第11話 懺悔室

 東京駅事件の前日に、太一は稲村さんに電話した。彼はサイバー犯罪担当の、チリチリパーマで小太りの人だ。紗理奈くんと明と、のっぽさんの店に入った。30分くらい飲んで話したら、二人はだいぶ落ち着いてきた。だから太一は、二人をのっぽさんに任せた。店を出て、大きな赤ちょうちんの隣に立った。稲村さんの名刺を見ながら、ダイヤルをタップした。

「こんばんは、若倉です」

「おお。こんばんは」と稲村さんは言った。少し驚いた様子だった。「ちょ、ちょっと待ってくれ。外に出る」彼はそう言って、電話を繋いだままどこかに移動した。電話口に、誰かがマイクを使って話しているのが聞こえた。マイクのひびき方から、そこは広い部屋だと見当がついた。ガサゴソという、大きな物音が数回した。その後、ピタッと静かになった。

「もしもし」と、稲村さんは言った。

「はい」と、太一は答えた。

「今、会議中だ。でも、廊下に出たから大丈夫だ。志田も一緒だ」と、彼は説明した。志田さんとは、長髪に無精髭のジーンズ男だ。

「会議をたくさんしたら、事件は早く解決しますか?」と、太一はたずねた。

「ハハハ」稲村さんと、志田さんも笑う声が聞こえた。音声を、携帯のスピーカーで流しているようだ。

「若倉さん。あなたは、相当な警察嫌いだね」と、稲村さんが言った。

「でもね。俺たちも、殺気立ってるんだよ」と、志田さんが教えてくれた。「治安の良い安全な国、日本。この警察の誇りが、汚されているんだ。上が、どーのこーの言う前にさ。とくにベテランたちは、プライドをズタズタにされてリヴェンジに燃えてるよ」

「頼もしいですね」と、太一は答えた。

「どこまでも皮肉だね」と、稲村さんが言った。

 太一は、のっぽさんの店の外で電話していた。店内のカウンターでは、のっぽさんの人生相談会が開催中だ。のっぽさんは、聞き役も得意だ。つくづく頼りになる人である。

 今日 、Iris の停止を試みて失敗したこと。因果関係は不明だが、部下が二人おかしくなったこと。太一は、二人にそのことを伝えた。

「Iris の挙動が、一時おかしくなったのは確認してた」と、稲村さんが答えた。

「きっと、あなたが何かしてると思ったよ」と、志田さんが言った。

「そちらは?」

「本日18時の時点で、国内に20台の Iris サーバーを確認してる」と、志田さんが答えた。

「20台?」太一は、頭痛がしてきた。

「でも、現時点だよ。夜中には、変わってるかもよ」と、志田さんは断った。

「それにね、国家機関はめんどくさいんだ」と、稲村さんが言った。「Iris は、私有財産の中に存在する。許可なく、警察が手出しできないんだ」

「つまり、令状が必要ってこと?」と、太一は聞いた。

「その通り!」と、志田さんがおどけて答えた。

「だがね、令状を得るには法的根拠が必要なんだ。しかし、こんな犯罪は初めてで、裁判所が固まっててね」

「動けないんですか?」

「その通り」と、また志田さんが言った。今度は、真面目な言い方だった。

「現行法規で、対応できないとなったら悲劇だ。内閣法制局と調整して、新法の草案を作る。国会にかけて、審議する。下手すると、二年かかる」と、稲村さんはため息をついた。

