013.ウロボロス No No.




 ルバート連盟の首都ジャムシードでは、勝利に沸いた民衆の内に血気盛る空気が漂っていた。新聞は自国の勝利を挙って報道し、街々は歓声に包まれた。

 長い月日の睨み合いに心を傾けてきた政府や軍部にとっても、この勝利は実に喜ぶべき事であり、界隈では公然と、戦の勝利を確信したようなパーティーが開かれていた。

 何しろ、かの伝説の傭兵団を雇えたのだから。自分たちが負ける姿など想像できなかったに違いない。

 尤も、その怪物性から、警戒しなければならないと誰もが考えてはいたが、怪物は戦場で過ごしているはずである。彼らは今だけは警戒も何もかも忘れて、楽しんでいた。


 怪物――ウロボロスは、彼らの想像よりもずっと近い場所にいた。それはジャムシードのとあるホテル――政府がウロボロスの歓待のために取った、非常に巨大なホテルだった。


「先輩! 見た? 私の活躍! 大勝利よ!」


 戦場を荒らし尽くしたかの存在――フェニックスの操縦者であるエルネス・ラングレーは、自慢気に新聞を掲げて、自らの戦果を誇っていた。その目は上目遣いで相手を見上げており、上気した頬は褒めてもらいたそうにぴくぴく動いている。


「ああ……」


 それを相手するのは、帽子から足元まで、グレーの軍装で揃えた一人の女だ。かっちりと整った軍帽、足首まで届くような長丈のコート、滑らかに磨かれたロングブーツ。その見た目は正衣を身に付けた将校の様な威厳ある姿だ。

 脱色した白い髪がコートの背を隠すように垂れ下がり、透明で冷徹な輝きを持つ瞳が軍帽の下から覗いている。

 しかし、その堅靱な印象の見た目とは裏腹に、その喉から発せられる言葉は、凍るように切なく美しい響きを帯びていた。


 彼女の名はシーナ・ミロリエ。彼女もまたウロボロスの一員である。初陣であるエルネスの補助として、共にこの荒野の国までやって来たのだ。

 とはいえ、彼女は戦わない。万一の時のために着いてきただけであって、基本はエルネスに任せるスタンスなのだ。


 事実、シーナは戦闘にも付いてきていない。エルネスが戦っている時、彼女はジャムシードで偵察機越しに戦闘を眺めていた。


「しかし、何故お前は戻って来たのだ?」


 シーナは褒められて顔をだらしなく緩ませているエルネスに、呆れたように問いかけた。共和国軍を壊滅させた紅の鳥は、今はジャムシードの貸倉庫の中で翼を休めている。

 エルネスは戦闘が終わった後、即座に機体を反転させて、シーナの待つ首都まで戻って来ていたのだ。


「先輩に褒めてもらいたかったからよ! それに、あの程度の敵にやられるような、レベルの低い奴らのとこにいたら、こっちまで弱くなっちゃうわ」


 連盟軍の陸上戦艦ウィザは、共和国軍の最後の抵抗によって小破し、現在は修理のために進撃の足を止めていた。エルネスはそれが不満の様で、完全に彼女は連盟軍を見下していた。


「増長しているな……」

「そんなまさか! 自分が弱いっていう事は分かってるわよ! 先輩は私なんかより全然強いし」

「そういう事ではないのだが……まあいい」


 シーナはそう言って窓の外を見た。超高層階のガラス壁から見える大地は、立ち並ぶビル群とその先にある広漠の荒野だ。その雄大な景色も、彼女達に何の感慨も起こさせなかった。ただ雇い主であるだけのこの国に、彼女達は思い入れは無い。


「まあ、いずれ命令が下されるだろう」


 ルバートは目玉が飛び出るような額でウロボロスを雇っている。しかも、エルネスがその有用性を示したばかりだ。そんな大戦力を彼らは遊ばせてはおかない。


「あんな戦場が続くんなら、大して面白い訳でも無いわね」


 エルネスは怠そうにそう言った。この国に来る前のやる気に満ちた姿は欠片も無い。

 雑兵を蹴散らすような作業の様な戦闘に、彼女は闘争心を完全に失っていた。ウロボロスのメンバーである彼女には、強者のいない数だけの戦闘は余りにもつまらないものだった。


「先輩程とは言わないけど、もう少し骨のある奴はいないのかしらねー」

「油断するな、今のお前ではS級には敵わん。バルザもこの状況ではなりふり構ってはいられないだろう……奴らを雇う可能性も十分にある」


 シーナの言葉に、エルネスは頬を膨れさせた。彼女は自身がウロボロスの中では弱い事を知っているが、その他の存在に劣っているつもりは毛頭無かった。

 しかし、敬愛する先輩の言葉は、恐らく間違っていないのだろう。彼女はS級傭兵という埒外の存在と、未だまみえた事は無いのだ。


「訓練とは違うのだから、逃げられるとは限らない」

「むう、分かってるけど……」


 頭では理解しているが、やはり感情面では自身が劣っている事を認めたくはなかった。エルネスは沈んだ表情でソファに寝転び、赤い髪を投げ出しながら、シーナの膝へ頭を乗せた。


