第4話

「んふふー、ここをこうして…っと」

 今日はロゼと病院の庭先で花遊びをしていた。

 流石広いだけあって、庭と森の区別はそこまで明確にはないが、病院には中庭が存在する。小さな花が咲く落ち着く場所として、長距離が歩けない患者がよく訪れる場所だ。

「花のかんむり作るの好きだな、お前」

「えへへ、唯一作れるものだから」

 彼女は得意げにそう言う。彼女の膝の上には、かなりの頭の大きさの人間しかすっぽりはまらないような大きい花かんむりを作っている。

「ふんふんふーん」

 ご機嫌なようで、鼻歌を歌っている。

 その歌声にリズムを取るように、周りの花が風に揺れている。


 どれくらいそこで花遊びをしていたんだろうか。トイレに行きたくなってきた。

 しかし、俺がトイレに行きたいと言って、楽しい時間を過ごしているロゼを、まさか男トイレまで連れて行くなんて。

 流石に監視義務があると言っても、少々厳しいものがある。

「な、なぁ、ロゼ」

「ん?どうしたの、先生?」

「俺、トイレに行ってくるから。少し、一人で遊んでいられるか?すぐに戻ってくるから」

「うん!待ってる!」

 ロゼはにぱっと歯を見せて笑って、再び手先の遊び道具に集中する。その姿を確認してから、俺は駆け足で職員トイレへと向かう。


 トイレへ駆けこんですっきりした後、俺は急いでロゼの元へ戻る。そこは、想像していた最悪の状態になっていた。

 三人の黒い服を着た男達が、ロゼをじっと見ていた。背の高い男に見下ろされているせいか、彼女は怯えた表情をしている。

「す、すみません!」

 慌てて、彼らの間に割って入る。ロゼの顔が少し明るくなった。

「お前が、この子の担当者か」

「そ、そうです。監視義務の件は申し訳ないです。トイレに行きたくて、でも近くには頼れる担当者がいなかったので、この子を置いて行きました」

 包み隠さず、真実をきちんと伝える。

 彼らは少し顔を顰めたが、「次から気を付けるように」と一言言っただけで、それ以上叱られる事無く、すたすたと去っていった。

「ロゼ」

 俺はすぐにロゼの近くによる。ふわりと、花の匂いに混じって香水のような匂いがした。あいつらの内の誰かが付けていたんだろう。

 最悪な匂いが移ったな。

「悪かった、ロゼ。怖い思い、させたな」

「大丈夫、先生。私、平気だから」

 えへへ、とロゼは笑った。強がってるんだろうか。

 そこに言及してやりたかったが、彼女の強がりをあまり無下にするのもよくないと思い、何も言わずに彼女の頭を撫でてやった。

「…ねぇ、先生。もう、お部屋に戻りたい…」

 突然の申し出に、俺は首を捻った。いつもなら俺が止めないとずっと外に出続けるような、そんな活発な子なのに。

「……痛むのか、棘」

「ううん。でも、何だろ、疲れちゃった」

 少し困ったように彼女は笑う。本当に痛くはないようだ。

「分かった、上でお絵かきでもするか?」

「うん!」

 俺が笑いかけてやると、すっかりいつもの笑顔になって、俺の手を引いて中へと入って行く。

 彼女の編んだ花かんむりは、地面に落ちて草の中に紛れ込んでしまった。



 日々の変化とは、起きる時には予告なく起こる。


 その日の真夜中。眠っていた時に、突然耳元でけたたましいベルが鳴る。俺はその音に飛び起きて、音を消すと白衣を羽織ってロゼの部屋へ向かった。

 あのベルは、担当する患者に何かがあった際に、担当者と当直に通じるようになっている緊急ベルだ。

 着の身着のままで、勢いよくロゼの部屋の扉を開ける。


「ロゼっ?!」


 彼女は苦しそうに眉を寄せ、荒い息を繰り返し吐いていた。額からは血が滲んでいる。

「っせ、んせ…っ」

 出血量は酷く見えないが、棘が彼女の血で赤く染まっているのが、何より恐ろしく見えた。

 伸ばした手が止まりそうになるが、そうは言っていられない。

 布団のシーツを掴む手を、俺の手へと誘導させて握らせる。閉じられていた瞳がゆっくりと開かれた。

「先生…っ、駄目、だよ……っ。っは、爪、立てちゃ……っぐう」

「いい。ロゼ、気を保て」

 彼女の爪は確かに皮膚に食い込み、痛みはある。痛いが、ロゼが今感じているであろう物に比べれば、毛ほども痛くない。

 この状態の彼女に対して、俺は何も出来ない。この状態では日頃飲ませている薬では効果をなさないだろうし、この出血量では睡眠導入剤を飲ませれば死ぬ可能性もある。

 手が、打てない。

「先生、先生、…私…っ」

「あぁ、聞くから。落ち着け、ロゼ」

