022.ロスト・レガシー




 存外に軽い足取りで、エルネスはホテルまで帰った。結果を清々しい程に受け入れきって、先の事しか見てない彼女は、ことによると明るい雰囲気すら出していたかもしれない。


「ただいまー。負けたわー」


 部屋の扉をニコニコと明るく開いたエルネスは、彼女の敬愛するシーナが室内にいないのを見て取った。代わりに、白いドレスの女と、東洋民族服の男が、呆気に取られた表情でエルネスの方に目を向けていた。


「可哀想に……負けて頭が狂ったらしい」

「こら、言い過ぎです。ですが、エルネスちゃんらしくは無いですねえ。負けたらいつもへこんでたのに」


 エルネスは部屋にいた二人を尻目に、スタスタと中へ入った。室内はエルネスが以前見た時よりも僅かに充実していた。エルネスが留守の間にやって来た二人の荷物が増えている。


「先輩は?」


 彼女の疑問に答えたのは、壁際で佇んでいた白いドレスの女――セラフィータである。


「軍令部に呼び出されていますね」

「お前が負けたからな」


 もう一人の男――チー武求ウーチョウの言葉にも、エルネスは予想していた様な顔付きであっけらかんと答えた。


「そっかー。私も行った方がいいのかしら?」

「よせよせ、お前みたいな馬鹿が行ったらあいつの胃が持たん。全部任せておけばいいんだよ」

「シーナちゃんはそれなりに慣れてるから、大丈夫ですよ」


 二人の言葉を聞くと、エルネスは納得した様に頷いた。自身の弱さで迷惑をかけるのは心苦しかったが、今の彼女にやれる事は無い。二人の言う通り、大人しく待っているのが最善である。


「それじゃあ二人とも、私を鍛えてよ」

「はァ? お前の教師はシーナだろうが」

「そうだけど、いないんだから仕方ないじゃない」

「別に私は構いませんが……」

「お願いするわ! 斉はもういいわよ」

「クソガキが、負けてもなんにも変わっちゃいねえ」


 斉の溜息を流して、エルネスは懐からデータメモリを取り出した。部屋に備え付けの再生機器に繋ぎ、手早く画面を映し出す。


「エルネスちゃん、それは?」

「フェニックスで記録した映像データだろ」

「そうよ! これから反省会をするのよ!⠀斉もアドバイスくれてもいいわよ!」


 エルネスは元気よく答えたが、急に声のトーンが落ちた。瞳孔が暗黒に広がり、肌に影が指す。泥土の中から響いてくるような、苦しみと狂気を孕んだ声が、静寂の室内に響いた。


「私はあいつを殺すのよ……」


 セラフィータと斉は、年端も行かぬ少女から出たとは到底考えられない様な不気味な声を聞いても、眉をほんの僅かに動かしただけであった。尤も、内心ではそれなりに驚いていたのだろう。二人の口からはほぼ同時に、「ふぅん……」という呟きが漏れた。


「だから、アドバイスをどんどん頂戴! 鍛えまくって、強くなるわよー!」

「躁鬱かこいつは」

「今日一日で随分と変わりましたねえ。私も付いていけば良かったかもしれません」


 話している間に映像は始まり、風吹く荒野を見下ろす景色がウィンドウ内に輝く。戦闘の始まりからある程度のところまで、映像の中では順調に進んでいた。


「悪くないですね」

「普通だな。この程度の戦場なら問題無いだろう」


 セラフィータと斉はそれまでの戦闘の様子を評し、そこまで悪くないと評価を与えた。まだ経験が足りないとはいえ、ウロボロスで鍛えられたエルネスが弱い筈もなく、問題のある行動を取ったとは言いがたかった。


「ミスは少ない。負けたのなら、単純に地力が足りないんだろ」

「それくらいしか考えられませんねえ。エルネスちゃんはまだ発展途上ですから、訓練を続けて実戦に出れば、実力は伸びるでしょう」


 映像は佳境に入っていた。クラックロイドがふらつきながらもフェニックスの一撃を躱し、しかし追撃の一撃をぶち込もうとし始めたところだ。


「私がぶっ殺したいのはこれから現れる奴よ!」


 斉は眠そうに、セラフィータはニコニコとした表情で画面を眺めていた。それまでの映像の中には、エルネスの成長は分かれど、戦闘者としての二人を驚かせるような事は何も無かった。故に、彼らは多少散漫な気分で映像を眺めていた。

