029.形だけの墓参り
霊園は安らいだ空気に満ちており、人の居ない事が何処か神聖な雰囲気を形作っていた。色も形も様々な墓が、風にも雨にも動じずに静かに眠っている。
フェンは目的の墓の前で、暫くの間――とは言ってもほんの十分程度だが、特に何も考えずに佇んでいた。故人を悼むのでも無く、かつてを思い返すでも無く、風雨に少しばかり黒ずんできた墓石を見つめ、感慨もなく煙草の煙を吐き出していた。
墓石には『マクワイア・オンデミッド』と刻まれている。二年前に塵と消えた彼の友であり、かつてはキーラ含めた三人でトリオを組んでいた。
どのようにして彼が死んだのかは知らない。ただ、とある戦場で分断された後、彼だけが戻って来なかったというだけの話だ。
もし仮に、死体がこの墓の下に眠っていたのならば、彼の態度は変わったのだろうか?
そうでもあるまい。
傭兵の死に死体が残る方が珍しい。それ程の破壊が戦場には振りまかれ、命は簡単に砕け散っていく。そうして痕跡も残さず消えていった人々を彼は知っていたし、それについて何かを思うような感覚はとっくの昔に消え去っていた。ただ、何となくの義務心のようなものがこの墓を作らせたし、セブンクロスに訪れる度に墓参りをさせる。
死に対するイベント――例えば葬式だったり、埋葬だったり、それら全ての事は、残された側の心の整理のために行われる。死を受け入れ、世界が変わった事をしっかりと心に認識させるために行うものだ。
彼にはそれは必要無かった。誰が相手でも、死んだ瞬間にキッパリと割り切り、それ以上の何かを必要としない。死んだのならば死んだ、それだけだと受け入れる事が出来る。
自分でも出処の分からない義務心のみでやって来た墓参りで、感傷的になれるはずもない。
彼の墓参りは毎回、ほんの十数分、この場で煙草を揺らして終わる。ただこの国にやって来た時に行う儀式めいたものでしかなかった。
長く煙を吐き出した後、彼は振り返った。墓に囲まれた道の先で、リシアがじっと佇んでフェンの方を見ていた。大方墓を見舞っている――ように見える彼に気を使い、近づいて来なかったのだろう。
振り返ったフェンは帰ろうかと思いながら、一歩踏み出した。その時には、リシアは足早にフェンの方へと近付いてきていた。
「すみません、ちょっと風に当たりたくなったもので」
リシアの言葉に、フェンはどうでも良さそうに軽く頷いた。不躾に覗いたことを謝っているのだろうが、別に大したことでは無い。そもそもフェンにとって、墓参りに何かしらの思いなど無いのだ。一人で祈る様なものでも無いし、見られようが何されようが何も感じない。
リシアはマクワイアの墓の方を一瞥して、一度だけ瞑目した。一応は墓だ、冥福でも祈っているのだろう。自分よりも明らかに心のこもっている所作に、フェンは多少はマシな墓参りになったかと思った。
友人の墓参りだというのに、大して知らぬ他人の方が死者を慮っているというのも情けないが、まあ、真心を捧げられるだけ上等な部類だろう。
死んでも誰にも見向きもされず、記憶にも残らない人間など掃いて捨てるほど存在する。
彼らの存在は戸籍表の一行、あるいは数バイトのデータと成り果て、やがて炎か何かで完全に消滅させられるだろう。
それが普通なのだ。
「もう出ようか」
「あ、はい」
最早用は無いと、フェン達は車に戻った。雲模様も悪くなってきており、西からの風は生ぬるい。こりゃ一雨来そうだなと心中で呟き、エンジンをかけてアクセルを踏み込んだ。
◆
予想通りを言うべきか、
「……いつ死ぬかと冷や冷やしっぱなしでしたよ」
「いや……晴れなら四時間で着いてたんだ」
「いつもこんな速度を出しているんですか? いくら無制限とはいえ、限度ってものが……。というか、何でこんな速度が出るんですか。乗用車のリミッターは200㎞/hでしょう」
「キーラ……友人が金にものを言わせて改造したんでな。カタログでは400まで出るらしいが……」
「それは車と呼んでいいのですか……?」
「形は車だろう?」
