第37話 番傘と蛇の目傘の火曜日
「あ〜あ、今日は雨かぁ」
「おはよう、鈴羽。ちょっと前から降り出したんだよね、雨」
僕が起きた6時前は、まだどんよりと曇った空模様だったけど、今窓から見える街にはしとしとと雨が降り注いでいる。
9月も半ばに差し掛かり気温もぐっと下がってきて肌寒さを感じ始める季節になってきた。
「はい、コーヒー」
「んんっ、ふふっありがと」
ソファに座った鈴羽に軽くキスをしてコーヒーを渡す。
今日は火曜日だけど教授の都合で講義のない僕は一日何もすることがなかったりする。
鈴羽は仕事だし、外は雨だし出かけるのも億劫だ。
「いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
玄関先で鈴羽を見送り僕は遠ざかるアルファの音を聞きながらソファに座り何げなしにテレビをつけて一日の予定を考えることにした。
そういえば去年の今頃はリョータと高山君と三人で買い物に出かけてたっけ。
10月の末と11月の頭にリョータの彼女である杏奈ちゃんと梓ちゃんの誕生日があったからだ。
高山君は学校の近所の神社の跡取りで僕らの友人だ。
学校に教育実習に来ていた先生と卒業後に結婚して今は神主をしている。
今年はどうするんだろう?流石に皆んな仕事があったりするから高校の時みたいにしょっちゅう集まることも出来ない。
思い立ったが吉日ということで僕はリョータと高山君にメールを送っておくことにした。
雨はしっかりと夜鈴羽が帰ってくるまで降り続き、僕は一日家の掃除をしたりして過ごした。
「いいんじゃない?リョータ君と高山君の都合次第だと思うけど」
「だよね、一応メールはしといたんだけどまだ返事がないからどうだろうね」
「杏奈ちゃんと梓ちゃんは私の方で何とでもなるし大丈夫よ」
2人は鈴羽の部下なので融通はきく。
門崎会長さんも鈴羽が言えば休みにしてくれたりするだろう。
寧ろお目付役が3人もいなくなれば、それはもう自由きままにあちこちに出かけて行ってしまうに違いない。
「高山君は結婚したんだっけ?」
「うん、みちる先生と卒業してすぐにね」
「あれ?式は上げてないの?」
「結婚式もするつもりだったみたいなんだけど、高山君が20歳になってからってことになったんだって」
「家が神社だと家で出来るのよね?」
「だと思うよ。結婚式には呼ぶからなって言ってたし」
結婚か……僕も鈴羽といずれ……
ははは、何だか照れくさいな。
「どうしたの?」
「僕と鈴羽もいずれ結婚するんだろうなぁって思うと何だか照れくさくて」
「……え、う、うん、そ、そうね」
耳まで真っ赤になって目をぱちぱちさせる鈴羽。
あ〜、今のはものすごくプロポーズ的な感じになっちゃったんじゃないだろうか?
今更感もあるけど、これはこれでまたちょっと何て言うか……
「あ、まぁその、まだちょっと先の話だけどね」
「う、うん、うん、そうだよね、うん」
「…………」
「…………」
部屋には時計の針が進む音と雨の音が静かに流れている。
僕も鈴羽も黙ってそれに耳を傾けた。
決して気まずい沈黙ではなく……心地よい沈黙で、僕の肩に鈴羽が頭を預けて小さく呟く。
「ずっと一緒にいてね」
最愛の
「もちろん」
それは僕の心からの言葉で。
取り立てて何もないただの雨の日だったけど、それだけで今日一日が華やかに彩られた様な気がした。
雨は翌日も降り続いていた。
午前中だけの講義を終えて、昼を食べてから少し時間をつぶして夕方5時を回ったくらいに僕はいつもの公園で鈴羽を待っている。
夕方には小雨になった空模様の公園には会社帰りのサラリーマンや犬の散歩をしているおばさんが普段と同じように歩いている。
幼稚園くらいの小さな女の子が母親に連れられ黄色い傘をくるくると回しながら僕の前を通り過ぎていく。
昨日あんな話をしたからだろうか……その後姿につい鈴羽を重ねていた。
「……くん、皐月君?」
「え?あ、鈴羽」
「どうしたの?ぼんやりして、呼んでるのに全然気がつかないんだもの」
「ごめんごめん、ちょっと考え事をしてたから」
「考え事?」
「うん」
僕は公園の出入り口へと歩いていく親子を見てそう答えた。
「知り合いなの?」
「ううん、知らない人」
僕が傘を差し出すと鈴羽は自分の傘をたたんで僕に寄り添って同じ傘に入る。
親子とは反対側の出入り口に向かう間、僕はさっき考えていたことを鈴羽に話した。
いつか鈴羽もああして子供の手を引いてこの公園に来るんだろうなぁと。
僕の話を聞いた鈴羽はより一層、僕の腕を強く抱きしめて煌めく笑顔を見せてくれる。
この笑顔が今日も僕の隣にいてくれることに大きな喜びを感じて僕らは公園を後にした。
「それで今日はこれからどこに行くの?」
「うん、ちょっと傘を買いにね」
「傘?これじゃあ駄目なの?」
「今日一日暇だったからネットを見てたら気になるのがあってね、その店が表参道の……ほら指輪を買った店の近くにあるみたいなんだ」
「へぇ〜あの辺りに傘屋さんなんてあったかしら?」
「ちょっと分かりにくいところみたいだったけど」
僕はスマホで道を確認してから鈴羽を連れて脇道へと入る。
「あ、あそこかしら?」
「うん、うわぁ……これはすごいや」
「傘……よね?」
「番傘だよ。あ、こっちは蛇の目傘かな」
その店は通りから少し入ったところにひっそりと佇んでいた。
店のショーウィンドウには色鮮やかな番傘や蛇の目傘が飾られている。
他にも着物や甚平、簪など様々な和物が扱われている。
店の雰囲気から正に佇んでいるといった感じだ。
「よくこんなところの店を見つけたのね」
「ここの本店を母さんが贔屓にしてたから、確かこっちにもあるって随分前に聞いたのを思い出してね。ほら最近和服を着ることが多かったから、ちょっと番傘が欲しいかなって」
「ふふっ皐月君らしいわね」
店に入った僕達を迎えてくれたのは、上品そうな年配の女性だった。
「あらあら、珍しくこと。こんな店にお若い方が」
「すみません、ちょっと番傘を見させてもらおうと思いまして」
「番傘を?」
「はい、あ、鈴羽も何か選んでみる?あっちが蛇の目傘みたいだし」
「あら?貴方は番傘と蛇の目傘の違いがお分かりなの?」
「え?番傘は男性用で蛇の目傘は女性用って教わりました。この内側の糸のかがりが細いんですよね?」
「おやまぁ……貴方、そういった家の方なの?」
「はい、僕は立花と言います。母がこちらの本店でよくお世話になってると言っていました」
「立花……もしかして和さんの?」
「はい、息子です」
女性は目を丸くして驚いて僕をまじまじと見て柔和な笑みを浮かべた。
「ほんと、どことなく和さんの面影があるわね」
「母をご存知でしたか」
「お義母様ってどこにいっても知ってる人がいるわよね」
「ええ、ええ、だって
「えっ?黒岩って……じゃあ崇さんも……」
「そうねぇ、崇は姉の孫にあたるかしらね」
これには僕も驚きを隠せなかった。
つまりこの女性は黒岩の……忠勝老の奥さんの妹さんな訳だ。
僕と鈴羽は妹さん──依子さんと名乗られた──に勧められて店の奥にある座敷でお茶をご馳走になることになった。
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