021.二つの小さな終わり




 フェニックス-IVは確かにフェンにとっても油断は出来ない相手だが、予想よりも――いや、記憶よりも大分楽な戦いだった。

 弱い訳では無い。この相手を弱いと断じてしまえるのならば、フェンはこの戦場を一人で蹂躙できるだろう。出来るやつはいるのだろうが、フェンはまだそこまでの実力を取り戻して・・・・・いない。


 弱いというよりは――未熟だ。


 中身を確認しなければ分からないが、記憶の中の操縦者とは十中八九別人であろう。五年もあれば機械だって三回はアップデートされる。いわんや人間はどうだ? 五年間で成長しない人間は、この世の少数派だと言わざるを得ない。


 ――尤も、退化する人間はそれなりに存在するのだが。


「……残念な事だ」


 フェンは口ではそう言ったが、特に残念そうな顔をしていなかった。

 操縦者が変わっているだろう事は予想していたし、何より心のどこかで安堵していたからだ。


 彼の中には開くべきではない扉があり、彼の求める言葉はそれを開く鍵の一つになりうるだろう。そんなぼんやりとした予感が彼にはあった。


 実に弱くなったと思う。


 安堵――それを感じるという事は、つまり恐れているのだ。


 かつての自分ならば、恐れなどという感情を知る事すらなかっただろうに。


「悪い事ではないんだろうが……」


 気だるげな言葉と共に放ったビームランチャーの熱線が、フェニックスの外翼部の連結ユニットを撃ち抜いた。スラスターの役割も果たしていた羽翮うかく型の外装が剥がれ、陽を赤く照り返しながら宙を舞う。


「おっと、まだ諦めてないか」


 流れ星のような火花を撒き散らしながら、不死鳥の背からミサイルが飛び出した。

 それをフェンは足掻きだと断じる。フェンはミサイルが機体に届く前に撃ち抜き、或いは躱した。


 彼はフェニックス-IVという機体を克明に記憶していた。彼にしては珍しく、殆ど記憶から失われていないものの一つだった。どんな攻撃も予想の範疇を出ず、対応出来ないものでもない。

 彼も知らない改造が更に施してあれば話は別だが、インフィニティがフェニックスに手を加える可能性は低い。アレは既に完成された機体なのだ。


「さて、仕上げだ。準備はいいか?」

『バッチリだ。脳天ぶち抜いてやるよ』

「生かさなきゃ意味が無い。どうせ別人だろうが……一応な。頼むぞ」

『任せろ、俺を誰だと思ってやがる』

「アル中」


 クロノスの武装が稼働する度に、不死鳥はその輝きを弱めていった。フェンは冷徹な瞳でその時を待つ。




 ◆




 その白き機体は信じられない位の強さを持っていた。エルネスは既に悟っている。


 ――これは、無理だ。


 これはいつか超えるべき壁だ。しかし、今の彼女は挑む権利すら与えられていない。余りにも実力の開きがありすぎて、尻尾を巻いて逃げるしか、エルネスには許されていないのだ。

 それも全て、自身の未熟、弱さのため。エルネスは軋む程に歯を噛み締め、掌に爪を食い込ませた。


「クソッ、クソッ! 何で届かないの!」


 ただ、現実を悟り、理解しているからといって、自身の心がそれを受け入れるかといえば、そうでは無い。

 敵が戦場に相応しい態度でエルネスを相手をしていたら、仮に一瞬で殺され、唾を吐きかけられても、もしくは捕虜となり、どれほどいたぶられようとも、ここまで激昂することは無かっただろう。彼女とてウロボロスの一員。自身の弱さを認める度量は持っている。


「こんなに舐められて、見下されて、なのに何で!」


 しかし、この忌々しい白い機体は、明らかにどうでも良さげな様子で戦っている。途中まではそれなりに――手加減こそあったが――フェニックスの方を見て戦っていた。それがある点から、明らかに無気力に――それこそ視界にも入っていない様子で――戦い始めた。

 相手する価値もないと思われたのか、それとも何か他の用事でも出来たのか、そんな事彼女には知った事ではないが、それならとっとと殺して行けばよいではないか。それが出来る実力があると、彼女はきちんと敵の実力を評価していた。


 弱者が強者に見下されるのは仕方が無い。それはエルネスとて認めてはいるし、彼女自身もそうやって――専ら見下す側だった――生きてきた。価値の無い相手というのは確かにいるし、自身がそう思われるのも認めよう。実際に手も足も出ていないのだから。