 彼らはエルネスを負かしたという誰かしらに対しても、そこまで気を傾けていなかった。エルネスは彼らに比べるとまだまだ弱く未熟であり、一番の新人だ。負ける事も当然有りうる。

 エルネスの垣間見せた奇妙な様子には興味を引かれたが、エルネスがウロボロスのメンバー以外に敗北するのは初めてであり、つまりは初の現実的な敗北である。初の敗北に対する乱れた心持ちが原因だろうと彼らは思っていた。

 この場にシーナがいれば、教官でもある彼女はエルネスの異常な様子に気付いただろうが、彼ら二人はシーナ程にはエルネスを知らないのだ。


 画面の向こうで音が限界を超えて破裂する。クラックロイドを破壊せんと風を切る砲弾が、光の様な一閃に断たれ、燃える運動エネルギーは二つに分かたれた。


 刃こぼれ無き黒い剣、灰色の地と乾いた空の間に立つ白いシルエット。

 その機体――彼らの記憶に残っている白い機体の姿を見て、二人の視線は一気に鋭さを増した。


「あれは……クロノス?」

「懐かしいスクラップじゃねえか。中身まで当時のまま……な訳はねえか」


 一瞬にして二人の脳裏には、古くもあり新しくもある戦争の時代が蘇った。ウロボロスも世界も、当時とは変わった。しかし、長らく日を浴びていないであろうその機体だけは、かつてのままにあった。


「クロノス?」


 唯一この中でクロノスを知らないエルネスが、獲物を見つけた狩人の様な瞳で二人に尋ねた。この機体の事となれば、エルネスは人が変わったよう全てを知ろうとした。それは全て、未来の勝利のためだ。


「私も一応帰ってくるまでにちょっと調べたんだけど、この機体の事は分からなかったわ。二人は知っているの?」

「ああ……ありゃいつの事だった?」

「十年前ですよ」

「そうだった、ダウニンゲルだ。しかし今の今まで残ってるとは驚きだなあ」


 ダウニンゲルという名は非常に有名である。かつて存在し、今は分裂して消え去った国。血で血を洗う戦争を始めた国の名。

 エルネスも、十年前に起きたその戦争の事は知っていた。その時、ウロボロスが悪夢の様な力でダウニンゲルに致命傷を与えた事も。


「あの機体はクロノスと言います。あれは……そうですね。元々ウロボロスの機体だったのです」

「ウロボロスの?」

「正確には、インフィニティがかつて開発した機体のうちの一つです。ウロボロスに配備される予定でしたが、余り使用に堪える機体では無かったので、一度だけ戦争に出して、その時にロストしました」

「それがダウニンゲル戦争の時?」

「ええ」


 エルネスは多少の驚きを持ってその話を聞いた。彼女は図らずもかつての同胞の機体と戦った訳だ。エルネスの中にあるクロノスという存在の影は、急激に大きなものになった。が、すぐに彼女は目的を思い出し、質問を続けた。


「それじゃ、ウロボロスにデータは残ってるの? 知りたいんだけど」

「どうでしょう……ウロボロスがクロノスのデータを保管している可能性は低いでしょうね。インフィニティに問い合わせれば、答えを得られるかもしれません」

「無理だろ、あいつらは古今東西稀に見る秘密主義だぞ。ヨリンゾアレベルに酷い。まだユーフォリアに聞いた方がマシだ」

「ユーフォリアさんの秘密主義も大概ですからね……」


 エルネスは後でインフィニティに問い合わせる事を決め、ひとまずその場は映像の続きを二人に見せることにした。敵の機体性能も重要だが、敵の強さを教えてもらうのも大切なのだ。


 演者が変わって続けられた戦闘は、もはや戦闘とは呼べなかった。パッと見はそれなりに拮抗しているように見えるが、フェニックスは掌で踊らされているようなものだった。

 素直に彼らは感嘆した。目には見えないところだが、敵は戦術の立て方が実に上手いのだ。戦闘の流れを分析する力が凄まじい、とも見える。最小の労力で敵を追い詰めるやり方を熟知している者の戦いだった。

