第26話

 サクラはモモカの部屋でスカートに着替えながら部屋の中を見渡した。

 モモカのほんのりレモンの香りがする部屋自体は、サクラの部屋の倍あった。白を基調として、コーラルピンクのカーテンが窓を閉じて、ベッドには桃色の布団がかかっている。ベッド脇の棚には本や人形の他に、小さなコンポと銀のフレームの写真立てが置かれている。写真の中にはカラフルな遊園地の背景に、ぎこちない笑顔のモモカと人の良さそうな男の子がツーショットで写っている。小さなローソファーとローテーブルも置いてあって、ソファーにはクッションとぬいぐるみが、ローテーブルには様々なジャンルのファッション雑誌がいくつか置いてある。

 勉強机には白いノートパソコンと、不自然に折れ曲がったルーズリーフが纏められており、そこに貼られた付箋には「いつもありがとう」と丸っこい字で書かれている。誰かに貸してたのだろうか。ルーズリーフの隅に、サイダー味の飴がくちゃくちゃに包装されて転がっている。そして、机の横には隠れるように備え付けられたクローゼットがあった。


 着替え終わって、モモカを呼ぼうとドアを開けた。モモカはサクラが着替えている間にお茶を取りに行っていたようで、先程まで飲んでいた紅茶とお茶請けのセットをお盆に乗せて立っていた。


 「ありがとう、モモカ。前より頑丈になったみたい」


 「良かった」


 無理して明るく話してみたものの、なんだか気まずくてお互い黙り込んでしまう。


 「サクラちゃん、座ろう」


 モモカに言われて、サクラはひとまずソファーに座った。モモカはお盆をそのままローテーブルに乗せた後、ふわふわの白羊みたいなラグの上にちょこんと座った。モモカは落ち着かないように膝の上で指を遊ばせていた。


 「手は大丈夫?」


 「ああ……平気。血も、すぐ止まったよ」


 モモカはそう言って小さな左手を自分の顔をの前でひらひらさせる。どこに怪我をしたのかはわからないほどだった。


 「よくあるんだ。モモカ、おっちょこちょいだから」


 無理して下手くそな笑顔を作るモモカはどことなく痛々しくて、見てられない。


 「大したことなくて良かった」


 サクラは少し笑う。この張り詰めた糸が切れたような安堵感はたぶん、モモカの指が無事だったからじゃない。モモカもパタリと手を下ろして、眉を八の字に下げる。


 「ご、ごめんね。サクラちゃん……今日、本当はお母さん、夜まで帰ってこないはずだったの」


 モモカはギュッとスカートを握りしめ、落ち着かない様子で目を泳がせた。


 「別に大丈夫だよ。お話しただけ──」


 「あんな風に聞かれていい気しないよ……」


 「気にしてない。気にしとるのはモモカだよ」


 そうは言ったものの、チクチクと胸のあたりが痛い。こういう気持ちになることは今まででもあった。正月とかお盆とかで親戚で集まったときだ。陽の高いうちにお酒なんて飲んじゃって、気分が良くなった伯父や祖父母が笑いながら言う。「サクラちゃんはいつまでコーヒー屋さんなの」って。そして、見せつけるように同い年の従兄弟を褒める。県内トップの国立大学に入って、一人東京で暮らして、研究職をして……せっかく行かせてもらった大学も続かない、夢も趣味も持たずに定職に就かず、不安定なまま親元で甘えてるサクラとは大違いだ。そんな時は決まって母が苦い顔して笑うんだ。

 

 今はそんな回想に苛立っても仕方ない。サクラは赤茶色の液体を無理やり喉に流し込む。

 モモカのお母さんが淹れた紅茶だ。上手に淹れてある。サクラがお店で淹れるのより香り高くて、ずっとおいしい。


 「……いつもそうなの。友達に嫌な思いさせちゃうから……それに……」


 モモカは重苦しく溜息をついて、煩わしく纏わりついた異物でも振り払うように首を振り、髪を揺らした。

 

 「だから、誰も会わせたくないの。友達も彼氏も、先生も……」


 あの毒を持つ笑顔で、一番嫌な思いをしてきたのはきっとモモカだ。初対面で赤の他人のサクラにまで、あの調子じゃ、モモカへの当たりは相当厳しいのだろう。

 さっきのやりとりの片鱗を掻き集めた情報からの想像だけど。モモカはきっと認めてもらえなくて、否定されてきたんじゃないのだろうか。しかも、母からすれば、それはモモカのためを思ってのことだから尚更やるせない。


 「……すごく、嫌な思いしてきたんじゃないの?」


 「うん……お母さんのことは嫌いじゃないけど、嫌になっちゃう……何をするにもお母さんがどう思うかなって考えちゃってさ」


 モモカは、肩を竦めて顔を上げた。


 「でも……だからかな。お母さんに唯一内緒にできた魔法少女の思い出はとっても、とっても大切に思うの」


 少し照れ臭そうに笑うモモカにサクラは複雑な感情が湧いた。モモカが魔法少女だったことを大切に思っていたことへの安堵と、それと同時に魔法少女は母親からの逃避だったのだとすれば、どう思って良いのかわからない。

 気の利いた言葉も出ないままにモモカが口を開く。緩んだネジみたいに力のない顔を無理に引き締めて、張り裂けそうだった。

 

 「……だからね、サクラちゃんと出会えて良かったなぁって思ってるし、今だって思うよ。お母さんはあんな風に言ってたけど、モモカにとってサクラちゃんは大事な友達なんだよ」


 「だから──」とモモカの言葉は詰まり、息を飲む。


 「モモカのお母さんがなんて言おうとわたしはわたしだし、モモカはモモカでしょ。モモカとモモカのお母さんは違うんだから」


 モモカが何を言いたいのかは確信持てないし、そんなモモカになんて言ったらいいのかわからないけど、サクラは思った通りに答えた。

 少し、気が抜けたのかモモカの口から柔らかく溜息が溢れた。


 「……そ、そうだね……そうだよね……」


 「だから、ありがとう……この前のこと、心配してたんだ」


 「この前の……モモカは気にしてない……。むしろ、モモカの方が悪かったと思うよ」


 パッと目をまん丸に開いてモモカは首を振った。喧嘩しちゃったなんて思い込んでたのは自分だけだったみたいだ。

 でも、ようやく言える。


 「ごめんね、モモカ。モモカのことわたし、何も考えてなかった」


 「モモカも……怒っちゃってごめんなさい」


 モモカも小さくぺこりと頭を下げた。リツに比べたらあんなの可愛いものだなんて少し思う。

 温く重苦しい空気が和らいで、レモンの優しい香りが鼻を抜けた。


 「ねえ、モモカ。作品見たい」


 「見てくれるの?」とモモカの顔はソニアみたいにパッと明るく華やいだ。ちょっと恥ずかしいな、なんて笑いながら白いクローゼットを開けて、そこから宝物でも扱うみたいに沢山の可愛らしいお菓子の缶や収納ボックスを出した。


 「全部ね、作った時のこと覚えてるんだよ」


 そう言って、モモカは宝箱をそっと開いた。

 お気に入りの作品やサクラが気になった作品を一つずつ丁寧に説明する。初めてミシンで作ったもの、友達の誕生日にお揃いで作ったもの、お母さんにあげたかったもの、猫の首輪……。

 久々にキラキラと笑うソニアに会ったような気がした。サクラが知っていたソニアはきっと閉ざされたクローゼットの中で耳を塞いでいたのかもしれない。

 そうだとしたら、もっと早く会いに来たら良かった……なんて、ね。

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