 だが、それならばさっさと殺していけばいい。ここは戦場で、敵を殺し合う場なのだ。なのに、視界にも収めずに、仕方なく相手してやっていると言いたげに、だらだらとやる気なく――そんな態度で相手を続けられる。エルネスのプライド、自尊心は、この時点で木っ端微塵に砕け、これまでの人生全ての怒りを合わせても到底届かない程、怒髪天を衝いた。


 しかも、敵は時間を気にする素振りすら見せる。機体の動きにそんなものは現れないが、彼女の尋常ではない自尊心は、自分がどう扱われているかを正確に嗅ぎ分ける。

 その扱いは、敵は最早時間と戦っているのではないかとすら思える程だ。果たして大海に落とされた一滴のミルク程でも、敵の興味は彼女に向いているのか? そんなに時間を気にする癖に、何故自分の相手をだらだら続けているのか? その気になれば一瞬で終わらせる事が出来るだろう?


「……いつか、殺す」


 プッツンと、彼女の脳内で音がした。実際に血管の二、三本は切れたかもしれないが、そんな事はどうでもいい。

 彼女はここに来て、怒りの極点を突破した。その瞬間、彼女の心からあらゆる存在は消え去った。そこに存在するのは、ただ自分と目の前の白い機体――顔の見えぬ操縦者のみである。

 彼女の心には、決して消えぬ烙印の様に、その白い機体と顔も分からぬ操縦者の姿が刻まれた。


 エルネスという少女は、とにかくプライドが高い。自身の未熟を認める器も、優れたものを敬う敬虔も、ひたすら進み続ける向上心も、十全に備えている。しかしそれら全ては、とにかく高すぎる自尊心から現れたものだ。彼女の全ての核を成すものは、とにかくプライドの一言であった。

 そんな彼女が、これ以上ないほどに舐められ――最早この言葉すら不適切な程に、彼女は相手にされていなかった(実際はどうであれ、少なくともそう彼女は感じていた)――無いものの様な無惨な扱いを受ければ、どんな不可思議な反応が起こるか。


 答えは、ただひたすらに、見据えた相手への純粋な殺意でもって、あらゆるプライドを投げ捨てる、だ。

 今の彼女にはかつて自分の核となっていたプライドは存在しない。あるのは、ただ超えるべき相手、それを超えるためならば、例え何を失おうが気にもしない、修羅のような黒い炎だけであった。

 彼女の心、魂は理解していた。生まれ持った自身の核たる、断固とした自尊心を再構築するには、目の前の敵を、どれほどの時間がかかっても、どれほどの犠牲を払おうとも、強くなり、地の果てまで追いかけ、一片の思考も感情も挟むことなく殺すしかないと。

 全ては自尊心、プライドのため。彼女の生命の証でもあるそれを再び立て直すために、彼女は最適化されたに過ぎない。


 彼女の心には、初陣――正確には二度目の戦いだが、彼女は最初のつまらない戦いを戦闘だとは認めていない――で出会った「仇」の姿が克明にインプットされた。

 そして、その仇を殺し、自身のプライドを再構築する事だけに最適化された彼女は、迷いなく逃走を選んだ。悔しいとか、そういった感情は一切無い。仇たる白い機体の事を考えた時、彼女の中に浮かぶのは純黒の怒りのみである。その怒りを糧とし、自身の根幹を揺るぎないものにするためには、今の自分では足りない。余りにも足りなさ過ぎる。

 だから逃げるのだ、昼夜の別なく力を高め、確実で絶対的な死を与えるために。ただ超える、そのためだけに。


 紅の鳥が地に落ちる。

 翼も、肉体も、全てを力なく投げ出して、天から地上へと墜落する。


 その魂、滑らかな流線型の頭部を除いて。




 ◆




「タイミングはシビアだ」


 戦闘前――この戦いに介入すると決め、紅の鳥を落とす作戦を話し合った時、フェンはそう言った。


 キーラの聞いた話では、フェニックス-IVという機体は何よりも撤退に特化した機体なのだそうだ。鳥型の機体の大部分は外付け武装であり、フェニックス-IV本体は極々一部――頭部部分のみであるらしい。それ以外、例えばありとあらゆる武装を内蔵している胴体にしても、巨大な揚力を生み出す翼にしても、全ては外付けの、代替可能な部品に過ぎない、とフェンは言っていた。