「え….、死んじゃう…かな……っ?」

 眉が下げられて、荒い息を吐く口角は僅かに上がっていた。そして紫の片眼を俺へじっと向けている。

「っ死なない!死なせねぇよ!」

「…あは、先生っ……。言葉、っぐ……悪い……のね…っ。っは、私、……知らなかった……なぁ…っ」

 枕が赤く変色していく。ごりごりと棘が肌を食い破り、骨を締めあげて変形させていく。

 何で。何でこうなったんだ。今まで棘が大きくなる時に痛みを感じる兆候はあったが、ここまで酷い事なんて今まで一度も。

「……ね、先生。……ヴィルぅ、先生…、私、っ……私、お願い……あるの」

「………何だよ」

「ちゅー、して……、欲しいなぁ」

 俺は大きく目を見開く。ロゼは縋るように俺を見ていた。

 何かを欲してくるなんて、彼女を担当していて初めてじゃないか。

「…っはは、俺で、いいのかよ?」

「先生が…、いいの……。……だめ?」

「いや、いいよ。お前が望むなら」

「えへへ…、嬉しい…っなぁ……」

 ロゼの手の力が少し弱くなってきた。俺が今度は彼女の手を強く握って、顔を近付ける。

 紫の瞳の中に、揺れる俺の顔があった。

「……先生、泣きそう」

「馬鹿、泣かねぇよ。俺は痛くないから」

「…うん」

 お互いの息が振れ合うほど、距離が近くなる。今までこんなにも顔を近付けた事があっただろうか。

 整った顔は天使のようで、彼女の顔を赤の薔薇が彩っていた。

「綺麗だよな、相変わらず」

「えへへ…、ありがと……」

 ぐっとロゼの方から顔を近付けてきて、唇同士が触れ合った。


 頭の中が真っ白になって。


 やけに身体の奥がジンと熱くなって。


 一瞬しか触れてないのに、しばらく触れ合っているように感じた。


 ロゼの瞳が、いたずらに笑った気がした。

「先生、大好きだよ」

 滑らかで穏やかな声。ロゼの手から完全に力が抜ける。

「………ロゼ」

 掠れた声で呟いて、彼女の手を握り締めた。


 もう、握り返してはくれなかった。



 ピピピ、ピピピと、耳の近くで鳴る電子音に、俺は顔を顰めながら聞こえてくる方向に手を伸ばす。目覚まし時計を一回叩いて音を止め、むくりと身体を起こして欠伸を一つ。

「……ねみ」

 いつもと変わらない朝の始まりだ。


 夢へ誘おうとする魔の手から離れ、目覚まし時計の前に置いている眼鏡を取る。

 ぼやけていた視界は形を成し、はっきりと部屋の中が見えるようになる。

 そのまま洗面所へ向かい、また眼鏡を外して歯を磨いて、頬を撫でて髭が生えているのを感じ、手早く剃る。それから顔を洗った。

 洗面所から出て、クローゼットの方へと向かう。中から服を適当に取り出して着替える。

 少々の皺は手でぱぱっと伸ばしておいた。


 部屋の外へ出て、食堂へと向かう。今日の朝はアンパンと牛乳。二つもらおうとして――、食堂の担当職員に注意されて、慌てて一人分を受け取った。

 それらを持って、俺は中庭へ向かい、そこに腰を下ろして、もぐもぐとアンパンを頬張る。

 担当者は、患者がいなくなると一週間ほど休暇をもらう事が出来る。その間に次の担当者になる患者の情報を得る。

 この一週間に関しては、俺にとってはロゼの思い出に心を浸す日々でしかない。


「おい、いつまでしょげてるつもりだ」

 鋭い声に、俺はびくりと肩を震わせた。そこには先輩が仁王立ちしていた。

「…俺、サイコパスじゃないんで。傷つきますし、堪えますよ」

「それでも私達に足止めは許されない。小休止だけだ。それで向こうの家族の食い扶持になるわけだからな」

 シエラ先輩は俺の頭を叩く。

「……いい子でした」

「そうだな」

「突然、容態がおかしくなったんです。いつもと同じ変わらない日々になるはずだったんです。今日も明日も、明後日も。…何で、急に」

「………さぁな。でも、あの子は最期までお前と居られたんだ。幸せだったよきっと」

「そう、ですかね」

「あぁ」

 シエラ先輩は、俺の頭の上に手を置いたまま、そこから一歩も動かなかった。


『先生』


 いつも楽しそうに笑っていた彼女の――、ロゼの声が、耳の側で聞こえる。


「あの、先輩」

「うん?」




「泣いて、いいですか?」


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赤い薔薇は咲き眠る 本田玲臨 @Leiri0514

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