雨音とエンジン音、ラジオ音楽が車内に響く中、フェンは時計を一瞬確認し、溜息をついた。
「この分だと、着くのは明日の朝になるな」
リシアはその言葉に、びっくりした様に目を見開いた。
「まさか、これからずっと運転するつもりですか」
「そのつもりだが」
「いえ、お急ぎなら構わないのですが……流石にずっと運転し続けるのはきついのでは?」
「ああ、事故を起こさないか不安なのか」
「いや、まあ……はい。どこかで一度休んだ方がいいと思います。昼からずっと運転しっぱなしでしたでしょう?」
フェンは徹夜にも慣れているので、たかが丸一日運転を続けたところで大して問題はない。が、彼のことをよく知らない人間は冷や冷やするだろう。少しでも車に触ったことがあれば、眠らず丸一日運転を続けることのきつさが分かるだろうし、更に彼は300㎞/hを平気で出すスピード狂にも見えるのだから。
「そうだな、そうしよう。いい時間になったら降りてどこかで一泊するか」
「ええ、その方が安心です」
フェンはデバイスを取り出すと、ハンドル片手に電話をかけた。数回のコールの後、静かな声がサウンドスピーカーから聞こえてきた。
『ノエルです。フェンさん、どうしました?』
「そっちに戻るのは明日になりそうだ。すまないが、リン達の面倒を見てやってくれないか」
『分かりました。何かトラブルでも?』
「いや、今日は安全運転で行くことにしただけだ」
『ああ、なるほど……良い心がけだと思いますよ。それと、お兄様にさっさと戻って来るように連絡してくれませんか? 逃げ出して連絡がつきませんの。大方私達からの連絡を無視しているんですわ』
「分かった。俺も繋がるかは分からないが、一応連絡しておこう」
『よろしくお願いいたします。リンさん達の事は御心配なく』
「ああ、ありがとう」
通話を終えると、続いてキーラへと連絡を回す。が、何度コールしようがキーラは出なかった。通信自体は出来ているので、ミュートにでもして無視しているのだろう。
「こりゃ無理だな」
早々に諦めたフェンは、デバイスを放り出して運転に戻った。
雨はますます酷くなり、空気は刻々と暗くなる。昼間の天気と比べると、あまりの変わりようだ。思わず天へと目をやる。真っ黒な雲が一面に広がっており、時折雷の様な光の筋が瞬く。何とも暗澹たる空模様で、悪い時期に帰ってきたと長い息を吐いた。
「早めに降りるとしよう。こんなに悪くなるとは思わなかった。今度から天気予報は欠かさず見なけりゃな」
リシアも頷いて賛成したので、フェン達を乗せた車はインターチェンジから降り、一般道へと入っていった。
◆
フェンが霊園に足を運んでいた頃――キーラは早々にお説教から脱出すると、雑多な街に下りて酒を飲みながらぶらついていた。一時的に抜け出したとはいえ、まず間違いなく再度捕まり、更なる雷を落とされる事は決定事項である。が、それは未来の事であり、現在は憂いなく自由を謳歌していた。
際限なく酒を胃に流し込み、明らかに酔った顔をして人混みの中をぶらつくキーラ。よたつく千鳥足にも関わらず、不思議な程人にぶつからない彼は、不審者を見る目を周りの人間から向けられていた。
「んんー、やはりワンダフル! 今年の葡萄は当たりらしい!」
キーラは透き通る黄金色のワインを、瓶で飲み続けている。そもそもワインとは芳醇な香りや目で楽しむ色合い、舌触り、飲んだ後の鼻へ抜ける香気、様々な食事を引き立てる役割――もしくは食事と併せて引き出される味の真髄――含めての価値があるのだが、酔っ払いには何よりも腹の中へ納めることだけが重要である様だった。
とはいえ、彼にもまだ理性は残っていた。彼の瞳はきっちりとした景色を映しているし、その気になればまともな歩き方も出来る。楽なので体の制御を手放しているだけだ。
「おっと、珍しいな」
キーラはふらふらと視線を動かしていたが、街角に目を止めると、迷わずそこに足を向けた。
