第25話

 見れば見るほど、綺麗なお母さんだった。奥様って言葉で連想するのはきっとこんな人だ。

 サクラは庄屋家のリビングの白い革張りのソファーにモモカと並んで座り、紅茶を頂いていた。ガラス張りのローテーブルにはモモカが言っていたお土産であろうクッキーやパウンドケーキ、それとサクラが持ってきたえびせんべいが並べられている。このえびせんは有名で美味しいのだが、さすがに場違いになってしまう。失敗だったかも。


 サクラはモモカのワイドパンツ──ウエストがゴムのフリーサイズのもの──を借りて履かせてもらい、隣でモモカが静かにボタンを縫っていた。

 モモカのお母さんが縫い終わるまで少しお話をしたいと言うことで、リビングでお茶をすることになったのだ。


 「モモカが友だち連れてくるなんて珍しくて、お母さん、少しお話したくなっちゃった」


 モモカの母親は朗らかに笑う。モモカのパッチリした大きな目と形の良い鼻は母親似なのだろう。小さな口と丸みを帯びた輪郭は父親譲りだとすれば父親もおそらく可愛らしい顔をしているに違いない。


 「サクラちゃんは、いつからのお友達なの?」


 「えっと……中学生の頃です」


 魔法少女仲間です……なんて言えるわけがなく、サクラはやんわりと答えた。さてこの先はどう答えようか。


 「中学生の時、部活の大会で知り合ったの。サクラちゃんは茶都山中の応援に来てて、その時……なんでか忘れたけど、仲良くなったの」


 サクラが困って吃っていると、モモカの方が淡々と冷たく答えた。

 いつもよりも暗く静かなモモカに少し戸惑いつつも、モモカの中ではそういう設定になっていたのかと感心しつつサクラもウンウンとうなずく。


 「ああ、じゃあ例の年上の友だちね」


 少し、母親のトーンが下がる。


 「なら、今はお勤めよね? どんなお仕事されてるの? モモカったら友達のこと、ちゃんと教えてくれないのよ」


 「カフェの店員してます。フェリシティって言って、そこそこ人気なんですけどご存知ですか?」


 母親は眉を潜めて笑いながら「ごめんなさい、知らないわ」と返した。サクラも笑顔を作って「シフォンケーキと、コーヒーが美味しいので機会があれば是非」なんて答える。完璧に作られた笑顔で相槌をうつ彼女を見て、サクラは彼女がフェリシティというお店には来ることはきっとないのだと、確信した。


 「沢良木さんは、働いてて長いの?」


 「ええ……まあ、五年……六年になるですかね……」


 自分で口にして驚く。何気なく働いていたから気づかなかったけど、いつのまにかそんなに長く働いていたのか。最近、新人に仕事を教えるように言われることが多くなってきたのも納得する。