「野党は、財産権侵害だと騒ぐだろう。審査は長引くよ」と、志田さんが付け加えた。

「冗談じゃない。そんな長く、悠長に待ってる場合じゃないでしょ!」と、太一は抗議した。

「俺たちだって、新法案は反対だ。でも、この事件は難しいんだよ。初ものづくしだ」と、稲村さんが言った。

「AIの、道徳心を取り締まるんだから」と、志田さんが続いた。この人も皮肉屋だ。

「はあ」太一は、思わずため息をついてしまった。

「申し訳ないが、これが国家だ。若倉さんたちは、民間だから走れる。だが警察が、同じことをしたら必ず叩かれる。そういうものさ」

 そこへ、別の電話が入った。登録していない番号だった。「電話が入ったので、ちょっと待ってください」と、太一は断った。電話は、なんと笹俣からだった。

「よう。久しぶり」と笹俣は、軽い調子で挨拶した。

「久しぶり。ごめん。今、警察と話してるんだ」と、太一は伝えた。

「そりゃ、すまない。じゃあ、また後日にするよ」と、彼は恐縮して答えた。

「いや。もうすぐ、話は終わるんだ。すぐ、かけ直すよ」と、太一は言った。

「そうか、悪いな。ゆっくりでいいよ。どうせ俺は、暇だから」と言って、笹俣は電話を切った。

「すいません。大学の友人からでした」と、太一は稲村さんと志田さんに伝えた。

「いえいえ」と、稲村さん。

「若倉さんって、おいくつ?」

「40です」

「なんだ、同級生じゃない」と言って、志田さんが親しげに笑った。

「ホントだ。私も、40。志田も40。ざっくばらんに行きましょうよ」と、稲村さんが言った。

「了解です。40歳同士、楽に話しましょう」

「ははは、了解」と、太一は答えた。それから、大事なことを思い出した。「さっきIris に、『明日の朝8時に、東京駅で待ってる』って言われたんですよ」

「そりゃ、やめてください」と、志田さんが即答した。

「死体がさらに、一個増える。勘弁してくださいよ」と、稲村さんも言った。

「そりゃ、そうだ」

 三人とも、明日の東京駅で起こることを知らなかった。明日に比べれば、今夜は平穏な夜だった。親しげに挨拶をして、太一は電話を切った。

 一度、店の中に戻った。カウンターで、紗理奈くんが身の上話をしているところだった。女たらしの音楽プロデューサー。帝王切開と、死産。あの傷は、しっかりケアしないとずっと残るらしい。のっぽさんは、彼女の話に何百回もあいづちを打った。太一は、安心して席を外した。

「ちょっと、大学時代の友だちに電話してくる」太一は、明にそう伝えた。

「え?」明は、こんな時に?という顔をした。

「さっき、電話をもらってたんだよ」と、太一は説明した。

 もう一度、店を出た。太一は商店街を、駅とは反対方向に歩いた。というのは、笹俣との電話を、誰かに聞かれたくなかったからだ。ここの商店街は小さい。すぐに、静かな場所へ行ける。

 静まった商店街を歩くと、予期せぬことに気づいた。シャッターの下りた店は、大半がもう営業自体を止めていた。貸店舗、とかテナント募集という小さな案内が、シャッターの上部に貼られていた。

 太一が昔通った、「まんぷく食堂」という定食屋があった。ほぼ全ての定食が500円で、しかもご飯が大盛りだった。二十歳前後の若者には、とてもありがたい店だ。でも、もうその店はなかった。店があった場所は、更地になっていた。不動産屋の電話番号が書かれた、黄色い立て札だけぽつんと立っていた。

 太一は、駅の方へ振り返った。少し離れたところに、足繁く通ったミスター・ドーナッツがあった。彼は密かに、甘いものが大好きだった。ところがその店も、もうなかった。時間貸しの、駐車場に変わっていた。

 本屋、時計屋、スポーツ用品店、写真館、着物屋、・・・。みんな、閉店していた。太一は、正直びっくりした。この商店街は、営業している店の方が少ないらしい。彼はいつも、のっぽさんの店に直行するから見落としていたのだ。

 ゴースト・タウンだ。太一は、そう思った。時代が、変遷するのは当たり前だ。太一がもっと昔に生まれていたら、炭鉱や造船所を懐かしむだろう。生きた時代が違う。それだけのことだ。

 人々が去った商店街を進み、その終点まで来た。そこには、古い公園があった。。大きな樹がたくさん生えていたが、外灯が少ないので暗かった。商店街と公園の境目には、用水路があった。駅から離れた水田に、農業用水を送っているのだ。

 用水路は、道路の下の暗渠をくぐっていた。暗渠。川島が、三番目に殺した女の子は、暗渠で見つかった。まだ中学三年生で、夜に塾から帰るところを川島に捕まった。

 太一は、その用水路に下りた。ささやかな流れを見ながら、その側に腰を下ろした。雑草の上で、あぐらをかいた。それから彼は、暗渠を見つめた。その奥を睨んだ。もちろん、何も見えなかった。太一は、笹俣に電話をかけた。

