最終話 人殺しは悪である

 その日、私は映画が始まるまでの時間を潰すために一人で喫茶店でカモミールを飲みながら小説を読んでいた。ララ事件から五日。未だにララは目を覚まさない。あれから派手な事件は起きていない。しかし、その日は違った。


「――相席失礼するよ」

「どうぞ」

 目の前に金髪の男が座る。その男の髪は長く腰まであって、それがとても印象的だった。本能的に分かる。この男が誰なのか。

「君は疑問に思わないのかね?」

「なにがですか?」

「他にも席が空いてるのにも関わらず、私がこの席に座ったことについてだよ」

「世の中にはそういう物好きもいるものだと割り切っています――もっともあなたは騎士団第三部隊隊長リコとしての私に用事があると推測しますが」


 私は読んでいた小説を閉じて、男の方を向く。今日は非番なのだが、退屈していたところだ。少しくらい話に乗っても良いか。それにこいつには言っておきたいことがある。


「そうだね。リコ君。君は穢れなき正しき正義のような存在だ」

「私は悪役ですよ? 間違っても正義じゃありません。私みたいな利己主義者が正義であって良いわけがない」

「ふむ……リコ君。君にとっての正義とはなんなのかね?」

「利他主義ですね。自分より他人を優先出来る人間が正義です。そして私はそれが出来ない。だから悪役です」

「なるほど。でも私は思うのだよ。その基準で言うならば、この世界の人間は全て悪になってしまうと。利他主義を正義と言うのならば、その反対の利己主義は悪になるからね」


 人間の本質は利己主義だ。もしもそれを否定するのなら全てが悪になると。この男はそう言っているのか。たしかに一理あるが……


「あなたも随分と狭い世界で生きていますね。この世界には他人のことを優先して生きる利他主義な人間もいますよ」

「……それは君の上司であるスックラのことかな?」

「さぁ? あなたに言う必要はありませんから」

「それじゃあ、とある仮定をしよう。スックラがもしも他人から利他主義と思われることに快感を覚える人間という仮定だ。そうすればスックラの行動は快感を求めるための行動であり、利己的だと言えると思うのだよ」


 随分と屁理屈を述べるものだ。こんな理屈でいけばありとあらゆるものが利己主義になってしまう。そしたら人間全てが悪だ。


 ――いや、だからこの男は利己主義を悪だと言った場合は全ての存在が悪になると言ったのか。面倒な考えだ。


「リコ君。黙ってどうしたのかね?」

「あなたは勘違いしてますね。正義の反対は悪じゃなくて別の正義です。つまり利己主義は別の正義の形であり、悪ではない。ただ私だけは悪役です」

「やはり君は面白い。それじゃあ君にとっての悪とはなにかね?」


 私にとっての悪。そんなの迷うことは無い。

 絶対に正当化出来ない行動。それが悪。

 この世で悪と言っていい行為は一つだけ。

 それは――


「人殺し」

「君にとっての悪は人殺しか。それじゃあ人を殺したことのない君がどうして悪役を名乗るのかね?」

「もう映画の時間なので失礼しますね。それと私が悪役を自称する理由。それは私が自分の行動を正当化するためです」

「ほう……」


 私は席を立つ。こいつとは会話しない方がいい。これ以上、会話すると倫理観が壊されて人としての大切ななにかを失う。この男は悪魔のような男だ。


「天野川理子。君とはまた会うだろうね」

「ええ。その時は覚悟しといてくださいね。お菓子の世界で最悪の犯罪者ホームズ・モリアーティ。そしてリリアンの件は絶対に許しませんから」


 ここで会話していた男。このお菓子の国の大犯罪を裏から手引きする最悪の存在。この世界で最大の敵だ。もしも次に会う時があったら――

 いや、今はこれ以上はやめておこう。


「君に私は殺せるか?」


 私はそれに答えない。今はこの質問に答えるときではない。私は彼を無視して映画館に向かった。それが私と彼の初めての会話だった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「人殺しは悪か。善悪なんて考えるだけ馬鹿馬鹿しい。そう思わないかね? ガブリエル君」


 このホームズ・モリアーティ。

 初めてリコという女と対話した。やはり彼女は面白い。善と悪の基準がハッキリしている。悪について問いかけたら、あそこまでハッキリと人殺しと答えられる人間がいるとは思わなかった。


「そういえばララはいいんですか?」

「ああ。能力持ちは貴重だが、暴れ馬過ぎて手に負えない」

「それは分かります。いやぁどうして虐められっこって自分に問題があることに気付かないんですかね?」

「気づける時点で虐められないと思うよ」

「それもそうですね」


 今回に収穫はガブリエルという男。

 彼は助手にするにはもってこいだ。それに話していて面白い。

 ララは完全に失敗だった。ワインを飲みながら、そう思っているとカランカランと一人の女が入ってくる。


「ただいま。ルナ」

「ほんとに久しぶりね。これで私にも調査の手が及ばないわ」


 ルナは死んでいないし、廃人にもなっていない。彼女を失うにはあまりに惜しすぎる。だから代わりを用意した。


「しかし、死体をゾンビみたいに使役する技術。どこで手に入れたの?」


 死体をゾンビとして蘇らせて、そこにXXダブルエックスを注入して兵器として運用した。もちろん死体を整形してルナと同じ容姿にしてね。


「国だよ。ちょっと国家秘密を盗んだのさ」

「国もとんでもないことを研究してるのね」

「あれを知った時は私も度肝を抜いたさ」


 そして、このゾンビは心が無くて命令に絶対に従う。正式名称は『地底人』というみたいだね。これを使って革命前の国はとんでもないことをしていたみたいだが、私の知ったところではない。


「しかし、ホームズ・モリアーティ。これはなに?」

「見ての通りゾンビさ。数は二十万だ」

「あんた……なにをする気?」

「国盗りも面白いかもね」


 ゾンビ一体の身体能力はリコと同様なのは検証済み。いやぁ面白いことになってきたね。これからが楽しみだ。リコ率いる騎士団はなにをするだろうね。


「ホームズ先生。もしかしてララを捕まえさせたのって……」

「簡単なことだよ。ララが獄中で能力を使って暴れて囚人を皆殺しにしたら、リコはどう思うだろうね?」

「なるほど。つまり最初からホームズ先生の計画通りだったわけか」

「イエス。今回は悪いが私の一人勝ちだよ」


 しかし、一つだけミスをした。

 まさかスックラ団長に見つかるとは……

 あの男はどうやって私の所在地を把握した? それだけが不安だ。


「人殺しは悪だよ。実はこう見えて私は誰一人殺していないんだ」

「冗談はやめてください」

「それが冗談じゃないのよ。ホームズはララの両親を殺す時も私に命じた。つまり彼は間接的に人を殺すことはあっても直接殺すことはないの」

「そうだとも。人殺しを悪だと言うリコ。彼女は私を悪だと言えるのか興味があるよ」


 人殺しは等しく悪である。それだけは絶対に変わらない。事実だ。


 だから私は誰かに人殺しをさせるのが大好きなのさ。


 そんな私を人はこう呼ぶ。


『お菓子の国のサイコパス』

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お菓子の国のサイコパス 中本 優花 @Aliceperopero

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