020.白い乱入者




 フェン達の立場は中々に難しい。元々彼らは共和国の飛び入り傭兵として、連盟軍と――正確にはフェニックスと戦うつもりだったのだが、司令部の中佐とやらに睨まれていると知らされた事で、その案は急遽取り止めになった。

 よって、彼らは今、連盟軍にも共和国軍にも所属していない宙ぶらりんの状態であった。


『俺は問題無いが、お前どうするんだよ?』


 ウグナン・サフ――の姿をしたロキ。それに乗るキーラが、フェンに対してそう言った。

 大抵の軍は機体の見た目を一様に統一している。フレンドリーファイアは避けるべきものであるからだ。故にキーラはまあ安全と言っても良いだろう。

 尤も、所属判別システムの目を潜り抜けねばならないが。


「……さっさと終わらせて、街から逃げるとしよう」


 フェンはそう言って、空をカメラ越しに仰いだ。

 彼らは今、街中で静かに息を潜めている。目的はフェニックスのみであり、わざわざ姿を現して二つの軍から狙われる必要は無い。


『っても、本当に来るのかわかんねえがな』

「来るさ。連盟軍が戦力を遊ばせておく筈がない」


 とは言ったものの、ウロボロスのメンバーの自由無法っぷりを知っているフェンは、実際の所来るかどうかは分からなかった。ただ、自分の知るフェニックスの操縦者であるなら、恐らくは来るだろうと睨んでいた。


 名前は忘れた、どんな顔をしていたかも。


 だが、少なくとも指示に無意味に反発する奴では無い。それは確信を持ってそう言えた。

 全てを忘れるということは不可能なのだ。

 例えそれが雇われ先からの命令だったとしても、ウロボロスは参戦の判断を示したのだ。ならばそれに従うだろう。


 尤も――とフェンは心中で続けた。


(あれから五年経った……未だにフェニックスに乗り続けているのは、まあ……有り得ないだろうな)


 フェンの知るフェニックスという機体の性質上、乗り手は次々と変わる。具体的に言えば、新人が入った時に操縦者は入れ替わるのだ。尤も、初めから完成されている操縦者の場合にその限りでは無い。

 何よりも、自身が抜けている。補充は確実にあったであろう。この五年で新人が入らなかったと考えるのは、かなり無理がある。


(それでも、だ。少なすぎる可能性にかけるのは悪い事じゃない)


 今回の戦争は、神出鬼没のウロボロスを掌に捕える千載一遇の機会と言えよう。自身の知らないメンバーであれば致し方ないが、記憶の底に沈殿している彼らならば――


 ――きっと、知る事が出来るだろう。


(……何を?)


 唐突に湧き上がってきた思考に、フェンは少しだけ考え込んだ。

 自身の記憶が虫食いなのは承知の上である。その上で彼は、余燼よじんの様に燻り続ける微かな記憶から、かつての仲間を求めている。

 それは彼らが手に届く場所に存在すると知った時、胸の内に急に現れた望みであり、恐らくは古くから求めていた何かの欠片である。


(待て、俺はあの時の理由を聞くためにここにいる)


 かつて、自身の終わりの地になる筈だった場所で、命を見逃した彼女。

 何故、自分を見逃したのか?

 その理由を求めているのだ。


(何かしら、それ以外の理由があるのか? 五年前の俺なら全て分かるんだろうが、その記憶が吹っ飛んでるからな。全てが彼女の死に端を発しているのは間違いないが……)


 夢とは便利なものだ。

 例えそれが悪夢だったとしても、失われたピースを手繰り寄せてくれるのだから。


(少なくとも、何かしらオマケが付いてくるようだな。今の俺は特に記憶を戻すつもりは無かったが……そう思っているだけで、無意識では望んでいるらしい)


 キーラの呼び声で、フェンの思考は緩やかに打ち切られた。フェンが完全に色のついた世界に戻った時には、通信機はけたたましくがなり立てていた。


『やっと正気に戻ったか。おい、来たぜ。アレだろ?』


 フェンはキーラから送られてきた映像データを開き、その映像の中に空を飛ぶ紅の姿を認めた。

 間違いなく、記憶の中にある機体。大規模殲滅型戦闘機、フェニックス-IVに相違なかった。


「間違いないな。それじゃあ……」

『待て待て、そう焦るな。邪魔が入らないように適当に潰し合ってもらおう。奴とやりあっている最中に、他の野郎が横槍入れてくるのは面倒だろ? ついでに消耗させちまえ』

「……一理ある」




 ◆




 リンの脳が白く瞬いたのは、ほんの僅かな時間だった。リンは万物が酩酊したような感覚を味わいながら、意識をすっかり虚空へ漂わせていた。

 自身が何をしていたのか、何をするべきなのか。彼女は行動の指針を丸々と喪失していたが、段々と色付いていく視界――現実へと脳が沈静されゆくに連れて、胡乱な瞳が光を取り戻し始めた。