「忙しいところ、悪いな。大変なんだろ?」と、笹俣は言った。「テレビでお前を見てさ、びっくりしたよ。老けたな、と思ったよ。そしたら、なんか話したくなってさ」

「今日の用は、全部済んだよ。だから、明日の朝までは空いているよ」

「そうかい。じゃあ、ちょっと時間をくれよ」と、笹俣は言った。彼は、機嫌が良さそうだった。

 笹俣は子供の頃、全身の八割に火傷を負った。友達と、火遊びをしたせいだ。彼は、その火傷をとても気にしていた。一生、女と寝ることはないと諦めていた。でも、今の彼に火傷はない。彼は二十代に、二割の正常な皮膚を八割の火傷の跡に移植した。何十回も手術を繰り返して。七、八年は、かかったと思う。

「笹俣は、忙しいのかい?」と、太一は聞いてみた。

「航空会社の、マイルが貯まるよ」と、彼は笑った。「俺は、基本『ヤバいところ』担当だから。毎年、日本には半年もいないよ」

「今は、どこがヤバいの?」

「最近は、平和だよ」と、彼は答えた。「ISがいなくなったからね。アフガニスタン、シリア、クルド人居住区、イエメン、スーダン。この辺りかな、今は」

 笹俣は、新聞記者になるのが夢だった。でも彼は、記者の試験には受からなかった。どの新聞社、雑誌社も。その代わり、彼はカメラマンとして採用された。大学のうちに、カメラの専門学校にも通っていたからだ。彼は、用意周到な男だった。火傷という大失敗が、彼を緻密な、リスク管理を徹底する男に変えた。

「お前は、大変だよな」と、笹俣は太一の話を始めた。「他のキャリア(=通信会社のこと)も含めたら、犠牲者は100人超えてるんだろ?とんでもねえ話だ」

 同業他社が、自分の顧客の調査を始めた。本日時点の死者は、太一の会社が45名。D社が、10名。K社が、39名。S社が、20名だった。最王手のD社が本腰を入れれば、死者数はさらに跳ね上がるだろう。

「今の若者が、携帯の通信ゼロなんておかしいでしょ。詳しく調べたら、こんなことになったんだ」と、太一は説明した。

「なんかさ、俺たちは身近に死人がいるじゃん」と、笹俣は神妙な様子で言った。「他人事じゃない気がしてしてさ・・・。それで、お前と話したくなったんだ」と、笹俣は言った。

「それはつまり・・・、川島のことを言っているの?」太一の口調は、いつの間にか、大学時代に戻っていた。

「そうだよ」少し間をおいて、彼は白状するように言った。

「僕は、ずっと川島と一緒にいるんだ」と、太一は笹俣に言った。「今回のことも、川島の経験が役に立ってる」

「ははは。それって、役に立つって言うのか?」笹俣は、豪快に笑い飛ばした。でもすぐに、真剣な様子に変わった。「俺はさ、ずっと後悔してるんだ」

「何が?」

「あのとき俺は、俺は川島に絶交を宣言した。あいつが死ぬ直前に。あいつは殺人のせいで、自らイカれてたからね。お前も、あの場にいたよな」

「うん。そうだった」と、太一は同意した。

「でもさ、あれが最後だったんだぞ?!」

「最後って?」と、太一は聞いた。

「川島に会ったのは、あれが最後なんだよ」と、少しイライラした様子で笹俣は言った。「殺人鬼とはいえ、絶交したまま死なれるってなんかな・・・」

「そうか。気にしてたんだ」

「そうだよ」と、彼は即答した。「だけどさ。川島が死んだあと、俺たちはこんな会話もしなかったな」

「・・・そうだね」太一は、暗渠ではなく用水路の水面を睨んだ。チョロチョロと、弱々しく水が流れていた。ただ、流れていく。誰も、気にも留めない。

「僕は」と、太一は発言した。「笹俣が、『絶交だ』って言ったあとに、川島の家に行ったんだ。あいつの家で、少女の死体を撮った写真を見つけた・・・」

「その話は、初めて聞いたぞ」と、笹俣は言った。でも、彼は優しく言った。太一を責める気はないと、言外にほのめかした。

「そうだった?」太一は、不思議な気持ちだった。本当に、話さなかったんだっけ?