 今この瞬間、狙撃用のスコープアイカメラで捉えた映像は、確かにフェンの言葉が間違っていないことを証明していた。


 フェニックスは地上へ落ちていく。


 翼も体も、紅に輝く装甲も、全てが重力に引き寄せられ、地上へとゆっくり落下する。


 そして、そこから抜け出すのはただ一つ。これもまた紅く、しかしその大きさは脱皮前より非常に小さい。


 頭部部分のみが、宙に浮いている。


 全てが落ちる中で、その鳥の頭を模した小さな小さな機体だけが浮いていた。あれこそが、フェニックス-IVという機体の核であるのだろう。最も重要なコア、あらゆる制御プログラムを収めるマイクロコンピュータが搭載されている。

 そして、あれはフェニックスの全てを統べる頭脳でもあり、撤退用の超高速スカイロケットでもある。


 一瞬の後、あのロケットは激烈なる炎の助力を受けて、天の果てに飛び去るだろう。その速度は今までとは比較にならない、天を征する超速である。キーラの役目は針の穴を通す様な繊細な狙撃で、それを落とすことだ。


 狙って、撃つ。


 彼の心には何の気負いもない。

 敵を落とす、それだけだ。普段やっている事なのに、何故この一回だけ緊張する事があろうか?


 フェンの注文は殺さずに、だ。故に、狙う場所が多少面倒ではある。しかし、どうということも無い。

 初見ならばまず間違いなく外れるだろうが、元ウロボロスメンバーの正確な情報提供があるのだ。外すことは万に一つも無い。


 ただ――少しだけ集中力を要す作業であることもまた確かだった。


 だから、彼は気付かない。


 その一瞬間だけは、あらゆる他の現象に気を回していない。


 この戦場には、勢力は他にも存在するのだ




 ◆




 ヂャッ! と眩い音がして、真っ赤に輝く弾丸が何処かの建物に吸い込まれていく。空気も光も置き去りにしたロケットに、ほんの僅かに掠ったその弾丸は、余りの摩擦に溶岩よりも紅く輝きながら、虚しく空を切った。


『クソが! 余計なタイミングで出てきやがって!』


 芸術性すら感じられる音を発して、既にロケットは戦場から姿を消していた。同時に、地に落ちたフェニックスの抜け殻が大爆発を起こす。フェンは抜け殻が自爆する事を知っていたので、既に十分距離を取っていた。


「……邪魔が入ったか?」


 フェンは消えたロケットの煙の筋を横目に、叫び声の聞こえた通信機に呼びかけた。


『そうだよ! 助けはいらねえぞ、もう殺す』


 通信機の向こうからは、何か鉄が壊れる様な、重く嫌な音が響いていた。傭兵にとっては慣れた音だ。すぐに音は止み、一時の無音が続く。


『やっぱ外れただろ?』

「ああ。ま、いいさ。どうせ目的の相手とは違うだろうからな」


 フェンにとっては、最早どうでもいい事だった。今回戦った相手は、記憶の中の操縦者では無いだろうと、彼は殆ど確信していた。であるならば、特に追う必要も無い。

 彼の望みから始めたこの戦いは、結局目的を果たす事は無かった。しかし、彼にとってはそれでも構わなかった。


 結局の所、自分が何を知りたいか、それすら彼は分かっていない。答えを理解したその時に、彼は自分が何を知りたかったを理解する。亡失の中に生きる彼にとって、望みとはそんなものなのだ。

 自分が何を知りたいか、それを理解していなければ、不思議な探究心も長くは続かない。一つの戦いが過ぎ去った今となっては、彼は初めの執着を失っていた。


『そうか? お前が言うならそうなんだろうな。じゃ、帰るか』


 キーラもまた、何もかもを気にしない男である。失敗しようが成功しようが、キーラにとってはどちらでもいい事なのだ。彼はただ、フェンが望んだからここにいるだけなのだから、フェンがいいと言ったならば、それで全て終わりなのだ。


 フェンはいつも変わらない友人に少しだけ笑みを浮かべ、この戦場からさっさと退散しようと、退却ルートへと目を向けた。


「……ん?」


 下部の映像に映る、二人の少女。防具を着込んでフラフラしているこの地の少女と、パイロットスーツを着た黒髪の少女。


「……何でまだいるんだ?」


 フェンは呆れの声と共に、機体の手を二人の少女へと差し出した。



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