 無音――それが彼女が初めに感じた事であり、幾重にも別れた不可思議な視界がそれに続いた。


 リンの意識は混乱の中に覚醒していたが、肉体はそれについて行くことは不可能だった。ぼんやりとした気分で無機質な世界――コックピット内部の景色を眺めていると、体を揺すられた感覚が彼女の意識を引いた。


 一時的とはいえ、瞬きのやり方すら忘れた肉体だったが、視線は不思議とそちらの方に吸い込まれていった。

 リンの体を必死の形相で揺らす少女。涙を浮かべたブルーサファイアの瞳が、恐らくは酷い間抜け面を晒しているであろうリンの顔を見つめていた。口を開いて何かを言おうとしているが、リンには何の音も聞こえなかった。彼女は鼓膜が破れていたのだ。

 どんな言葉だろうが、リンには届かない。


 だが、その行動に意味はあった。

 リンは守るべき少女を視界に入れた瞬間、全てを思い出した。だらんと力の抜けていた頭を跳ね上げ、見開かれた瞳でありとあらゆる情報を把握した。


(不味い不味い不味い!)


 戦闘者の意識を取り戻したリンは、すぐに攻撃が来ると分かっていた。脳が命令を送るよりも早く、リンの体は反射的に操縦桿を動かしていた。

 目の前を奇跡的な間隔で通り過ぎる砲弾。もし意識を取り戻さなければ、間違いなくその一発で死んでいた。


(ダメだ……次は……)


 奇跡は一度だけだ。

 ギリギリの所で躱した主砲の弾を、リンは呆然と眺めていた。

 彼女には、もう一度避ける事は絶対に不可能であり、一瞬後には全てが爆散するだろうと確信していた。


 自分が死ぬのはいい、と彼女は思う。

 だがしかし、カムニエを――この小さな少女を死なせるのはダメだ。


 カムニエには徹底的に装備を固めさせた。万が一があっても、決して彼女だけは死なないようにだ。

 耐衝撃装備を着せ、頭部も防護して、衝撃に対応するための前傾姿勢も教えた。肉体を守ることのみを追求したその装備は、まともに動けない代わりにとてつもない防御力を得た。

 そのおかげと言うべきか、リンよりも余程防備の整った彼女は、かの攻撃――恐らくは音――の一撃でも、酷いダメージは負っていない。


 しかし、そんな装備でも死ぬ時は死ぬ。

 全てを木っ端微塵に砕く大口径主砲の砲弾は、あらゆる命を破壊する力を秘めている。それは瞬きの間に二人の肉体を消し飛ばしてしまうだろう。兵器をまともに食らってしまえば、人間が身に付けられる装備などなんの意味もない。


(駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目)


 世界の終わりを見ているような絶望的な気持ちが、彼女の心を支配した。

 次の瞬間には確実に死ぬ。幼気な少女を巻き込んで、だ。


 今更ながら、何故自分はカムニエを追い返して、首都へ向かわせなかったのか?

 カムニエを連れて行くかどうかの決定権は自身にあった。カムニエの事を考えるのならば、例えそれがどれほど彼女の心を傷付けるとしても、命が助かるであろう選択肢を選ぶべきであったのに。

 結局の所、自分は自惚れていたのではないか?

 いつものように生き残れると、根拠の無い確信を抱いていたのではないか? 争いというものを知らなかったのではないか?


 自身の未熟が、救うべき者を救えない。

 死を目前にして、リンはこれ以上無い後悔に心を侵食された。


 ――ごめんなさい


 と、リンの口から最後に零れたのは、そんな言葉だった。


 彼女は自責の念に苛まれながら、次の瞬間に訪れるであろう終わりを、動けぬまま見つめていた。


 そして――


 カッ、と眩い光がリンの目を焼いた。しかし、それは輝きの暴力のようなものではなく、彼女らの命を食らうことに失敗した凶器の、断末魔の火花だった。


 彼女が音なき世界で見たのは、影のように現れた白い機体が、その手に持った黒い剣で、砲弾を水平に斬り捨てた姿だった。砲弾の欠片は真っ赤に焼けた断面を晒しながら、片方はリン達の上空へ、もう片方はリン達の機体の脚部に激突した。