「川島が、死んだあとさ。俺は、川島から逃げた。あいつの記憶もひっくるめて、あいつと係わるもの全てから撤退した」そう、笹俣は言った。

「そう、だね・・・」と、太一は同意した。

「なあ、太一。お前もだぞ」と、笹俣は言った。

「え?!」

「お前も、川島から逃げた。だから、俺からも逃げた。川島の記憶に、含まれる俺を捨てた。でも、俺だって同じことをした。太一を捨てた。俺たちは、事件を境に友だちを辞めた」

 おかしいな、と太一は思った。最近なら、よほどのことがないと動揺はしない。感情が揺さぶられたりしない。しかし今は、まるで潮の流れに飲まれたようだった。圧倒的で、動かし難い思念が、太一を支配した。

「・・・」

「なあ。川島は、醜かったよな?」と、笹俣は言った。

「・・・うん・・・」太一は、仕方なく答えた。

「醜さの点では、川島は完璧だった」と、彼は言った。「あいつは死ぬ前に、『差別に慣れた』って言ったんだよな?」

「・・・うん。僕に、そう言ったよ」

「差別に慣れる、なんてないよ。諦めて、服従はする。でもね、チャンスがあれば復讐するよ。俺は、戦場ばかり行ってるからさ。もう、慣れっこだよ」

「うん」

「でもさ。お前と川島が好きだったバンド、・・・ニルバーナ?」

「うん、好きだった」

「あのリーダー、カート・・・?」

「カート・コバーン」と、太一は教えた。

「あいつ、自殺したんだろう?」

「そうだよ。拳銃で、自殺した」

「いい男に、見えたけどな。結婚して、子供もいたんだろ?」

「そうだよ」

「わかんねえよな」と、笹俣は言った。本当に不思議そうだった。

「ねえ、あの頃さ」と、太一は言った。

「うん」

「僕と川島が、ロックの話してるとさ。笹俣は、いつもつまんなそうだったよね?」と、太一は聞いた。

「つまんなかったよ」今でも腹立たしそうに、笹俣は答えた。

「お前が、一度さ。『ロックなんて、みんなラブソングだ。ラブソングは、いい男といい女がカップルの歌だ。醜い俺たちには、関係ない』って言ったよね」

「言った」と、笹俣は短く答えた。「覚えてるよ。だって、今でもそう思ってるからな。俺は、音楽を聞かない。いや、芸術に興味がない。なぜか?それは、美しいものだからだ。俺には、関係ない」

「笹俣らしいな」吹き出しながら、太一は言った。「こうも、言ってたな。『俺の火傷を、気持ち悪いと言う女は殺す』って」

「それはちょっと、誤解があるな」と、笹俣は答えた。「俺と寝る気になった女が、そう言ったら殺すと言ったのさ。他の女が、俺をなんと言おうと気にしない。だけど、寝る気になるまで心を許した相手に、傷つけられたくなかったのさ」

「火傷の跡は、もう治ったんだよね?」太一は、念のため聞いてみた。

「まあね。でも、移植した皮膚は不自然だよ、やっぱり。ツギハギの身体だな。ははは」自虐的に笑ってから、笹俣は真剣になって言った。「太一。お前が見つけた事件だけど」

「うん」

「俺、わかる気がするんだよ」と、笹俣は声を潜めて言った。

「え?」

「俺も若い頃なら、あの犯人たちと同じことをしたかもってね」

「えっ!?」

「別に、川島の真似をするわけじゃないぞ。ただ、誰かを殺したいくらい、あの頃はキツかった。若いからってだけじゃない。世間は、俺たちを差別した。容貌も、学歴もな。我が母校は、今でも嫌いだ。偏差値が低いからね。あそこに、通っているのもつらかった」

「でも、今はみんな解決したでしょう?」

「年を取ったからな。でもできることなら、若い頃に普通でありたかったよ。普通の友だちを作って、普通の彼女と付き合って」

「ラブソングが、聴きたかった?」

「ハハハ。そうなるな」と、笹俣は答えた。

 電話を切り、店に戻った。ちょうど明が、涙ながらの告白をしているところだった。のっぽさんも紗理奈くんも、熱心に話を聞いていた。時計を見ると、深夜12時。けれど、紗理奈くんと明は、帰る気配がない。ま、しょうがない。


