005.キーラの補給任務‐1




 フェンがコックピットの席で昼寝を始めて三時間ほど経った。

 ぐっすりと眠って目が冴えていたリンは、寝ているフェンの隣で、何者かがやってこないかを確認する役目を負っていた。変わらない荒野の景色に退屈していたリンは、ウカナの街の赤い光と、天高く舞い上がる瓦礫らしき影と、巨大な音に、その抜けた空気を弾き飛ばされて、目を丸くした。

 遠くから見てもわかる、とてつもない規模の大爆発だ。そのあまりの爆音に、フェンの目は冷ややかに開かれた。


「キーラのやつ、何やりやがったんだ?」

「え、やっぱりアレって、あの男――キーラがやったの?」


 到底信じられないというふうに、リンは言葉を漏らした。たった一人の人間が、ものの数時間で何故あそこまでの大事を起こすことが出来るのか、彼女には理解出来ないようだった。

 あの爆発は、爆弾が一個二個爆発した程度のものでは無い。何千、何万という爆弾が一度に爆発しなければ、あそこまで凄まじい事にはならないだろう。


 話は数時間前、キーラがオフロードと邂逅した後に遡る――




 ◆




「馬鹿かこいつらは! 燃料くらい満タンにしておけ! なんだこのカスみたいな量は、20kmも走れんぞ」


 キーラは残量メモリを眺めながら、そう憤慨した。車外には、脳漿を垂れ流しにしている三つの死体が、めいめいだらしなく投げ出されていた。


「結局街に行かなければならないのか。仕方ない、とっとと燃料を積み込むとしよう」


 音を響かせるだけ響かせて温まりっぱなしだったエンジンに、本来の仕事を思い出させようと、キーラはアクセルペダルを全力で踏みつけた。エンジンは重低音を上げてエネルギーを解放した。

 車は一気に加速する。

 全力アクセルのままUターンし、地面をガリガリと削りながら、彼は街中へ入っていった。



 街中は閑散としていた。崩れた建物やひび割れた道路。電気が通らなくなり、役目を果たすことがなくなった電光掲示板など、かつての繁栄の名残はある。しかし、生きている人間を見かけることは少なかった。

 車の窓から見かけたのは、乞食のような姿の老人や、こそこそと足早に裏路地に消えていく男。かつては大量に車が走っていたはずの三車線も、乗り捨てられて塗装の禿げた車や、道路の亀裂に塞がれている。脇の歩道には、瓦礫の山が見苦しく積もっている。キーラは車を止めると、人も走る車もいない、寂しくも安全な道路へ降り立った。


「さて、どこを探すかな」


 キーラは当てもなく歩き始めた。瓦礫のある道は避け、まだ形の残っている道を進んでいく。脇道にそれ、形を残しているビルの中に入ってみても、中は荒れ果てており、静寂に包まれている。何かしら使えそうなものは全て奪われており、後に残っているのは、何の役にも立たなそうな、荒れ果てた景色に文明の残滓を感じさせることしかできないようなものだ。

 キーラは落ちている黒ずんだ破れかけの書類を拾い、このビルはかつてはビジネスに使われていたであろうことを察した。


「ああ面倒だ。フェンに任せた方が良かったな」


 キーラは生来の飽きっぽさを発揮して、早速やる気を無くしていた。

 書類を乱暴に投げ捨てて、彼はビルから出た。荒野の乾いた風と、砂煙の濁った空気が、彼の顔を打ち付けた。ジャケットの表面には舞い上がった砂が張り付いており、指で撫でてみると、砂が指にへばりついた。


「中心街だな、うん」


 キーラは一人呟くと、その足をどんどん街の奥まった場所へ向けた。大抵の街は中心部が最も栄えている。ウカナもその例に漏れず、中心部はより見目良い跡を残していた。

 中心街は様々な店が揃っていた。尤も、それらは既に打ち捨てられて久しく、看板や店の佇まいから察する事しか出来ない。

 かつては洒落たバーだったであろう建物を見つけると、キーラは迷いもせずに入っていった。店内はがらんとしており、入口には砂が溜まっている。電灯は割れて、薄暗い。砕けた酒瓶が大量に散らばっているが、中身のありそうなものはどこにも無かった。

