第3話

 昼ご飯を終えて、俺達は森の中を歩き始める。朝と変わらずロゼが前を歩いて、俺が後ろをついて歩く。

「ロゼ、悪かったな」

「何で先生が謝るの?」

「…なんていうか。そのな、謝っとかなきゃいけねぇんだよ。大人の勝手で、ロゼはここに居るわけだしさ」

「ねぇ」

 ロゼがピタッと足を止め、俺の方へ振り向いた。その表情は怒っているような、悲しんでいるような。ごちゃごちゃに混ぜられた感情を表していた。

「先生が、私の不幸を勝手に決めないで」

「…っ!?」

 大人しい彼女からは想像の付かない、鋭くはっきりした声。思わず面食らってしまった。

「そりゃ最初は嫌だったよ?お父さんやお母さん、メイドさん達とお別れして、独りぼっちになったって思った。ここに来る前の病院では、冷たくて厳しくて……、気持ち悪いって言われてて。ここでもそう言う風に思われるんだって思ってた。でも、先生は違うの」

 複雑な表情から一転、にぱっと笑顔に変わる。

「初めて出会った時、目を合わせて微笑んでくれた。誰も触ろうとしなかった薔薇に触れてくれて、「綺麗だ」って認めてくれた。それだけで、私は凄く嬉しかったの!」

「そん、なの……」

 担当者としては当然だった。特に小さな子どもなど、親から引き離されて来ているので、輪をかけて優しくしているだろう。マニュアルにも書いてあるような、当然の行動である。

 でもロゼにとっては、幸福であったのだ。

「先生。ここがどういう所なのか、これからどうなっちゃうのか。何となくだけどね、分かるんだ。でもね、私。今ここで先生といておしゃべりも、ご飯も寝る時間も一緒で、凄く嬉しくて楽しいの!だからいいんだ」

「…ロゼ」

「えへへ。先生大好きなんだよ、私」

 何が誇らしいのかは定かではないが、彼女は胸を反らして鼻を鳴らした。

「…ありがとうな」

「ううん、いいの」

 ロゼはくすくすと笑って、俺の横へ並ぶ。そして、手へ触れてきた。握りたいのだろうと思い、その小さな白い手を取る。

「ね、先生。もう帰ろう」

「いいのか?まだ時間大丈夫だぞ」

「いいの。しばらく歩いてなかったから、疲れちゃった」

 ロゼは疲れたというジェスチャーをした。恐らく半分本当で半分は嘘だろう。俺に気を使ってくれている。

「分かった。少し回ってから帰ろうな」

「うん!」


 帰り道は特に何かが起こるわけでもなく、無事にここへ帰ってきた。

「先生、私お風呂入りたい」

「ん。そうか」

 汗もかいただろうし、当然だろう。

 ロゼの手を引いて、浴場へと向かう。

 風呂は男湯、女湯に分かれ、それぞれに職員が入っており、風呂へ入れてくれる。患者担当者は大体の風呂上がりの時間を聞いておき、その時間に迎えに行けば済む話になる。

 今日は特にやる事もないので、ロゼを女性職員へ預けて風呂場前の椅子に座り、彼女を待つ事にした。

「お、ヴィル」

「……シエラ先輩」

 ひらりと手を挙げて、何食わぬ顔をして先輩が近づいてきた。

「…どうしたんですか。こっちに担当者室はないですよ」

「知ってるさ。何年務めていると思っているんだ」

 先輩は俺の横へトンと腰を下ろした。

「ロゼちゃんとのデート、楽しかったかい?」

「デートじゃないですって。まぁ、楽しかったですけど」

「よかった」

「…あの先輩」

「ん、あぁ、分かってる。昼間の事だろう?」

 先輩はふっと息を吐き出した。

「処刑さ。あの人、犯罪を犯した精神病患者でな。母親殺しだ」

 処刑。その言葉がズシリと重くのしかかってくる。


 処刑とは、平たく言えば、治る見込みのない人間を殺す事。つまり、処分するという事だ。

 ここへ来る人間は一定数来るわけだが、こちらから治った人間を本土へ送る人数は少ない。要は、受け入れたとしてもその人数が入るだけの部屋数がないのだ。そこで、政府と病院の上層部の人間は話し合って、治る見込みのない人間を消し、そこに新たな人間を受け入れるようにした。消す人間は犯罪者から順に優先度を付けられ、次に奇病者と能力者、一番殺されにくいのは精神病患者である。

 先輩が今朝まで担当していた人物は、その処刑が行なわれたわけだ。


「仕方なかったんだ。彼が妹さんを守る為には、母親は殺さなくてはならなかった。だが、誰もが認めてくれなかったんだそうだ」

「……イマジナリーフレンド、ですか?」

 幼少期の子どもによくみられる、空想上の友達。大人がそれを持つのは珍しい事例だが、ないわけではない。

「霊感だそうだ。亡くなった日からずっと、彼には見えていたのだそうだよ」

「お、おおおおお化け、っていないですよ」

「お化けって言い方、可愛いな。ま、それはおいといて。見えていた彼には、声も聞こえていたようでね、ずっと言っていたらしい。……母さんに殺されたってね」

「母親に...」

「その言葉を信じて母親に問いただしたら、彼女の家庭内暴力による死だったらしくて。それであとは、ま、分かるだろ?」

 その青年は母親を殺した、という事だろう。そしてここへ連れてこられて、先程撃ち殺された。

「……彼の精神は正常だったんだ。見える見えないなんて、誤魔化しはいくらでも聞くんだ。でも彼は妹の存在を認め続けた。素敵なお兄さんだよな」

 先輩は息を吐き出して、壁へ寄りかかった。そして片手で顔の上半分を覆った。


「どうして、あいつが死なないといけないんだ…」


「……先輩」

 震えた声は怒こっているのか悲しいのか。俺にはよく分からなかった。

 ふー、と長く息を吐き出す音が聞こえてから、すっと先輩は立ち上がった。

「悪かった」

「……いえ、その、俺」

 何か彼女の慰めになるような声を掛けようとして、しかし何も言葉にはならなかった。

「…いいよ。その気持ちだけで十分だ。その優しさは伝わる」

 先輩はにっと笑って俺の頭を撫でると、そのまま来た道を歩いて行ったしまった。声を掛けようとけていた口は、行き場を失って肥えも発せずにつぐむしかなかった。

「先生?」

 ロゼの声にハッとし、俺はロゼの方へ向く。

 いつもの病院服に戻った彼女が、首を傾げて待っていた。恐らく俺が人のない方向を見ていたからだろう。

「どうしたの、先生?」

「……いや、何でもない。同僚がいたけど声を掛け損ねただけだ」

 はにかんでロゼの頭の上に手を置く。ふわふわとした髪の手触りが心地よい。

「飯、食堂で食べるか?」

「んー…、うん!そうする」

 今日の夜ご飯何かなー、と幸せそうに考えているロゼを見下ろす。

 手放したくない。この子は、殺されたくはない。

 改めて強くそう思った。

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