 東京駅事件が、鎮圧された次の日のことだ。Iris から、明にメッセージが届いた。今日の11時に会いたいと。時計を見ると、あと五分だった。

「か、か、か、かちょー!!!???」明は、もうパニック状態だった。

「ここに、来るんでしょうか?」山田さんも、不安そうな声を出した。

「まさか」と、太一は言った。事前登録なしに、受付の警備は突破できない。

 事件以来、遺失物捜索課はまるでお通夜だった。あの大事件に、自分たちが深く関わっていた。世間を騒がせ、注目を浴びた。そこへ、あの惨事が起きた。誰もが、沈痛な表情だった。何か、特効薬を探していた。この状況を、打開する薬だ。

 明に、さらにメッセージが届いた。テキストファイルが添付されていたが、パスワードが掛かっていた。樺島さん、山田さん、紗理奈くんが明を囲んだ。みんな、彼のPCを覗き込んだ。

「パスワードは?」と、樺島さんが聞いた。

「ちょっと、ま、待ってください」と、明は答えた。彼は、なんとか落ち着こうと努力した。

「明ー。頑張ってえー」紗理奈くんが、明の右肩をつかんでせっせと揉んだ。

 3分くらいで、明はパスワードを解いた。すると、さらに別のメッセージが来た。今度は、文面にURLが書かれていた。

「開きますか?」と、明が太一に聞いた。

「開こう」と、太一が答えた。

「行きます」

 現在のメールは、社内に届く場合にチェックを受けている。ウイルス・メールに、スパム・メール、フィッシング・メール、怪しげなサーバのURLが記載されたメール、・・・。もちろん、100%ではない。だが以前より、ずっと安心になった。

 明が、URL をクリックした。すると、中央に動画を表示する枠が現れた。その中には、暗い部屋が映っていた。狭い部屋で、締め切った厚いカーテンから日が差し込んでいた。テーブルがあり、柔らかそうな椅子も見えた。ここは、書斎に見えた。

「これは・・・」樺島さんが、そう言った時だった。

 画面に、男が現れた。30歳くらい。痩せていて、背が高そうだった。ダークスーツに、サングラス。それから、マスク。髪は長そうだが、オールバックにしていた。彼の口が、動いた。

