012.乙女、そして進みゆく空
フェンが食事を終えてホテルに戻ると、丁度出て行く所だったキーラ達と出会った。キーラはフェンを見て露骨に不機嫌な顔になり、カムニエは嬉しそうにフェンの所へ駆け寄って来た。
「よかった、無事だったんですね」
「ん、ああ……」
「三日も出て来ないから、心配しました……」
「三日……やはりその位は経っていたか」
フェンはデバイスで現在の日付を確認し、確かに三日経っている事を認めた。麻酔薬を使うと大体三日前後は昏睡状態に陥るので、予想通りとは言える。しかし、どうやら彼らに迷惑をかけたようだし、フェンは「すまないな」と謝った。
「全くだ! お前が起きてこないから、俺がお前の機体を買うはめになったんだぞ!」
「何、本当か?」
フェンは、キーラが自身のためにわざわざ
キーラがどんな機体を買ってきたかについては心配していない。フェンとキーラの付き合いは長く、機体の合う合わない位は互いに理解していた。
「助かる。機体はあるのか?」
「首都から運んでくる。数日はかかるぞ」
「ああ、なるほど」
フェンはキーラから目を離して、にこにこと自身を見るカムニエに目をやった。以前見た時と比べて、何だか様子が変わっている。明るくなったというか、怯えのようなものがすっきり取れている。
「いい傾向だな」
「どうしました?」
「いや、何でもない。なあ、ここ数日何があった?」
フェンは街中を彷徨っている中、人が少な過ぎるという疑念を抱いていた。早朝という事を加味しても、人気がなさすぎる。人家やマンションなど、人の住処となっているはずの場所から、余り人間の気配を感じなかったのだ。
「共和国軍がボロ負けしたよ。この街も
「……珍しいな。あの戦況で負けるか?」
「ウロボロスだよ。あいつらが出張ってきた」
その言葉を聞いて、フェンは全身の毛が逆立つような思いがした。彼の瞳は、今この瞬間では無く、かつての同胞の姿を眼前に映し出した。
横たわり、頭から血を流して浅く息を吐いている。
自身を見下ろすのは、恐ろしく巨大な紅の鳥。
雨に濡れて冷たくなってゆく体は、死を目の前にして落ち着いている。
視界は歪み、目の前が真っ暗になっていく。
最後に聞こえたのは、悲しみに満ちた少女の慟哭。
そうだ……俺はあの時死ぬべきはずだった。なのに、何の因果か、未だに生きている。
「あの、フェンさん……」
カムニエの言葉は、フェンの意識をこの世に掴み戻した。かつての景色の残滓は、視界の内を一瞬赤く染め上げ、そして引いていった。彼は頭痛が何処か瞳の奥から響いてくるのを堪えつつ、じっと自身の見る世界が元に戻るのを待っていた。
キーラはニヤニヤと笑っており、カムニエは怯えながらフェンの顔を見ている。
「なんだよ、フェン、お前、そんなに昔のお仲間に会えるのが嬉しいのか?」
「……そう見えるのか?」
「フェンさん……顔が真っ青で……その」
カムニエの言葉のつっかえる様子から、余程妙な顔をしているらしいと、フェンは他人事の様に思った。
キーラは何故か懐から手鏡を取り出して、フェンの眼前に突きつける。そして、フェンは自身の顔に少なからず驚いた。
「お前、笑ってるぜ」
フェンの顔は、真っ青で死にかけている様でありながら、口元は狂気的な笑みを浮かべ、瞳は瞳孔の奥から見開かれていた。
なるほど……これは悪魔だ。
カムニエが怯えるのも無理は無いと思った。一体こんな顔が出来る感情が何処に残っていたのやらと、フェンはぼんやりと考えた。
既にフェンの顔は元に戻っていた。ついさっきの顔は、本当に僅かな時間の表情だったらしい。いつ見慣れた何時もの顔に戻ったのか、フェンは自身でも分からなかった。
「酷いな、はは……これは」
フェンは小さく笑って呟いた。一体何が酷いのか、言っている自分でも分からない。垣間見た自身の心の奥底の狂気は、彼にとって忌避するべきものではなかった。
キーラは笑っていたが、しばらくして真面目な顔になり、言った。
