第38話 簪(かんざし)と火曜日



 店の奥にある座敷からは、いつの間にか雨があがり水滴に彩られた中庭が見渡せる。

 紫陽花が綺麗にこちらを向き、手入れが行き届いた庭は実家の茶室から見える庭を連想させる。


「綺麗な庭ですね」

「ほんと……こんな都会の真ん中にあるなんて嘘みたい」

「主人が造ったんですのよ。庭師をしておりますから」


 そう言いながら依子さんがお茶を出してくれる。

 一口飲んでみて分かる、上質な茶葉を一流の人が淹れたお茶だ。

 流石は黒岩家の人というところだ。


 僕と鈴羽は依子さんとしばらくこの風情ある落ち着いた空間で話をした。

 依子さんは黒岩家の庭師をしていた旦那さんと出会い恋をしたそうだ。

 当時依子さんの姉、つまり忠勝老の奥さんについてよく黒岩の家を訪れていてそこで知り合ったらしい。


 元々、和傘を造っている老舗の子供だった彼女は黒岩や僕の家とも関わりがあったみたいで、若き日の母さんのこともよく知っていたし今も母さんと付き合いがあると語ってくれた。


「若い頃の母さんってどんな人だったんですか?」

「昔の和さん?そうねぇ……今と変わらないと思いますわよ」

「……若い頃からあんな感じだったんですか!?」

「ほほほ、あの子はあれが普通なのよ。だってわたくしはあの子が小学生くらいから知っていますけど、その当時から何も変わっていないですもの」


 ……あんな殺伐とした雰囲気の小学生って……ちょっと想像したくない。


「あ、でも……」


 依子さんは何かを思いだしたように言葉をきり、悪戯そうな笑いを浮かべた。


「貴登喜さんと一緒にいるときは、普通の女の子だったかしらね、ふふふ。内緒よ」

「貴登喜さんってお義父様よね」

「父さんと一緒の時……あ……あの写真」


 僕はいつか母の茶室で見た2人が写った写真を思い出した。


「ほら、鈴羽、あの時の写真」

「うん、あの写真のお義母様は素敵な笑顔だったわよね」


 今の両親からは想像出来ないけど、母さんも父さんに恋をしていたのだろうか。

 あの母がそういった感情を表に出す姿が、どう頭を捻っても出てこなかったけど。


わたくしがあまり和さんの秘密をバラしちゃうと後が怖いからこのくらいにしましょうね」

「そうですね。僕もそう思います」


 僕と依子さんは顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

 今の母さんしか知らない僕としては後々の事が容易に想像出来るから。


「それで……皐月さん?とお呼びしてもいいかしら?」

「はい、全然構いません」

「あ、あの私も鈴羽で結構です」

「ふふっ、それではお言葉に甘えて……皐月さんと鈴羽さんは傘をお求めにこられたのよね?」

「はい」


 僕は今日一日の流れを説明する。

 改めて店内を見渡してみると、確かに実家で見たことのある傘と同じ種類のものがある様に見える。


 僕の話を聞いて依子さんが、いくつかの番傘と蛇の目傘を見せてくれる。

 どれも綺麗で、ひとつひとつ丁寧に造られていて、それは芸術品と言っても良いような出来だった。


 他にも店内の傘を見て回り、僕は黒っぽい傘に白の装飾が施された番傘を、鈴羽は真紅の蛇の目傘を選んだ。


「もし不具合がありましたらお持ち頂ければ直させて頂きますからね」

「ありがとうございます」

「鈴羽さんも……あら?どうかされまして?」

「え?あの……これって簪ですか?とても綺麗だと思って……」


 店の奥、座敷のすぐ側に設えられた棚には芸者さんがしている様な簪が並んでいた。


「ええ、お気に召したものがありました?手にとってみて頂いて結構ですわよ」


 棚には簪の他にもお箸や箸置き、レンゲといった小物が飾られている。

 ……売り物なのだろうけど、飾られていると言ったほうがしっくりくるくらいに綺麗に並べられている。

 鈴羽はそれを手にとっては、感嘆の声をもらしている。


「この簪やお箸はうちに出入りしている職人さんの作ですのよ」

「とても綺麗です……ほらこれなんか」

「うん、ほんとだ。あの、これって全部手造りですか?」

「ええ、ひとつひとつ精魂込めて造ってらっしゃるわ」


 僕と付き合い出してから……と言うか母さんに気に入られてから鈴羽は何かと着物を着る機会が増えた。

 先日のテレビ番組の時も着物だったし……


「ねぇ皐月君、これ買ってもいいかな?」

「もちろんだよ。きっと似合うよ」

「えへへっそうかな」

「お似合いになりますよ、少し着けてみますか?」

「いいんですか!?」

「ええ、少し髪を結わせて頂きますけどよろしいかしら?」

「はいっ!お願いします」


 嬉しそうにする鈴羽を椅子に座らせて依子さんが髪を結い上げていく。

 出会った頃より随分と長く伸ばした髪は絹糸の様に美しく、結い上げる依子さんの顔にも笑みがこぼれている。


「どうかしら?」

「うわぁっ!うん!どう?皐月君?」

「……綺麗……です」

「あはは、どうして敬語なのよ?」

「いや、あんまり綺麗なんで……うん」


 アップにした髪に先程の傘と同じ真紅の簪が揺れている。

 細かな装飾が施され宝石のような珠がついた簪は鈴羽にとても良く似合う。

 ついつい見惚れて言語能力が低下したのは仕方ないと思ってほしい。


 その後も鈴羽はあれこれと試していたけど結局は最初に選んだ真紅の簪を買うことにした。

 もちろん僕が鈴羽にプレゼントする形だ。

 蛇の目傘と簪の入った小箱を大切そうに抱えて弾けるような笑顔を見せてくれただけで僕は大満足だった。


「もし京都に行かれる事がありましたら訪ねてあげてください。きっとまた素敵な出会いがありますわ」

「ありがとうございます」

「はい!是非行ってみます!」


 帰り際依子さんがそう言って職人さんの工房の地図と名刺を手渡してくれた。


「また、来ます!ありがとうございました」

「ええ、お待ちしております」

「じゃあ行こうか」

「うん!」


 外に出ると雨はすっかり上がっていて綺麗な星空が広がっていた。


「よっと!うん、ははは、これはいいね!」

「あはは、皐月君、雨降ってないよ?」


 表参道を出てから僕は買ったばかりの番傘を広げてみせる。

 せっかくだしさして帰りたい気分なんだ。


 雨は降っていないけど、僕と鈴羽は寄り添って番傘に入り家までの道を歩いた。



 雨の日が好きじゃない人も多いだろうけど……僕はやっぱり雨の日が好きみたいだ。

 だってこんなにも素敵な出会いがあるんだから。


 鈴羽の肩を抱き寄せて僕はそう思い、傘の下でそっと口づけを交わした。



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