第15話 川島を止めろ

 希美ちゃんとお母さんは、ついに青森を出た。二人はなんと、のっぽさんの店がある駅に引っ越した。希美ちゃんは仕事を見つけ、それから毎朝ジョギングするようになった。もちろん、痩せるためだ。可愛い服をたくさん買って、それを着てのっぽさんの店に通った。もちろんのっぽさんは、彼女の期待に十分に応えた。

 遺失物捜索課には、携帯紛失の電話がかかってこなくなった。事件以来、社会は携帯にとても気を配るようになった。だから、太一の課は暇になるはずだった。だが、結果は逆だった。朝から晩まで、ジャンジャン電話がかかってきた。あまりに多いので、太一は樺島さん以外の全員を電話応対に回した。専用の電話機を増設し、事務所も本格的なコールセンターに改修した。

 電話の内容は、ほぼ人生相談だった。

「上司に、いじめられてるんです・・・」

「家庭のある人を、好きになってしまいました・・・」

「同期が昇格していくのに、私だけ出世できないんです・・・」

 こういう問い合わせに応対するためには、総合的な人間力が必要だ。だが太一は、自信があった。彼は、成功する方法は知らない。けれど、負けて挫折することなら知っている。彼は、故野村克也さんの真似をした。コールセンターの終業を一時間早め、毎日二時間、部下たちにミーティングを行った。テーマは、挫折だ。

「何で、人生相談を受けなきゃいけないんですか?」

 太一は、部下たちから質問を受けた。それは当然だろう。当社は、携帯電話の会社なのだから。

「バカもの。これは、チャンスだろう」と、太一は部下たちを諭した。「当社は、業界屈指の顧客サービスを誇る会社になったんだ。だから、人生相談までされるんだ」

「でも・・・」

「俺たちが、顧客の一番そばにいるんだ。営業の、最前線だ。お客さんの相談に乗って、その人の気持ちを和らげられたら?その人は、ずっと当社の顧客だぞ!家族にも、親戚にも、友人・知人にも当社を勧めるぞ!俺たちは、人生相談だけしてるんじゃない。一番確実な、販売促進活動をしてるんだ!」

 部下が手に負えない場合のみ、樺島さんと太一が電話を代わることになっていた。その日も、ある男性部下から相談を受けた。

「太一さん。女の子から、『お父さんが、お風呂のときに身体を触る』って電話なんですけど・・・」

「そりゃ、まずい!」太一は、椅子から少し飛び上がった。「危険だ。すぐ、代わるよ。俺が、その女の子と話す」

「こんにちは。若倉太一と申します」太一は、無理にでも、明るく挨拶した。

「あの・・・、おじさんは、どんな人?」と、その女の子は聞いた。声色に、怯えを感じた。だが、その震えはとても小さい。こういう問題に慣れていないと、きっと見過ごしてしまうだろう。

「そうですねー」と言って、太一は考えた。俺は、どんなヤツなんだろう?「うーん。頼りないタイプだけど、人の話を聞くのは好きです」

「そう・・・」その女の子は、何事か考えていた。「あたしの、話を、聞いてくれる?」

「はい。是非、お願いします。聞かせてください」と、太一は答えた。決して気張らず、普通に、冷静に。

「でもね、あたし、バカだから・・・。上手く、話せないかも・・・」

「おじさんもね、実は話すのが苦手ですよ。聞くのは、得意ですけど」と、太一は明るい風を演じながら言った。話しながら、その女の子の口調、言葉遣い、間、息遣い、その全てからヒントを探した。気づいたことは、すぐ手元のノートにメモした。

「あたし、お父さんが、怖いの・・・」と、彼女は言った。

「はい」

「夜になるのが、怖いの・・・」

「はい、わかりました」と、太一は答えた。「お父さんは、昼間はどんな仕事をされてますか?」

「うちはね・・・」

「うん」

「自動車のね」

「うん」

「修理の工場なの。家の隣が、工場なの」

「そうなんですね」

「お父さんと、お母さんと、あと他に三人いて、工場を経営してるの」

「なるほど」と、太一はあいづちを打った。「お父さんは、仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰りますか?」

