006.キーラの補給任務‐2




 カムニエは、キーラが去ってしばらくの間は安心していた。しかし、時が経ち、風の音だけが街中を支配するにつれて、だんだんと不安な気持ちが湧き上がってきた。

 庇護もなく、力も無いカムニエにとっては、キーラという男は、恐ろしくあると同時に、とても頼れる存在だ。少なくとも、キーラよりは恐ろしくないが、粗野で野蛮な周辺の人間へ助けを求めれば、結果どうなるかは想像にかたくない。


 カムニエには、親がいない。戦争の混乱の中で、家族とは離れ離れになってしまった。最後まで共にいた母親も、一年ほど前のウカナ崩壊時に、はぐれてしまった。

 ウカナから脱出しようとする人波と、信じられない量の大渋滞。街中の商店は商品を奪われて、暴徒が街中を滅茶苦茶にしていた。

 カムニエの手を握っていた母親は、押し合い圧し合う人の群れに流されて、とうとう手が離れた瞬間、数多の人間の影へ埋まって、一瞬にして消えてしまった。

 それ以来、彼女は母親を見かけていない。


 この一年の生活は、乞食にも劣る酷いものだった。生きているだけまだマシだが、死にかけた事も何度もある。


 幸運だったのだろう。


 今日、男達に襲われそうになったのは、ただ、幸運が尽きたという、それだけの話だったのかもしれない。

 尤も、幸運の残り滓が、キーラという救いの道を示してはくれたのだが、キーラ本人の人柄か、雰囲気かのせいで、それを掴もうとは到底思えないのだった。

 これがフェンだったら、カムニエは一二もなく飛びついただろう。フェンには、どこか浮世離れしているが、落ち着いた、優しげな物腰がある。しかし、フェンはリンの隣で昼寝をしていて、カムニエの前にはいないのだ。


 カムニエは、死への忌避と、現在の生活に対する嫌悪から、キーラの――恐ろしくはあるが、野蛮ではない男の手を、今度は自分から握りに行く決心をした。

 キーラがカムニエの全てに興味を抱いていない事は、彼女の未熟な観察眼にすら分かった。今思い返せば、彼がカムニエの名を聞いた事すら、奇跡とでも言えるような事だった。襲われていた、という事象が、彼の琴線に触れたのだと思えた。

 実際には、襲われていようと何であろうと、キーラにとっては何の関係もない。彼は気まぐれな感受性を持っているので、特に何の理由もなく、目に付いたカムニエに少しは興味の出てきた気分だった、というのが正しい。そうでなければ、彼のカムニエへの印象は、その言葉の通り、泥んこのガキ、という甚だ軽い評価にすら達していなかっただろう。

 しかし、カムニエはキーラのような訳のわからない人種に出会ったことはなく、また人生経験も乏しかったため、強姦という衝撃的な事実によって、彼が自身に興味を持ったと考えた。


「また襲われればいいのかな……」


 それはキーラの気まぐれな嗜好に偶然マッチするかもしれないが、確率の低さで言えば、おすすめは出来ない提案だった。彼の四方千里に渡って飛び回る人間性質は、一秒たりとも同じ場所に留まってはいないのだ。

 カムニエは懸命にもそのアイデアを打ち捨て、ひとまずはキーラを見つけようと、彼が去っていった小道へ走っていった。



 ◆




 頑丈な扉を前して、フェンは鍵があればなあ……、と考える。キーラは即座にプレスティーラ-457を使用して、扉を爆音と共に吹っ飛ばすことを選択する男だった。

 プレスティーラ-457は変形爆弾の一種で、汎用性の高さから世界中の軍隊に配備されているものだ。


「どうだ? この先に何があるのか気にならないか?」


 キーラは焼け焦げて地面に横たわった扉と、それをはめ込んでいた四角い壁の穴を前に、低空を漂う臭い煙を足で切りながら、そう言った。


 軍事施設――正式にはバルザ共和国国防基地ウカナ支部の、地下の一角には、厳重に鍵をかけられた、目立たぬ扉があった。物質錠と電子キーを併用した、燃料タンクに負けず劣らずの扉だったが、肝心の扉の方がそこまで丈夫ではないという欠点を抱えていた。

 扉の向こうから漂ってくるひんやりとした埃っぽい空気は、この扉が開かれずに久しい事を示していた。


「ほほう、これは……地下への階段?」


 扉の向こうにあるがらんとした空間には、底が暗黒に飲まれている鉄の階段だけがあった。

 キーラはこの階段を目にした瞬間、中に入るのをやめることにした。この中に入ればろくな事にならないと、彼の本能と理性は殆ど奇跡的に一致した。


 そもそもキーラは、酒を保管するならば地下だと考えて、盗賊が寝床にしている一階や二階を華麗にスルーしてこの場へやってきたのだ。怪しい扉を見つけて、酒の保管庫かもしれないと短絡的に破壊した事によって、彼は殆ど忘れられていた奈落の口を開いてしまったのだった。