「お前が精神不安定なのは知ってるが……」
キーラは言葉を切るようにして、珍しく逡巡した。彼が何かに迷う事など滅多に無い。フェン――つまりは友人の事については、彼も迷うようだった。
「今回のは特に酷いぞ。女の胸で寝て来たらどうだ?」
気遣いなのか、はたまたからかいなのか、分かり兼ねる言葉だったが、フェンにはキーラの優しさが伝わった。
「わ、私の胸で寝ますか?」
カムニエの必死な言葉に、フェンは目を丸くし、キーラは堪えることも無く爆笑した。その反応に、カムニエは顔を覆って恥ずかしそうに俯く。
「いや、ははは……もう三日も寝たから、しばらくは眠れそうにないな。またの機会があったら頼むよ……」
「うう……はい」
カムニエの手触りのいい髪を撫でながら、フェンは優しげに笑った。その顔は悪魔とは程遠く、見る者全てが安心出来そうな笑顔だった。
「アッハッハッハッハッ、今すぐやれ!⠀俺がビデオカメラを回してやる!」
キーラはまだ笑っており、二人は呆れた顔で笑いこけるキーラを眺めていたのだった。
◆
リンは既に治りかけで、病院内を歩き回れるくらいには回復していた。その回復速度は医者が驚嘆するほどで、三週間はかかると踏んでいたのに、数日後には退院出来るほどだ。
一人で行動する事も許され、病院のロビーで他の人間と話す事も多い。流石に戦時中の国柄か、やれ、戦争が早く終われだの、今の世は人の金と平穏を搾り取っていくゴミだの、傭兵にとっては耳に痛い口弁を聞かされる事も多々あった。
また、彼女は異種人とはいえども若い少女。同じ入院仲間のおじさんおばさんからは可愛がられる事もあった。彼女自身の平時は穏やかで謙虚な性格もあり、無理もないことであろう。
リンはそれなりに入院生活の
しかし、リンは一人になると、乙女らしい悩みに悶々と苦悩していた。
それはフェンの事である。
彼はリンが病院に入った日から姿を見せず、嫌われたのか、忘れられたのか、はたまた気にかけられていないのか、彼女は悩みに悩んでいた。
毎日やって来るカムニエから、フェンは何かトラブルがあったらしいと聞いていたが、それでも不安なものは不安だった。何故そこまでフェンの事を気にかけるのか、自分に問うて見た事もあったが、考えていくうちに赤面して、ベッドをゴロゴロ転がりながら思考を打ち消してしまっていた。
実際、彼女は彼の事を絶えず気にかけている。あの日、自身の弱さを彼の前にさらけ出した日から、彼女の心の大きな所には、常に彼の姿があった。その相手に気にかけられていないというのは、彼女の心を鋭く切り裂き、知らず知らずのうちに涙が零れるほどの苦しみを彼女に与えていた。
リンはベッドに寝転がって、新しく変えられた包帯に包まれながら、昨日の共和国軍敗走の新聞――文章自体は相討ちの様に書かれているが、実際の戦況に詳しい者から見れば、明らかに敗走である。戦争士気を下げないための検閲によるものであろう――を読みながら、つまらなさそうに欠伸をした。
彼女の精神はかなり安定していたが、やはり退屈だった。カムニエは毎日来て話し相手になってくれるが、その時間以外は特にやる事が無い。病人相手の会話もそこそこ楽しいのだが、戦場で生きてきた乙女にとっては、かなり難儀する事も事実であった。結果として、彼女は聞き役になる。個人個人の様々な話は面白いが、愚痴なんかを聞かされるのは彼女にとっても辛い。尤も、彼女はそれを表に出すような人間ではないが。
キーラは最早論外である。顔を見せないのはどうでもいいが、カムニエの送り迎えすらしていない。彼女は毎日歩いて病院まで来ているのだ。この街の治安も良い方ではないので、リンは毎日何か事件に巻き込まれはしないかと心配している。カムニエから聞いた話では、毎日バーで酒を飲んでいるらしい。
「暇ね……」
この新聞も何度読んだか知れない。つくづく彼女は敵にやられる事になった自身の間抜けを恨んだ。
しかし、この怪我が無ければ彼女は果たしてフェン達と出会ったであろうか?