「先輩、ちょっとは褒めてよお」


 せっかくの戦果だ。自身の未熟を聞かされるよりも、沢山褒めてもらいたかった。


 シーナはエルネスのその姿に、微笑を漏らした。遠くを見るような、悲し気な微笑みだった。



 ――私では、あいつの様にはいかないな。



 かつての彼女の師は、全く甘やかすのが得意だった。甘やかすというよりは、褒めてやる気を出させるのが上手かったというべきか。彼は、シーナにとっては、永遠に届くことのない光の先にいた。


「ああ……そうだな。よく頑張った、偉いぞ」

「えへへ、せんぱーい」

「……困った奴だ」


 シーナは口ではそう言いながらも、優し気な手付きでエルネスの頭を撫でた。エルネスは幸せそうにその手を受け入れ、蕩けた声を出す。まるで主人とペットの関係だった。


 彼女らの慰みに水を差すように、固定電話が甲高く鳴った。


「誰よこんな時に!」


 エルネスは激高しながら電話まで歩いて行って、乱暴に受話器を取った。


「誰よ!」

『失礼、ウロボロス殿……戦場から消えたと聞き、早急に戻るように要請を……』

「あーもう、うざったいわねえ! 今戻ったって、戦艦の修理を見るしかやることがないじゃない!」

『傷ついた戦艦が今敵軍に襲われれば……雇い主は我々ですぞ』

「うざっ! 戻ればいいんでしょ、戻れば」


 エルネスは乱暴に受話器を叩きつけると、シーナの元に戻ってきた。


「どうやら見つかったようだな」

「ホントに嫌になっちゃうわ。弱っちいのが偉そうに」

「まあ、初陣くらいは従っておけ。実際の軍を見るのもいい勉強になるだろう。私たちは傭兵なのだから」

「先輩が言うんならそうする。なるべく早く戻って来るわ!」

「行ってこい」


 それから少し経って、広々と雲の無い蒼穹に紅の鳥が一羽、風を切り裂いて去っていった。シーナはそれをいつまでも、遥かな点がやがて空の青に消えていくまで、見守っていた。




 ◆




 数日は瞬く間に過ぎた。

 フェン達にとっては理想的とも言える、何もない日々。リンへの見舞いに時を過ごし、各自は思い思いの調子を保ちながら、静かな生活に心の平穏を取り戻した。

 フェンの精神も良好な程度には回復しており、彼は久々の安らかな感覚を思い出していた。傷が癒えた訳ではないが、それを一時的にでも忘れることは可能だった。

 偶然この地で出会った二人――リンとカムニエが、その日々の中で安楽を彼にもたらしてくれていた。


 しかし、その安楽も、戦場の心を削り取る暴威を前にすれば、全ては無力だった。


 戦争が近い。


 フェンの鋭敏な感覚はその時を確かに予期していたし、キーラも、リンでさえ、何か不安定な空気が広がっているのを察していた。一流の傭兵――戦争屋とでもいった方が正確だが、彼らはそんな一種特有の勘を有していた。


「おいフェン、機体が来たぞ」

「ようやくか。それじゃ、お前の審美眼でも試すとするか」

「ほざけ」


 リンにカムニエを預けた後、フェンはキーラと連れ立って、購入した機体の搬入された倉庫までやってきた。人型機は非常に大きいので、倉庫も巨大になる。そこは倉庫というよりも、横に広がったビルであった。


「BD-02と03にあるらしいな」

「俺の機体どっちだ?」

「えーと、お前のは03だな」


 人型機が安置されているせいで、倉庫内は薄暗い。照明の影と光が分かれてしまっている。そんな中を、彼らは目的の倉庫まで歩いた。


「あった、ここだ」


 カァン、と鉄の床に甲高い音を響かせて、彼らは立ち止った。見上げる壁には、倉庫区画を示すアルファベットが「BD」と白塗りに描かれている。

 彼らはここで別れ、それぞれが自身の機体のある場所へ向かった。


 フェンは陰気な鉄色の廊下を過ぎて、03個室へと入った。パッと照明ががなり立てるように灯り、倉庫の暗がりの中に佇んでいたその機体を照らし出す。


「どれ、どんな機体……」


 少し楽しそうに呟いた彼の言葉は途切れ、その機体の全貌が視界に入るにつれて、彼の瞳は段々と見開かれていった。


 全体的に白塗りの機体だった。

 各部の関節はコーティングの薄いグレーに染まっている。全体的にシルエットのスマートな人型機で、サイズとしては標準なMedium級。前腕にビームランチャ―、肩部に400ミリガトリング砲を装着しているが、それはサブウェポンだ。この機体のメインウェポンは、しっかりとその手に握られた漆黒の剣である。

 そして、胸部には黒い十二の模様。時計のように一定間隔で刻まれたそれは、中心のひときわ大きな胸部ハッチの周りをぐるりと囲んでいた。


 彼はその機体を知っていた。


 この機体が現存しているなど、何の冗談だろうか?