 キーラは地下の貯蔵庫に足を運んだが、落胆だけを持って帰ってきた。


「ダメだ、樽ごと持ってかれてやがる」


 ウカナの崩壊はずっと昔の事だ。今の今まで酒が無事に残っている可能性など皆無である。彼は懐から寂しく金属の酒入れを取り出すと、中身を呷った。




 ◆




 キーラの頭の中からは、この街が盗賊の根城になっている事など、とうに消えていた。ただ、滅びた街を観光に来たような、そんな気分でぶらぶらと歩いていた。ただ、彼の生来の体質――何かしら面白い出来事に惹かれてゆくという、人生を彩る事においては一流だが、寿命を伸ばすという点においては何の役にも立たない性質は、彼の足を自然と火の中へ導いてゆくのだった。

 何故キーラがこの広大な街の中から、何の変哲もない一軒の民家を見つけられたのかは、彼だから、という理由だけで十分なのだ。


「いや……やめて……」

「うん? 何だ、お取り込み中か?」


 キーラは扉の向こうから聞こえてくる、か細い声を耳にしてなお、一瞬たりとも躊躇すること無く、その薄い扉を開いた。

 扉の向こうでは、二人の男が、今まさに、少女にその獣欲をもって襲いかからんとしているところだった。少女は後ろ手に掴まれ、男の太い手にテーブルへ押さえつけられていた。


「おお、こりゃまた……貧民らしい暇潰しだなあ!⠀大いにやれ!」


 キーラという闖入者は、室内の全ての人間の目を引いた。男達も少女も、唐突に現れた個性的なガンマンの姿に、殆ど言葉も出せずに呆気に取られていた。


「ああ、助けて!⠀助けて!」


 一番早く我に返ったのは、純潔を散らそうとしている少女だった。必死の様相で、キーラへ――気まぐれの権化とも言うべき気分屋へ、助けを求めた。

 もし彼が乗り気だったならば、この懇願は実に効果のあるものだっただろう。しかし、あいにく今現在のキーラは、蛇の交尾でも観察する学者のように、特に邪魔をする気分でもなかったのだ。


 しかし、少女は幸運だった。この場で幸運を使い果たしてはしまったが、それでもこの時は幸運だったのだ。

 少女を襲っていた男達は、キーラに向かって拳銃を構えた。特にやる気の無かった彼へ、敵対してしまったのだ。


「おっと、やっぱり貧民はダメだね。射撃の腕がなってない」


 キーラの手元から飛び出した空薬莢は、二つ続けて地面に転がった。彼の握るハンドガンから飛び出た弾丸は、正確に二人の男の脳天を貫いている。いつでも殺せたと言うような、一瞬の出来事であった。


「あ、あ……」


 目の前で人の死ぬ様子を見せられ、少女は丸見えとなっている局部や胸を隠すこともせず、怯えてへたりこんだ。


「やあ、黒い……いや、褐色だから少し違うな……やあ、泥んこ!」


 キーラは侮辱的な言葉でもって、傷心の少女を迎えた。

 この辺りの国で見る、褐色肌の、青い瞳の少女は、つい先程まで自身を犯そうとしていた男達よりも、目の前の金髪の男の方が、余程恐ろしいと思った。獣のような男達に襲われ、人死にを見て、獣と入れ違いに死神のような男の前へ引き出された哀れな少女は、ただひたすら、生きたいと願っていた。


「おい、何とか言え。俺も暇じゃないんだ。そういえば、さっき助けてとか言ってたな。助けてやったし、礼金でも貰おうか」


 キーラのバルト語は、少女にも理解出来た。少女は何も持っていなかったので、自身の唯一の財産である、つい先程までは必死で守ろうとしていた身体を捧げようと、脚を開いた。