是、と答えられないので、彼女は自身の間抜けさに感謝していいのか、叱咤すべきなのか、微妙な気分であった。
「よう、元気かい?」
「リンさん、おはようございます」
「あ、おはよう……フェン!?」
だらけていたリンは、慌てて身の装いを整え、素早い速度で外見を取り繕った。フェンが来るとは思っていなかったため、彼女はすっかり油断していた。
「フェンさんが起きたんですよ」
「そ、そうなの……」
リンはニコニコと笑ってはいたが、頬には汗が流れていた。放り出した新聞は床に落ちて、バサッと存外に大きな音を立てた。
カムニエはすっかり定位置になったベッド脇の丸椅子に座り、フェンもその隣に腰を下ろした。フェンは抱えていた紙袋から随分と熟したマンゴーやら柘榴の実を取り出して、バスケットに置いた。
「悪かったな、見舞いに来なくて」
「べ、別に大丈夫よ。あなたも忙しかったんでしょ」
「そうでもなかったがな」
マンゴーの皮を剥きながら、フェンは放り出された新聞を拾った。内容は朝に見たものと同じで、共和国軍が敗走した内容だった。どうやって手に入れたのか、煙を上げる陸上戦艦の写真が貼り付けられている。フェンが何らかの既視感を覚えた写真である。それは確かに連盟軍の戦略型陸上戦艦ウェザの姿で、共和国軍が一矢報いた事を示していた。
「それ、結構傭兵には考えることが多い内容よね」
「そうだな。バルザの先行きが一気に怪しくなった」
「この街も危険地帯入りしたじゃない? 病院も、病人を首都に移動させよう、って話があるらしいのよ」
「そりゃ初耳だ」
リンは素っ気ないフェンの態度に口を尖らせたが、フェンが向いたマンゴーを口元に持っていくと、それに雛鳥のように食いついて、機嫌を直した。
「何だか餌付けみたいだな」
「むっ、失礼ね……あむ……安い女だと思われるのは……あむ……心外だわ」
「リンさん、説得力が無いですよ」
カムニエに言われて、リンは口元がマンゴー果汁でべとべとになっていることに気が付いた。その時にはもう既に、カムニエはウェットティッシュでリンの口元を丁寧に拭いていた。
「んにゃっ、カムニエちゃん、ひ、一人で出来るわ!」
「怪我してるんですから、このくらい任せてください!」
「んう……」
リンは頬を染めながらカムニエの言いなりになって、子供のようになすがままにされている。フェンはそれを微笑ましそうに見て、再度新聞の写真に目を移した。
煙や破壊痕のせいで見づらいが、写真の隅の方に、点のようなものが写っている。一見瓦礫片の影ようにも見えるが、よく見るとその影は僅かに翼を広げたような、横合いが突き出た形をしている。彼の既視感はこれだ。
「フェニックスか……」
フェンはその機体に殆ど確信といってもいい予想を付けていた。彼自身の古い記憶に、その機体の姿は焼き付いている。
戦場の破壊王。
天の武器庫。
紅の追跡者。
それを表す言葉は幾つもあった。
そのどれもが間違っているとは思わないが、フェンにとってあの機体は――
「あいつが来ているのか……?」
フェンの脳裏に閃く姿。だが、その姿は霞がかったように曖昧として、人の判別がつかない。
ただ、耳に残る明るい声だけははっきりと思い出せる。
『私たちは最強なんだから! ね、そうでしょ、フェン』
彼女は――
「も、もう十分よ! フェン、カムニエちゃんを止めてー!」
「ん?」
新聞から顔を上げたフェンの目に入ってきたのは、買ってきたフルーツを延々と切ったり剥いたりして、リンへ差し出しているカムニエの姿だった。結構な量を食べたのか、リンもお腹をさすっている。
母性本能でも刺激されたのか、カムニエは世話の焼きたがりを発症したようだった。
フェンが声を殺して笑うと、目ざとくそれを見つけたリンが今度は怒鳴った。
「ははは、静かに静かに。カムニエ、リンはお腹いっぱいみたいだ」
「あれ、す、すみません! 何だか夢中になっちゃって……」
「もう、最初から止めてくれればいいのに……笑っちゃって」
三人はしばらく雑談に花を咲かせた。その後、明日も来ることを約束して彼らは別れた。
フェンは帰り道で、何ともなしに空を見た。空は夕暮れの輝きを広々と主張していた。雲は殆どなく、砂ぼこりが風に流されていた。
フェンは平穏の時間が残り少ないことを無意識のうちに感じ、無性に安心した。誰もが自身の日常を歩んでいた。
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