 そんなサクラの考えをよそに、モモカの母親は静かに少し驚いたというよりは軽蔑するように、どことなく冷たく口を開いた。


 「……じゃあ、十代から? もしかしてアルバイトから続いてるのかしら」


 「そうですけど……?」


 「そういう人って何か目指してるの?」


 「そういうわけじゃないんですけど、ね」


 「あら……そうだったのね。モモカの友達にはあまりいないタイプだから……びっくりしちゃったわ」


 彼女は口元を歪めて笑う。

 モモカと同じで感情が分かり易い。ビクビクしてすぐに謝るモモカと、嫌悪を歪んだ笑顔で表す母親。


 「モモカの友達……大学生ですよね。若いなぁ」


 それも、県内ではお嬢様が多いことで有名な女子大の友達。さぞ、品が良くて将来有望だろう。

 サクラの胸の内は少しつねられたみたいに痛い。


 「ええ、みんないろいろ将来のこと考えてて偉いのよ」


 サクラはへらりと笑って話を流す。見定されていると、余計な勘が働いてしまった。

 一人娘のモモカが可愛くて仕方ないのだろう。そんなモモカとつるむのが、夢も希望もない、日々をやり過ごしているだけのどうしようもない女だ。評価は芳しくないのだろう。

 居心地の悪さにそわそわして、サクラはモモカの手元に目をやる。

 機械的で流れるようにモモカの小さな手が針と糸を操っている。その動きは、今の感情を忘れて一瞬見惚れてしまうほどだった。


 「手際いいね。裁縫得意だったんだ」


 モモカは手を止めて、母とサクラの顔を交互に見た。少し申し訳なさそうに眉を潜めて肩を竦める。


 「そ、そうでもないよ……」


 謙遜しつつも、少し照れたように俯いたまま笑うモモカに母がスッと入る。


 「そういえば、モモカは手芸クラブに入ってたわね。小学生の頃」


 「うん。中学でもだよ……」


 モモカはボタンの根本に糸を巻き付けながら、小さく呟く。その言葉は母親が手を叩いた音に簡単にかき消された。


 「ああ、そうだった!! 誕生日にミシン買ってあげたの思い出した!!」


 「誕生日にミシンかぁ……。中学生で自分用なんてなんかすごいね」


 母と子の二人の間に流れる温度差というのだろうか、妙に気持ち悪い空気が流れていた。サクラはその妙な気持ち悪さを紛らわすように白々しいほど明るく言う。


 「うん。服とかも作ってみたくて……最近はできてないけど……」


 「やる時間ないもんね。就活生なんだし」


 母親は紅茶を片手に歌うように微笑んだ。言葉で表現すれば、母親とサクラは明るく話しているのに、不思議と温度差が著しい。サクラの精一杯の明るい声は空振っていて、紅茶の香りが漂う乾いた空気の中に呑まれてしまっていた。

 一瞬の有無を言わせないような沈黙を打ち破ったのは、モモカだった。母親の顔を見て、声色を震えるほどにあげていた。


 「でもね、去年は作ってたんだよ。自分のジャケットに合うようにブラウスも作ったし、だから今年は──」


 カチャンと、貝殻みたいな白いカップがソーサーにぶつかり、モモカの声に被さって、モモカはそのままびくりと固まる。

 サクラさえも普段はそんな程度のことで肩を震わせることはないのに、妙に驚いてしまって息を飲んだ。


 「モモカ? 手作りのブラウスでスーツなんて着てないでしょうね?」


 「き、着てないよ……。あれは、普段着で……」


 モモカも目を丸く見開いて、左の人差し指を咥える。針を、指先に突き刺してしまったようだった。


 「なら良いけど。素人が自分流でしかやれないんだから、特にちゃんとした場でみっともないことしないで頂戴よ。普段着にするのも恥ずかしいのに」


 はっきりと、引き戸を勢いよく閉めるようにピシャンと言う。それでも彼女の作り上げた表情は崩れない。モモカはちらりと母親の顔を見上げて、口角を歪めた。笑顔のつもりだろうか。


 「……わかってるよ、お母さん」


 指を外してため息を吐き、モモカはまた手を動かす。肩を落として、滑らかだった動きは少しぎこちなく玉留めを作っていた。

 サクラは今更モモカにも母親にもかける言葉が見つからなくて、紅茶をゆっくり飲み干した。二十年以上かけて作り上げた母と子の関係を前に、ポッと出てきた第三者は居心地の悪さを口の中で噛み殺してじっとしていることしかできなかった。


 「できた」


 モモカはそう言いながら、糸を切り、目にも留まらないスピードで裁縫道具を片付ける。


 「あら、もう終わったのね。なら、お母さん、夕飯の準備しようかしら。今日はオムライス。モモカ好きでしょう?」


 母親は自分のティーカップとソーサーを持って立ち上がる。


 「うん……お部屋でもう少し、サクラちゃんとお話するから……」


 そういうモモカに腕を引っ張られる。一刻も早くここから出ていきたいみたいだった。リビングから出て行く時、「ゆっくりしていって」なんて言われたけど、それもまたなんだか白々しかった。

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