 この機体は世界にたった一機しか存在せず、その一機も十年前――かのダウニンゲルとの戦争で紛失したというのに。


「『クロノス』……」


 呟いた言葉は寒々しい倉庫の中に低く響いた。クロノスは静かに首を傾けて、悠々と仁王立ちしている。

 フェンは何とも言えぬ気持ちのままクロノスの姿を見つめていたが、廊下をやって来る足音が聞こえたので、振り向いた。


「よお、気に入ったか?」


 片手を上げて入ってきたのは、当然ながらキーラだ。面白そうに足を鳴らしながら、フェンに笑いかけた。


「どうやってこれを入手したんだ」

「阿呆め、決まってるだろうに。闇市場ネットワークに売ってたんだよ」

「……とんでもない掘り出し物だぞ、これは」


 フェンは真剣にそう言うと、キーラはカラカラと声を上げて笑った。


「いやあ、やっぱりか! 実はこいつは曰く付きでな。どうにも不吉だってんで、本当は廃棄予定だったんだぜ」

「はあ? 売ってたんじゃないのか」


 フェンが尋ねると、キーラは指を振りながら説明を始めた。


「いやな、俺も最初はこの街の闇市場ネットワーク使おうと思ってたんだよな。でもなあ、妙に気乗りしないから、仕方なく首都の方まで行ったんだ」

「待て、わざわざ首都まで行ったのか?」

「ああ。それで首都の方に行ったらよ、色々あってこいつを見つけてな。非売品――というか、実際は廃棄品だったらしいんだが、まあ、そいつを闇市場の奴と交渉して買ったって訳だ」


 フェンは呆れてものも言えなかったが、キーラの性格と、行く先々に火でも撒かれているような運命から考えると、あながち有り得ない話でもなかった。特に、キーラの奇妙にトラブルの中へ飛び込んでいく運命は、もはや手の施しようがない。


「で、何がそんなに凄いんだ?」


 キーラはワクワクしたように尋ねた。キーラもこの機体を初めて見た瞬間から面白いと思ってはいたが、闇市場にはこの機体の情報が無かったのだ。

 コアは凄まじいプロテクトに守られているし、類似の人型機も他に存在しない、誰にとっても正しく謎の機体だったのだ。


 しかも――


「そうそう、そいつに乗った操縦者は例外なく死んでるぜ。死因は不明らしいが、解剖結果は脳が茹でられていたんだと」


 そう、この機体は全ての操縦者が変死を遂げていた。コックピット内で顔から血を流し、地獄を見たかの如く凄まじい形相で事切れていたのだ。

 ただの戦闘で死んだとは到底思えない、非常におぞましい死に顔だったらしい。


 ただ、フェンはその情報を聞いても、冷静に「だろうな」と返しただけだった。


「お前マジでこの機体知ってるらしいな。こりゃ何だ?」


 フェンは鋭い目で機体を一瞥し、キーラに向き直った。


「この機体は『クロノス』。ナンバーは本来ならXIIIを与えられる筈だったが、使い物にならないので廃棄された。

 実戦に出したのは一度だけ。ダウニンゲルとの戦争だ。あの時にパイロットごと失われた」

「……ウロボロス製か?」

「ああ。『インフィニティ』が作り出した、弱っちい機体だよ」


 インフィニティ――それは、ウロボロスの技術部の名称である。

 ウロボロスの扱う機体は、全てがここで作られている。かつてのフェンの愛機「グレイペルーダ-IX」しかり、戦場を荒らし回った紅の鳥、「フェニックス-IV」しかり、全てがインフィニティの手で作られた。

 そして、この「クロノス」も、インフィニティの手によってこの世に産み落とされた機体の一つだった。


「あいつらが作ったんなら、それなりに強いだろ? 何か隠し玉があるんじゃないか?」

「そうだな、こいつはある機能を備えている」


 フェンはそう言うと、足場を軽やかに上ってコックピットの前へ立った。


「実戦で見せてやる。ついでにお前の機体も見せろよ」

「へえ……面白そうじゃねえか」



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