらの健康被害に対する危険性が強いという報道、また極めつけに、それらの食材が、かつての我々の色覚に合わせるとどういう色のものを口にしているのか、という写真を、昌也の勤める出版社の週刊誌が掲載し(この号は相当な売れ行きとなった)、これによって着色料使用はだんだんと敬遠されることとなった。とはいえ、見た目が食欲に及ぼす影響力は少なくなく、欧米風のカラフルな食よりも、より色の少ない質素な和食にトレンドがシフトしつつある。

 性の問題はより複雑であった。アダルトソフトについては、かつての我々の色覚に合わせたソフトが出回るようになり、リアルで異性と接することなく、そういったもので性欲を満たす層についてはベストの解決策となり、それらは現在「プリミティブ」という一ジャンルとして成立している。

 一方、リアルに異性と接する風俗業は混乱を極めていた。恐らく「肌色」に対する色覚は、生物学的に我々の性衝動の根深い部分にインプットされたもので、目が捉える色覚はある日突然変化したにも関わらず、それ以外の部分は何も変わらなかったため、異性の裸に対する興奮の度合いが、特に男性において、著しく減少した。そのため風俗店では、照明をギリギリまで暗くしあくまでも触覚をウリとする店が増え、それによってコンパニオンの女性の容姿は、かつてほど重要視されなくなった。必然、店外でのデートといったものも減り、風俗業の人達の収入や暮らしぶりにも少なからず影響することとなった。一般の夜の夫婦生活においても、減少の傾向があるという話をたびたび聞くようになった。

 文化的にも相当な変化が起きている。

 色の変化は、人々の美的感覚を大きく方向転換させることとなってしまった。例えば、ナチュラルなライフスタイルを標榜するひとたちは、抜本的姿勢を問われることとなった。科学的な薬品等を使用しない、という姿勢の人たちはそのままだったが、ナチュラル風、程度のライトな層は、特に人の肌のキメ等が、現在の色覚ではかつてより粗く見えるようになってしまったことにより、趣向替えを余儀なくされることになった。他方、若い層においては、再びヤマンバのようなギャルメイクが復活し、渋谷が若い娘たちの聖地として再び脚光を浴びつつある。

 映画や写真集などの映像作品については、アダルトソフトの例と同様、全く見え方が変わってしまったため、それらの作品が作られた時代を尊重して色変換すべきではないかという意見、それに対して、今現在我々に見える色と作品内の色は等しく色が変わっているのだから、そのまま鑑賞するべきではないか、という反論もあった。これについてはまだ結論が出ておらず、一部はオリジナル版と色変換版が併売されている状態となっている。変換機能を有した中国製のプレイヤーも出回り始めているようである。

 人種問題にも変化があった。白人は白でなくなったため、白人至上主義の人達の意識は変わらないが、自らを何と呼ぶべきかについて議論が分かれ、その団結力に少なからず影響が及んでいる様子であると、現地のメディアは伝えている。また人種問題は少なからずさまざまな宗教にも影響を与えているし、宗教についていえば今回、現代科学がこの問題を解明できていないことから、再び全知全能の神の存在に関する議論が活発化し、海外でも日本でも新たな新興宗教団体が立ち上がっているようであった。そういった団体に属さずとも、この変化になかなかついて行けず、内省的なライフスタイルにシフトする人たちも少なくなかった。

 そういった世界の動向を追いかけながら、相変わらず出版社の月刊誌担当をしていた昌也自身も、やや疲れを感じていた。この激動の変化を楽しみ、やり甲斐を感じるといった乗っかり方が出来たらよかったのだが、どちらかといえばこの大きな変化の中で、月刊誌サイクルでのトレンドを追い続けることに、意味を見出せなくなり始めていたのであった。

(続く)

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