「ううん」と、その女の子は否定した。それから、かなり長く黙っていた。

「はい」と、太一は定期的に彼女に言った。自分がずっと、彼女の話を聞いていると伝えたかった。

「毎日、工場の人と飲みに行くの・・・」

「なるほど。そうなんですね」

「夜、遅く、帰ってくるの」

「うん」

「真夜中なの」

「うん」

「あたし、寝てるのに・・・、起こしてお風呂に入るの。一緒に」

「うん」

「お母さんは、寝てるの」

「うん」

「お母さんはね、毎晩一人でお酒を飲むの。酔っ払って、朝まで絶対起きないの・・・」

「なるほど。そうなんですね」太一は、時計を見た。午前11時。今出発すれば、夕方までに日本中に行ける。「お住まいは、どちらですか?」

「・・・えっ!?・・・」女の子が、明らかに警戒するのがわかった。太一は、自分の考えを説明した。

「今日、これからお父さんと会おうと思います。夕方までに到着して、二人で話し合いたい。あなたは、いなくて大丈夫ですよ」

「・・・えええ・・・」女の子は、あまり気が乗らない様子だった。でもそれは、当然なのだ。

 子供は、純粋無垢だと人は考える。だが子供は、家族の平穏を何より望んでいるのだ。自分がお父さんのことを我慢すれば、家族は「見かけ上」平穏でいられる。健気に、そう考えるのだ。

 けれど、この道は太一の方が詳しい。彼女の我慢は、事態の解決には繋がらない。今日の夜が来る前に、至急手を打つべきだ。

「愛媛県の、・・・」女の子は、ポツポツと話し出した。太一は、google map に住所を打ち込んだ。ストリート・ビューを使うと、県道に面した自動車修理工場が見えた。向かいには、コンビニがあった。

「道の向かい側が、コンビニなんですね」と、太一は確認のため聞いた。

「うん、そう」

「google で、工場の電話番号もわかりました。この後で、お父さんに電話します。面会を、申し込みます」

「うーん・・・」彼女は、お父さんが怖いのだろう。私に告げ口したと、怒られるの恐れているのだ。そして、お母さんまで巻き込んで、家族の平穏が壊れてしまうことを。子供は、実はみんなのことを気遣っているのだ。

「まあ、ここは、おじさんに任せてください」と、太一は言った。「ところであなたは、今どこから電話されていますか?」

「駅前の、公園にいるの」

「うん」

「柵に腰かけて、電話してるの」

「うん」と、太一はうなずいた。「ところで、学校は休んだのかな?」できる限り、優しく聞いた。

「休んだ」

「うん、わかりました。疲れてるのかな?」

「そう、なの・・・。すごい、すごい・・・、疲れてるの」と、その女の子は言った。太一は、本気で焦ってきた。話しながら、スーツの上着を着た。鞄を足元で開け、中身を確かめた。必要なものは、揃っている。OKだ。

「はい、わかりました。ちなみに学校は、家の側の◯◯小学校ですか?」太一は、google map を操作しながら聞いた。

「ううん、違う」と、女の子は言った。「xxxx中学校」


 何だって!?太一は、手にしていたペンを床に落とした。


「な、何年生ですか?」

「・・・三年生。本当はね、あたし、受験勉強しなくちゃいけないの。でも・・・、そんな気になれないの」

 最悪だった。女の子が成長すればするほど、お父さんのすることはエスカレートするはずだ。太一は、もう我慢ならなかった。彼は、椅子から立ち上がった。ヤバいぞ、ヤバいぞ、ヤバいぞ、・・・。立ち上がってから、すぐしゃがんだ。机の下に潜り、落ちたペンを拾った。頭を二回、ガンガンと机にぶつけた。

「い、今すぐ、あなたの家に向かいます。お父さんに会って、あなたのことを話します。ダメなことはダメだと、はっきりお父さんに言います。約束します」

「・・・ううん・・・」彼女の心が、細く揺れるのを感じた。彼女は、お父さんと衝突したくないのだ。その気持ちもわかる。だが、太一はお父さんの気持ちもわかる。川島に、似ているからだ。

「すぐ出発します。空港に着いたら、こちらから電話しますね」

「・・・んんん・・・」と、女の子はまだ迷った様子だった。

「こんなに大事なお話を、お電話くださってありがとうございます」と、太一はお礼を言った。「弊社を代表して、心から感謝申し上げます」

「・・・んんん・・・」

「お名前を、お聞きしてもよろしいですか?」

「森菜々子、です」

「ありがとう、菜々子ちゃん」と、太一は力強く言った。「おじさんが、これから行くからね。すぐ、行くからね。もう、大丈夫だからね。今日の夜までに、何とかするよ。約束するよ」

「・・・わかったあ・・・」

 太一とその女の子は、ひとまず別れの挨拶をして電話を置いた。


 さあ、川島を止めろ。太一は、そう自分に命じた。関係者全員の、傷の悪化を食い止めろ。もう、手遅れかもしれない。今日までに受けた傷が、治癒することもないだろう。だが、今夜から傷を作らないことだ。治療とか予防とか、そんな大それたことはできない。でも、これだけはできる。誰かに、「やめよう」ということだ。誰かを、絶望させないために。誰かを、罪人にしないために。無駄かもしれない。でも、やってみよう。


 人は、愛される必要はない。ただ、誰かを守ればいい。それができれば、この世界は素晴らしい場所になる。

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殺人という甘美な誘惑 まきりょうま @maki_ryoma

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