 また、その技術も素晴らしいものだ。クロノスの流麗な動きは、まるで物言わぬ機械に意思が宿り、鉄で出来た四肢を自由に動かしているかのように、縦横無尽だった。フェニックスの未だどこかに拙さの残る動きと比べれば雲泥の差。クロノスのパイロットは一流の二人の目から見ても、非常に優れた技術を持っていた。


「これはエルネスじゃ無理だな。実力が違いすぎる」

「ええ」


 二人の歯に衣着せぬ言葉にも、エルネスは頷いた。彼女自身でも理解している事だ。


「それは分かってるわ。だからこそ、こいつをぶっ殺せるところまで成長するのよ」


 エルネスの言葉を受けて、二人の脳内では唐突に現れたその強者を相手に、何千ものシュミレーションが繰り広げられた。自分が勝てなければ、他人をどうして勝利させる事が出来るだろう。


「さて、如何したものか」

「これは面白いですね」


 二人は映像を見ていても、相手が全力では無いことを見抜いていた。エルネスに分かるくらいならば、彼らはそれを一瞬で見て取る。だからこそ、判断は難しい。


「ま、映像の中のこいつの実力を超えるには、一年くらいはかかるんじゃないか?」

「そうですねえ……技術だけならすぐに習得できるでしょうが、この相手は経験が豊富みたいですからね」


 そう言ったあと、セラフィータは少しばかり困った様な声で続けた。


「しかし斉、気付きましたか?」

「狙撃手の事だろう?」


 二人の言葉に、エルネスは疑問符を浮かべた。気付くも何も、狙撃手はクロノスが現れた時から存在していたのだ。


「あの狙撃手……フェニックスの機動力を削ぐ箇所ばかりに当てていますね」


 そう言われて、エルネスもハッと思い当たった。敵の狙撃手は、確かにフェニックスの重要部位を尽く狙っていた。エルネスはクロノスに傾注していたが、狙撃手の事を忘れた訳ではなかった。


「フェニックスの構造を知ってなきゃ出来ない狙撃だ。こりゃあ……」

「データが流出したって言うの!?」


 エルネスは驚きに叫んだ。ウロボロスがそんなヘマをしたとは信じられなかった。セキュリティの事はエルネスには分からないが、それを成す者の事は知っているのだ。


「内通者を最初に考えないのは素晴らしい事ですね」

「うちに内通者なんているわけないじゃない」


 エルネスは僅かに痛みを感じるような、震えた表情でそう言った。

 彼女はウロボロス内に内通者がいるなどとは微塵も考えていない。利害関係を考えると、どこかしらの鼠が二、三匹は潜り込んでいてもおかしくは無い。金で裏切る者もいるだろう。彼女にもそれは分かっている。が、それでもなお、組織内にそんな事をする者はいないと固く信じていた。

 ウロボロスという場所はエルネスにとっての拠り所であり、それは決して汚されてはならないのだ。ウロボロスという組織は、選ばれた存在でなければならない。


「内通者の線は……まあ、低いだろう。中途半端過ぎる」

「ええ、やるとしたらもっと上手くやるでしょう。エルネスちゃんも生きてはいないでしょうし……」


 二人の言葉に、エルネスはひとまず安心した。


「じゃあ……やっぱりうちかインフィニティからデータが流出しちゃったのかしら?」

「その可能性もあるが……」


 斉はそこで不自然に口を噤んだ。セラフィータもまた、難しそうな顔をして、顎に手を当てて考え込んでいる。


「これは……うーん」

「無いと考えたいですが、しかし……」

「どうしたのよ」


 煮え切らない二人の態度に、エルネスは尋ねた。斉は覇気のある瞳をじろりと彼女に向けて、ぽつりと呟くように言った。


「少しばかり厄介な事になるかもしれん」

「そう……かもしれませんね」


 帰ってきた答えは、やはり曖昧なものだった。

 エルネスは何かしらの出来事が起きている事を薄々察し、不思議な気分になった。斉とセラフィータの表情は、楽しげであり憂鬱げであり、また疑問を口の中で呟いているようでもあり、端的に言えば、エルネスの初めて見たような表情であった。


「もうわけわかんないわ……」


 エルネスはウロボロスの中でも一番の新人であり、知らない事も多い。先達二人の奇妙に要領を得ない会話は、二人だけの中で完結しており、彼女は物寂しい疎外感を感じた。口からは僅かに悲しげな溜息が零れる。

 既に夜の帳はおりて、地の星々が輝いていた。



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