その建物は小さいがきっちりと掃除の行き届いた、なんというか公共施設の様な趣のある建物だった。全体的に白を基調とした、つるつると綺麗な建物だ。そして、何より“希薄”な場所だった。殆ど全ての人間が意識にも入れずに素通りするであろう。場所の存在感を決定する雰囲気というものが皆無なのだ。この建物からは直感的に感じとれるものが何も無いのである。空間にぽっかりと空いた盲点のような、そんな建物であった。
「こんな所に
キーラは眉を顰めながら建物の名を確認した。ドアの上に取り付けられた看板には、たった一文字、「W」とのみ書かれていた。彼はドアの前に立ったが、一向に開かない。壁に目をやると、四角いセンサーが取り付けられている。
「カードキー式か。面倒だな」
キーラはそう言うと、試しにドアを叩いた。ガラスの様な見た目だが、どちらかと言えば金属を叩いた様な感じがする。感覚から手持ちの銃弾は役に立たない事を悟った。
「闇市場はカードキーなんて導入してねえしな。となるとここは……VIP用か!」
キーラは指を鳴らして納得すると、侵入するためにあれこれ行動し始めた。まずは建物の全体を眺め、侵入できそうなところを探す。闇市場と同じセキュリティならば、そんなものある筈無いのだが、一応は確認である。
「窓がねえな」
建物の外観を確認していると、キーラはふとそんな事に気が付いた。外界との繋がりはたった一つのドアのみであり、そのドアも固く閉じられている。見た目はこざっぱりと綺麗なのだが、何とも陰気な造りである。
どの壁も破れそうな硬さでは無く、爆薬すら無意味だろう。人型機を持ち込めばすぐに壊せるのだろうが、街中に人型機等持ち込めるはずもない。
何より、闇市場に殴り込みなど自殺と同じである。ここは壊せても、すぐさま闇市場の用心棒共が殺しにくるだろう。穏便な侵入が肝要なのだ。
「うーむ……」
キーラは壁に背を預けて頭をひねった。建物が頑丈過ぎて、侵入の手立てが見つからないのだ。彼にとって、扉とは爆薬と銃弾でぶち破るものである。それが出来なければお手上げだ。
一応、正規の入り方――つまりはカードキーを手に入れる事も、時間と多少の努力さえあれば可能ではある。だが、彼は待つ事も、面白くもない苦労をするのも大嫌いなのである。
あと考えつく方法といえば、知り合いのハッカーに頼る事だ。彼ならば、カードキーなどどうにでも出来るだろう。しかし、生憎彼は別の国である。最悪連れて来る事も辞さないが、待つのはやはり面倒だ。
何度か考えて、やはり今すぐに入るのは無理そうだと、何度目かの結論が出る。溜息を吐き、仕方なくハッカーを呼び出そうとデバイスを手に取った。
「よう、今どこだ? ちょっと用事あるから来いよ」
『ん、んー? キーラか、相変わらずいきなりだな。何の用だ?』
「ドアが開かねえんだよ。電子式だから、お前ハック出来るだろ」
『そんな事で呼びつけるな……俺もそれなりに忙しいんだぞ? つーか爆弾使えよ。お前の十八番だろ』
「無理無理、硬すぎる」
『は? お前それ絶対まともな所じゃないだろ。嫌だよ』
「闇市場のVIP用だぜ、多分」
『死ぬ気か? 絶対行かねえわ』
通話は一方的に切られ、その後は着信拒否されたのか、一向に繋がらなかった。
「次会った時にぶち殺すか」
キーラはそう呟き、デバイスをポケットに滑り込ませた。頭を掻きながら座り込み、「面倒くせえなぁ……」と呟く。地味な努力をしなければ入れないのならば、もうこんな所どうでもいいかな……と思い始めた。実に迅速な断念であるが、その場その場の気分で生きているキーラにとっては、面倒は何よりも忌避すべきものなのである。
舌打ちをしながらワインを喉に流し込んだのと同時に、扉の開いた音がした。瓶に口をつけたまま首を回すと、まさに入ろうと四苦八苦していた建物の扉が見事に開き、誰か小さな人影が中へ入っていく姿が見える。キーラは即座に立ち上がると、中へごく自然な調子で入っていった。その足取りは迷いなく、不法侵入への
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