 大きな揺れを感じ、機体が傾き始める。リンはすぐさま耐衝撃姿勢を取り、カムニエにも同じようにさせた。


 彼女は何故か、もう死ぬとは考えられなかった。生き残る事に全力を費やすべきであると、彼女の直感は囁いた。

 あの白い機体は敵ではない。


 きっと――彼女の知る人物だ。




 ◆




「うそ……」


 唐突に現れたその機体に、エルネスは恐ろしいほどの衝撃を受けた。

 それは自身の放った砲弾を斬り落とされたことでも、何者かの狙撃が正確にフェニックスの弱点を突いていたからでもなく、いきなり現れた白い機体から、シーナと同等の――もしくはそれ以上の寒気を感じたからだった。


 自身が感じていた高揚、そして恐怖は、今の今まで戦っていた相手ではなく、この機体の主からもたらされたものだったのだ。


「……随分と刺激的な前菜オードブルじゃない」


 無意識に流れた冷や汗が、彼女の頬を流れ落ちた。

 ヤバいなんてものじゃない、言語に出来ないほどの恐ろしさだ。シーナを相手にしてさえ、これほどの悪寒を抱いた事は無い。


 それは恐らく、この場が戦場であるという事も関係している。

 幾ら死ぬような目にあっても、訓練は訓練。実際の殺意に満ちた戦場とは違う。

 それはどちらかと言えば、殺意よりも覇気に近いものだったが、結局の所相手に与える印象は同じである。


 実戦と訓練は違う。


 エルネスもそれは分かっていたつもりであった。が、それを肉体に実感として刻んだのは、この時が初めてであった。

 実際に猫の前のネズミになってみれば、その恐ろしさは語れないだろう。

 全身が硬直したかのように動かない。死人の方が今の彼女よりも柔軟性がありそうだ。


 しかし、そこで委縮したままでは、最早彼女は彼女ではない。エルネスは本質的に傲慢であり、どんな相手を前にしても、尻尾を巻いて逃げ出すという事だけはしない人間なのだ。

 隙を晒したのは間違いない、なのに相手は何もしてこなかった。それはまるで、お前など何時でも殺せると言わんばかりの不遜な態度である。エルネスはまずその点に怒りを感じ、やがてそれは見くびられている自身への情けなさに変わった。

 彼女は憤慨に駆られ、挑戦状を叩きつける様にして制御盤に触れた。


 フェニックスから嵐のように弾丸が吐き出される。しかし、その白い機体は碗部のビームランチャーを無造作に上げ、真っ赤な熱線を最短の動きで幾重にも撃ち出した。

 それは機体に影響の出る様な、ほんの僅かなラッキーバレットだけを正確に焼き溶かし、その他の弾丸は当たるがままにしていた。


 エルネスはただ一度の攻防で、敵の技術の正体――行動の最小化を見破った。有効な手を最短の動きでこなす。言うだけならば簡単だが、実際にやるとなると一筋縄ではいかない。


 彼女は驚きはしなかった。シーナも同じ様な技術を披露してみせた事があるので、知識としては知っていたのだ。

 だが、エルネスは未だにその技術を自分のものとは出来ていない。


 その技量を使えば幾らでも攻撃出来るだろうに、相手はまたも沈黙を保ったままだ。


「何、舐められてるってわけ?」


 エルネスの心中に気に食わないものがむらむらと湧き上がってくる。相手が攻撃してこないなら、自分は更に攻撃の手を増やすだけだ。

 エルネスが歯をギリギリと軋ませながら、攻撃を始めようと制御盤に手を伸ばした時、何処からか輝きを持った弾丸が飛来し、フェニックスの主翼推進器の隙間を正確に穿った。


「……そういえばいたわね」


 目の前の敵に気を取られていたが、相手は他にもいる。地面に崩れ落ちたクラックロイドではなく、相手が現れた時に同時に攻撃してきた、行方知れずの狙撃手。

 エルネスは二つの敵を同時に相手していた。


「……上等! 全部ぶっ壊してやるわ!」


 どんな状況だろうと、彼女に諦めるという選択肢は無い。彼女の心は恐ろしく、それこそ天に昇る業火の如く燃え上がっていた。


 目の前の機体が気に食わなくて仕方が無い。動かず、自分を舐めている態度が許せない。

 そして、侮られる様な力しか持たない自分に、何よりも腹が立つ。


「ぶっ殺す!」


 フェニックスが高らかに飛び上がるのと、白い機体が動き出したのはほぼ同時だった。

 フェニックスは赤く太陽に輝き、白い機体は挑発するように片手を突き出して手招きした。二つの機体は流星のように、空と地を縦横無尽に巡り始めた。



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