 彼はこの底に安置されているであろう存在をよく知っていた。そして、一見して緊急用のシェルターが作動していないことも見て取った。

 軍人がここから逃げる時に動かし忘れたのだろう。発電所から回ってくる電気も、非常用電源も無いこの時に至っては、シェルターを再び作動させる見込みは無かった。


「核保管庫かよ……この分だと、あの広場が発射場だな」


 キーラはこの施設の広場を思い出した。乾いた土のひかれた、平坦な場所だ。かつてはあの上を戦車や装甲車が走ったり、軍人の一隊が訓練をしていたのだが、今ではすっかり背の低い雑草に包まれていた。


 遠くから、人間の走ってくる音が聞こえる。爆発音を聞いて、上の階の盗賊がやってきたのだろう。キーラは即座に部屋を出て、音の聞こえてくる方向とは逆に逃げ出した。

 キーラが去ってからすぐに、三人の男たちが部屋に入ってきた。その中には、キーラが尾行してきた赤髭の男の姿もあった。


「えい、ちくしょう! 一体何が起こったんだ! 仲間も帰ってこねえし、厄日じゃねえか」


 彼らは盗賊達の最後の生き残りであった。他の仲間は仕事――略奪に出かけ、そのまま帰ってきていないのだった。

 盗賊達は破壊された扉を見つけると、それにゆっくりと近寄った。


「なんだあ、こんなとこに扉なんざあったか?」

「分かんねえよ、この施設広いからなあ。地下は役に立たねえもんしかねえから、放置してたしなあ」


 彼らは扉の向こうに地下への階段を見つけると、顔を見合わせた。銃を構えて階段を覗き込み、それが遥かな深さを備えている事を察すると、誰かが「この扉を爆破したやつは、この中に入ったんだ」と言った。


「ちげえねえや。もしかしたら、お宝でもあるのかもしれねえな」

「んやあ、こんなとこにそんなのあるもんか。だが、銃の保管庫とかに通じているのかもしれねえ」

「そりゃいいや。近頃武器の弾が無くなってきてるからな」


 盗賊達は一人ずつ階段を降りていき、部屋はまた以前のように静寂を取り戻した。爆発のせいで未だ舞い散る埃は、溜息のように重苦しく部屋中を犯しているのだった。




 ◆




 カムニエは灼熱の熱波の中、汗を流しながらふらふらと歩いていた。建物の影に入っては休み、少しの間息をつくと、それからまた当てどもなく進み始める。

 行けども行けども人の姿は見えず、彼女は世界に自分一人っきりになったような感覚を覚えた。しかし、少女の理性はそもそもこの街に人がとてつもなく少ないだけだと知っていたので、たとえどれほど人に会っていなかろうが、油断することは無かった。


 カムニエは、休む時は大きな建物は避けて、小さな建物の中で休む事にしていた。大きな建物は他の人間が寝床にしている事が多く、出会ってしまう危険性があるからだ。

 彼女は中心街から離れた場所にある、簡素で頑健な建物の中で、一休みすることにした。その建物は外からの見た目通り、内部には一室しかなかった。殆ど誰も立ち入らなかったらしく、中は埃と砂しか無かった。

 カムニエは中の温く埃っぽい空気に咳き込みながらも、建物の端の方で腰を下ろした。じんわりと汗ばんだ肌に埃が張り付くが、彼女はその感覚に慣れ切っていたので、それを拭うこともせず、目を閉じて呼吸を整えていた。


 キーラはまだ見つかってはいないが、彼女は諦めることは無かった。すぐに諦めるような少女であれば、たとえ幸運があろうと、この街で一年生きていくのは不可能だったであろう。


 休息しているカムニエの安楽を破るように、建物の中に破裂音が響いた。カムニエは恐怖に心臓が飛び跳ねるのを感じ、全身が怖気を震った。そして、無意識に頭を庇って床にうずくまった。


「全く、こんなふざけた話があるか!? 酒の収穫ゼロ! 大体ここはどこなんだ!」


 床板の一隅が、焼け焦げて吹き飛んでいた。その中から腹ただしげな声と共に、金髪の優男が現れた。片手に大きなタンクを持っており、非常に重そうな様子だった。


「あ……」


 彼女の求めていた存在が、そこに立っていた。苛立ちの罵倒を吐く彼は、カムニエには全く気づいていないようだった。カムニエはその様子に少々気後れしたが、勇気が臆病にまさり、話しかけた。