「ど、どうぞ……」

「あ? 股を開いて何がしたいんだ? 酒と燃料だ。早く出せ」

「お、お酒、持ってないです……でも、体なら……」

「バカか!⠀俺はお前のような貧相な女よりも、余程味わいがいのある女を知ってるんだよ! いや、だが、しかし……俺はいらんが、フェンのやつへの土産にするか?」


 キーラはぶつぶつと呟いていたが、考えるのが面倒になったようで、じろりと少女へと目を向けた。


「お前、名前は?」

「カ、カムニエ……」

「よろしい、カムニエ。ちょっと来い」


 外へ出ていくキーラの後を、カムニエはよたよたとついて行った。遅れたりしたら何をされるか想像が出来なかったので、身体を隠せる服を探したりもせず、外へ出た。


「さて、カムニエ。この街の事を知ってるか?」

「少しは……」

「じゃ、酒と、燃料がある場所は知らないか?」


 カムニエは、あまり知識の無い少女だった。酒も燃料も、それ単体としては知っているが、どこで手に入るとか、どこに置いてあるとか、そういった知識は殆ど無かった。

 しかし、知らないと答えれば、キーラが何をするかが分からない。カムニエは何かキーラが満足出来る答えを出そうと、ちらちらと周りへ目線をやりながら、考えた。


「燃料は……補給所で、手に入ると思います」


 カムニエは、口にしてから自分の愚かさを呪った。燃料が補給所で手に入るというのは常識である。カムニエですら、父が車に給油しているのを見て知っていたのだ。男が知らないはずがない。

 カムニエは戦々恐々としながらキーラを見上げた。


「ふうむ、補給所、補給所ねえ……使い物になるのか?」


 キーラは特に気に触った風もなく、気だるげに質問を続けた。

 カムニエにとって、補給所は車に燃料を入れる場所で、それ以外何も知らなかった。燃料がどこから出てきているのかすら知らない少女には、使い物になるとかならないとか、そんなことは一つもわからない。カムニエの知識は既に底をついていたので、怯えながら「分かりません……」と言うしかなかった。


「まあいいや、補給所に行ってみるか。場所は?」

「あ、あの道を曲がって、真っ直ぐ行けば……」


 カムニエが小道を指すと、キーラはさっさと歩いていってしまった。カムニエは民家の前へ一人残され、呆然としていたが、キーラが去ってしまった事を理解すると、地面にへなへなと座り込んだ。

 彼女の心の中には、安堵の念がじわじわと、蕩けるように広がっていたのだった。




 ◆




「ほほう、これは悪くない!」


 キーラは補給所の地下にある、厳重なロックのかかった燃料タンクを前にして、楽しげに言った。非常に頑丈なそのタンクは、何かを叩きつけられた形跡を残しながらも、中身を完璧に守り切って、そこに鎮座していた。


「ロックは電子キーに物質錠三つか……」


 キーラはその頑丈なタンクを検分して、結論付けた。


「無理!」


 燃料はかなり危険な物質だ。それをしっかりと守る要塞のようなタンクは、生身の人間が相手をするものでは――そもそも壊そうとするものでは無い。


「チッ、普段使えても、肝心な時に使えないものに何の価値があるんだ」


 キーラは腹ただしげに呟くと、足音を鳴らして地上へと上がって行った。外へ出ると、向かい側の道路をぶらつく男の姿を見かけた。だらしない厚手のシャツに、皮のベスト、弾薬ごうのついたベルト、かわいた泥をくっつけたジーパンを身につけた、顎を赤髭が覆っている男だった。


「盗賊っぽい顔してるなあ。酒持ってそうだな」


 キーラは見た目で勝手に決めつけると、早速その男を尾行し始めた。男はずんずんと街を進み、中心街から離れた場所にある、巨大な建物の中に入っていった。


 その建物は、有刺鉄線とフェンスで囲まれており、かつて軍事施設だったであろう名残が、そこかしこで見られた。

 打ち捨てられた装甲車。草ぼうぼうの、ラインの引かれた広場。屋上のヘリポート。

 彼らは、自身が役立たずになっていくことに安心しているように、静かな眠りの揺蕩いの中で、ゆっくりと朽ちているのだった。


「なるほど、あの戦車や人型機は、ここから持ってきたんだな」


 キーラは即座にこの軍事施設が盗賊のアジトだと結論付けると、壊れたフェンスを飛び越えて、軽やかな足取りで侵入した。

 彼はこの時、盗賊が貯め込んでいるであろう酒を軒並みかっぱらうことしか考えていなかった。



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