「明、ボリューム!マイクも!」紗理奈くんが、叫んだ。

「はい!」

 明は、PC に付属のマイクとスピーカーを ON にした。

「こんにちは。若倉さん」と、彼は言った。落ち着いていて、自信満々に見えた。

「こんにちは。若倉です。ちょっと、準備しますので、お待ちいただけますか?」と、太一は聞いた。

「いいですよ。ごゆっくりどうぞ」と、彼は行った。

「どうするんですか?」と、山田さんが聞いてきた。

「奥の会議室、会いてるよな?そこへ、移動しよう」と、太一は言った。「明。会議室のモニターに、PCを接続して。山田さんは、カメラとスピーカーを用意して」

 二人は、走って会議室に向かった。太一は、遺失物捜索課のみんなに呼びかけた。

「これから、Iris に関係ある人と話す。残忍というか、気持ちの悪い話になるかもしれない。それでも、話を聞きたい人は手を上げてくれ」

 樺島さんが、すぐ手を上げた。田口と吉元が続いた。みんな、お互いの顔を見合っていた。迷った末に、紗理奈くんも手を上げた。

「よし」と、太一は言った。「会議室に入ったら、カメラの死角に座ってくれ。顔が割れているのは、俺だけのはずだから」

「はい!」みんな、はっきりと返事をした。こんないい返事、この課に来て初めて聞いた。太一は、少し苦笑いした。

 太一たちは、会議室に急いだ。部屋に入ると、サングラスの男は、椅子に座ってじっと待っていた。太一だけが、カメラの正面に座った。他のみんなは、両脇に分かれて座った。

「お待たせして、すみませんでした」と、太一は彼に詫びた。

「いえいえ。私こそ、突然お邪魔してすみません」と彼は答えた。それから「お話をするには、名前が必要でしょう」と言った。

「はい。私は、若倉太一と申します。遺失物捜索課に、勤務しております」

「私は、仮に『ルキフェル』と呼んでください」と、男は言った。

「わかりました」と、太一は淡々と答えた。だが出鼻から、彼はこの男にカチンときた。

「若倉さん。私はこう見えて、子供のころはキリスト教徒だったんです」

「そうですか」

「子供の頃は、親に手を引かれて無理矢理に教会に通いました」

「はい」ルキフェルなる男は、一言ずつ間をとった。だから、太一はその度にあいづちを入れた。

「教会には、懺悔室がありました。大人たちは、こそこそとその部屋に入ったものです。私は、子供心に思いましたよ。何を話しているのかと」

「なるほど」

「でも、今日はそんな気分なのです」

「はい」

「若倉さん。私は、あなたに懺悔したいんです」

「わかりました」太一は、この男にイライラした。この勿体ぶった言い方は、こちらを見下しているからだ。俺の話が聞けて、光栄だろう。ルキフェルは、そう言いたげだった。

「私は、昔から不思議だったのです」

「はい」

「なぜ、人間には天敵がいないのか?とね。これでは、人間が繁殖するのは当たり前だ。飢饉や戦争があっても、犠牲者などたかが知れている。いずれ人間は、地球の資源を食い尽くすだろう、とね」

「なるほど」

「キリスト教では、人間は神に似せて生まれたとされる。だから、神の寵愛を受けている、と。私は、この説明に納得できなかった」

 ルキフェルは、椅子を座り直した。彼は少し、身を乗り出した。気分よく話しているのがわかった。

「そうですね。納得できませんね」太一は、ルキフェルにとことん合わせることにした。

「私は、人為的に作る必要があると思った」ルキフェルは、わざとここで言葉を切った。

「何を、ですか?」彼は、こう聞いてほしいのだ。

「人間の、天敵だよ」と、彼はふてぶてしく宣言した。

「え?」

「私は、自分の指を使った。十本あれば、十分だ。そして史上初の、人類の天敵が生まれた」

「それは、何ですか?」と太一は、彼に聞いてやった。

「Iris だよ。食物連鎖の頂点に立つ、画期的な生物だ。しかも彼は、人間を捕食しない。彼には、電気さえあればいい。だが電気なしに、人間の生活は成立しない。生態系は、新しい主人を得たんだよ」

「このバカ。いい加減黙れ!」と、太一は怒鳴った。急に怒り出した太一に、部下たちはびっくりした。だが彼は、心底腹が立っていた。椅子から立ち上がり、モニターに近づいてルキフェルを睨みつけた。

「な、何だね。若倉さん」少しうろたえた様子で、彼は言った。

「昨日考えた、でっち上げ話をペラペラしゃべるな。薄っぺらくて、聞いてられないよ」

「か、課長・・・」と、樺島さんが言った。とても、焦った表情だった。

「まずいよ・・・」と、紗理奈くんもつぶやいた。

「ちょっとだけ、お前の話に付き合ってやる。Iris が人間の天敵だとして、彼は今年何人殺せばいい?100万か?1,000万か?1億か?自分に十分な量を捕食して、食物連鎖は成り立つ。これをお前は、どう説明する?」

「・・・」ルキフェルは、黙ってしまった。台本にないことは、話せないタイプだ。

「別の観点から言おう。殿様バッタや、ミドリムシにとって、食物連鎖は意味があるか?」

「・・・」

「意味はないよ。食物連鎖なんて、人間が勝手に考えた美学に過ぎない。殿様バッタが大繁殖したら、人はその数を調整しようとする。だが、まず上手くいかない。殿様バッタは、勝手に増えて勝手に減るんだ。つまり、食物連鎖を調整できる人間なんていないんだ。そんな人間が、人間の天敵を生み出せるわけがない!」

「・・・」ルキフェルは、ずっと黙ったままだった。太一は、何だか情けなくなってきた。

「ルキフェルさん。あんたは、もういいよ。荷物をまとめて、実家に帰れ。ママの部屋で寝ろ。お前に指図してるやつに言え。うちの会社は、『本物』しか相手にしない。いいな」

「・・・」ルキフェルは、すっかり小さくなって見えた。最初の偉そうな態度は、すっかり消え失せていた。今の彼は、パッとしないサラリーマンに見えた。

「明。切断していいぞ」と、太一は言った。彼は、とても怒っていた。

「いいんですか?」と、明は自信なさそうに聞いた。

「いいよ。切断しろ」と、太一は答えた。モニターから、動画の枠が消滅した。

「自分のことを、ルキフェル=サタンだなんて名乗るやつは絶対にバカだ。相手の気持ちが見えてないからだよ。自分の言葉を、相手がどう思うか想像できないんだ」

 太一の怒りは、なかなか鎮まらなかった。樺島さんたちには、正直言って迷惑だった。

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