「あの……」

「うん?」


 キーラはカムニエの方向に目を向けたが、一体何が喋ったのか判断しかねている様子だった。彼女はしゃがみこんでいた体を起こして、そっとキーラの前に姿を現した。


「小娘か」


 キーラはそれだけを言った。彼の脳内には、カムニエの事など欠片も残っていないようだった。

 その反応を前にしても、カムニエの決心は揺らがなかった。


「あの……助けてください」

「助ける? 俺はもう帰るんだ。そういうのは他のやつに頼め」


 キーラは出ていこうとしたが、その服をカムニエは掴んだ。キーラはイラついたように彼女を見たが、そこでようやく彼女の事を思い出したらしかった。


「お前確か、交尾してたガキだよな。いや、襲われてたんだったか?⠀何でここにいるんだ」

「貴方を探してました。助けてもらいたくて。その……ここから連れ出してもらいたくて」


 カムニエの言葉はハッキリしていたが、瞳は恐怖に震えていた。

 彼女の勇気は褒め称えるべきものだったが、心の中の恐怖心は容易に克服できるものでは無い。


「連れ出して……ねえ。ま、拾い物ってやつか。来い」


 キーラは少し考えてそういった。彼の脳内でどのような考えが沸き起こったかは、他人には測れない。しかし、ともかく今回は、彼の中の良心というやつが、思考に働きかけたようだった。

 キーラの言葉を聞くと、カムニエの胸は喜びで溢れ、涙が一滴零れた。その時には既にキーラは歩き始めていたので、カムニエは慌ててその背を追いかけた。



 キーラとカムニエは道路に乗り捨ててある車の一つに乗り込んだ。キーラがこの街にやってくる時に乗り込んだオフロードである。


「んじゃ行くか」


 キーラはオフロードの中に燃料を注ぎ込んだ。彼は酒を手に入れる事は出来なかったが、燃料だけは手に入れてきたのであった。尤も、彼は燃料よりも酒の方を求めていたのであるが。

 カムニエは後部座席に座った。車内に入る時に、座席に銃が放置してあるのを見て少々怯えていた。


 キーラはアクセルを踏み込んだ。オフロードは全速で街から出て行き、あっという間に街は背景となった。


 カムニエは街から出る時に、どこかから黒い煙が上がっているのを見かけた。建物が燃えることは珍しい事ではないので、すぐにそれに興味を失ったが、少しの疑問が沸き起こった。


(あそこ、怖い人の沢山いる場所だった気がする……あそこが燃えるなんて珍しいなあ)


 尤も、去っていく街への興味を長く続けることは難しい。その疑問も、やがてすっかり忘れ去ってしまった。




 ◆




 盗賊達は、地下の入口を覆う火の手に追われ、最奥部まで逃げ込んだ。進みゆく火を逃れようと、彼らは閉ざされた扉を強引に破壊して、やがて丸い空間にたどり着いた。

 彼らの持つ灯りではその全貌は見えなかったが、何かしらの巨大なものがあるのは感じられた。


「クソっ、俺たちここでおしまいかよ」

「諦めるんじゃねえ! どっかに階段とかないか探せ!」


 盗賊達は鼓舞し合いながら進んだが、無情にも火の手は迫ってくるのだった。


「死にたくねえ! 死にたくねえよ!」

「ああ、神様、助けてください!」


 彼らは盗賊らしく、自分でも持っている事を忘れそうになるほど日常的に、弾薬盒の中に爆弾を持っていた。プレスティーラや手榴弾、火炎榴弾など、この基地に保管してあった様々な兵器だ。

 鉄を熱する奇妙な音と、グラグラと苦しい煙。彼らは火に包まれ、死の舞踏を踊り狂った。そして、彼らは命の最後の火花とでもいうように、派手な音と衝撃を携えて、地面を揺らすほどに爆発した。

 その威力は、火で炙られているとある兵器の外部装甲を剥がす程には凄まじかった。その穴から容赦なく侵入していく火は、偶然か必然か、その兵器の起動を手助けするのだった。



 さて、何故火事が起こったか?

 当然ながら、キーラの仕業である。

 彼は酒を探している最中、偶然兵器庫を見つけて、酒の見つからない腹いせに白燐手榴弾を放り投げたのだ。勿論放り投げた一秒後にはヤバいと察して、即座に彼は脱出した。その後は当然のように火と爆発が施設を襲い、やがてとんでもない大参事へと繋がることになる。



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