第2話 水曜日の待ち合わせ、そして


 久しぶりに来る喫茶店は変わらず静かなJAZZの流れる穏やかな空間だった。


 僕は少し奥の窓際に座り鈴羽が来るのをコーヒーを飲みながら店内を流れる音楽に耳を傾けて待っている。


 商店街の真ん中にあるにもかかわらず騒がしくない店内はどこか裏路地にあるような隠れ家的な店を連想させる。

 雑踏を行き交う人々を窓の外に眺めながらそんなことを考えていると、その雑踏の中に鈴羽の姿を見つけた。

 スッと背筋を伸ばして歩く姿はいつも美しく、端整な美貌と相まってより際立っている。


 喫茶店に入って僕を探す彼女に軽く手を上げて合図する。

 僕を見つけその綺麗な顔に花が咲く様な笑みが溢れる。そしてそれを見た周りの男性達から視線を投げかけられるのにも、もうすっかり慣れた。


「皐月く〜ん、ただいま〜」

「鈴羽、家じゃないんだからただいまはどうかと?」

「え〜皐月君の隣に帰ってきたから「ただいま」でいいの」

 席について店員さんに注文をしながらそう言う。


「ふふっそっか、じゃあおかえり、鈴羽」

 僕の答えに、えへへと笑い何となく2人で顔を見合わせてもう一度笑みがこぼれる。


「入学式はどうだった?」

「うん、長々と話を聞いてただけだからね。疲れたって感想しかないよ」

「ふふふ、お疲れ様。大学は来週からだっけ?」

「月曜からだね」

「そっか、じゃあ今日はちょっと遅くなっても大丈夫だね」

「どうかしたの?」

 内緒〜と悪戯そうに言う鈴羽は先ほど窓から見えた彼女とは別人のようにあどけなく可愛い。



「それでどこに行くの?」

「まだ内緒〜」


 喫茶店を出て僕と鈴羽は商店街を抜けて鈴羽の会社があるオフィス街を歩いていた。

 午後7時でもまだまだ仕事をしている人は多く、時折鈴羽に頭を下げてすれ違う人もいる。

 鈴羽はこのオフィス街にある大企業の会長付の秘書室の室長をしている。


 オフィス街を抜けるとそこは高層ビルやマンション、ちょっと高級そうな飲食店がある地域で僕は何度か母さんに連れてこられた記憶がある。


 そんな中の一件、何とかヒルズのようなホテルの前で鈴羽が立ち止まる。

「今日の晩御飯はここで〜す」

「え?ここ?」

 あまりこういった場所に興味のない僕でも知っている高級ホテルで確か最上階がレストランになっていたはずだ。


「さ、行こう」

 繋いだ手を引っ張ってさっさと入っていく鈴羽。

「わ、わ、ちょっと鈴羽」

 ロビーでは店員さんが鈴羽を見て丁寧に頭を下げて挨拶している。


「ようこそお越しくださいました。九条様」

「門崎会長の方から連絡は入ってると思いますが」

「はい。承っております」

 店員さんは丁寧に鈴羽に説明し僕達をエレベーターに案内してくれた。


「え〜っと、どういうこと?」

「ふふふ、びっくりした?」

「そりゃあね、普段来るようなとこじゃないからね」

「ここはね、私の会社、つまり門崎会長の持ち物なのよ」

「え?」

「会長がね、皐月君の入学祝いにって夜御飯食べて来いって」

「門崎会長さんが……」

 門崎会長。鈴羽の勤める商社の創業者であり僕の母である立花 和たちばな のどかを何故か先生と呼ぶ老紳士だ。

 僕はあの好々爺のしてやったりといった意地の悪そうなそれでいて憎めない笑い顔を思い出してため息をついた。



 最上階のレストランで出される料理はどれもこれも素晴らしいものだった。

「どう皐月君、美味しいでしょ?」

「うん、すごく美味しいね。これなんかもう……なんのソースを使ってるんだろ?」

「ふふっ皐月君って料理好きよね」

「まぁね、だって美味しい料理を食べさせてあげたいからね」

「……嬉しいけど……女としては素直に喜べないわ」

「ははは、そのうち上手くなるよ。多分」

「イジワル……」


 料理の後のデザートはもちろんコーヒーすら他とは一味違うものだった。



「どうでしたか?お口に合いましたかな?」

「ええ、いつもながら素晴らしい料理でしたわ」

 そう言って笑いかけてきたのはここの料理長さんだろうか、60歳くらいの柔和な感じのコックさんだった。


「初めてお目にかかりますね。私、佐々 幸四郎さっさ こうしろうと申します。こちらで料理長をさせて頂いております」

「これはご丁寧に、僕は立花皐月と申します。いつも鈴羽がお世話になっております」

「ははは、こちらこそ。九条様には門崎会長のご機嫌をいつもとって頂いてますからね」

「会長はここの料理が好きでね、毎週のように食べに来てるのよ」

「それに立花様は和先生の御子息でいらっしいますし一度お会いしたかったのですよ」


 そう言う佐々さんを見て僕はまた母さんかと思わざるを得ない。

 我が母ながらいったい何者なんだろうか……


「それにしても本当に美味しかったです」

「そう追って頂けると作るほうとしても作った甲斐があるというものです」


 しばらく3人で雑談をして僕と鈴羽は礼を言ってレストランを後にする。


「あの料理なら毎日でも食べれるね」

「毎日来てたら破産するわよ」

「それもそうだね」


 エレベーターの中でそんな会話をしているとエレベーターは1階ではなく途中の8階に停止した。


「あれ?鈴羽?」

「さっきの晩御飯は門崎会長からの入学祝い。ここからは私からの入学祝いよ」

「もしかして?」

「そっ、泊まってこ?」

 鞄から部屋のキーを出して満面の笑みを浮かべて僕を見つめる鈴羽。


「ありがと……鈴羽」

 エレベーターを降りたホールで僕はきつく鈴羽を抱きしめた。

「ふふっどういたしまして」

 僕の背中に手を回して抱きかえしてくれる。

「……続きは部屋で……ね?」

 少し潤んだ目で僕を見上げて軽く唇を触れさせて鈴羽はそう言って僕の手をとる。



 ゆったりとした広い浴槽に2人で浸かり他愛もない話をして笑いあう。

 浴槽の中で僕にもたれて幸せよ、と言ってくれる鈴羽を本当に愛おしく思う。

 このままだと例によってのぼせるね、と笑いながらお風呂から上がってそのままベッドに倒れこむ。


 窓から差し込む月明かりの下の鈴羽の肢体はあまりに美しく、壊れもののようで。

 そっと触れると鈴羽も同じように僕に優しく触れる。


「大好きよ、皐月君」

「うん、知ってる」

「うふふ、そう言うと思った……んっ、ふふっ」

 返事の途中で唇を塞ぐと甘い吐息が溢れる。


「好き……大好き……」


「うん……愛してるよ。鈴羽」


「ふふっ私も……愛してる、皐月君」


 身体を重ねお互いを求め合い、夜は更けていく。

 やがて鈴羽は僕の胸に頭を乗せて静かな寝息を立て始めた。

 そんな鈴羽の寝顔を眺め髪を撫でながら僕もゆったりとした眠りについた。










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