第24話

 トイレから戻った後、それとなく流れでユキトとは別れた。ひとまず、個展が始まり次第すぐに行くことを約束した。ユキトは「なんかあったら連絡しろよ」とだけ残して、シルバーの軽自動車に乗ってその場からそそくさと帰っていった。


 結局、あのチェリーブロッサムがなんだったのか、何も理解できなかった。ユキトがアプラスとコンタクトを取るように、彼女も夢だったのだろうか。夢でも現実でもどちらにせよ、あれだけはっきり話せるのはやはりアスタルツの影響である説が濃厚なんじゃないのか……という結論になったのは電車の中で揺られていた時だった。


 サクラは家に着いて、ご飯を食べた後自室に戻り、ユキトから借りたしわしわのメモと見比べながらスマホで、ブラントの個展のホームページを開いた。

 先日、モモカが言っていたことが書いてある。ブラントは、若い頃は画家としての活動はあまりしていなかった。ブラントが生まれた九年後……画家として活動する前にテリーサは亡くなっている。何度考えても街の住民同士ならともかく、作家同士として関われるようには思えないのだ。

 だけど一つ確信しているのは、なにかブラントとテリーサの間に一瞬でも何か繋がりがあったのだろう。小さな繋がりが今のわたしたちを繋ぎ合わせた。


 「繋がり……」


 サクラはメモを手帳に挟んで鞄にしまい、ホームページを閉じて、メッセージアプリを開く。モモカのアイコンはフリルの首輪をつけた白猫で、リツはどこかの絵具みたいに青い湖の風景だ。

 所属も住む場所も違う二人が、今何をしているのか全然わからない。この先も彼女たちがどう生きていくのかはきっとわからない。二人に助けてもらいたいなら、過去の繋がりだけじゃだめなんだ。やらなきゃいけないことがある。


 ひとまず、サクラはモモカのアイコンに触れた。



 翌日。世間一般では月曜日で、社会人や学生は死んだ目をして朝の街へと繰り出して行く。さっきも何故かコハルが「おねえ休み過ぎ」とか八つ当たりみたいな文句を言って出て行った。部屋着のサクラは母親と一緒にインスタントコーヒーを飲みながら朝のニュースを見ていた。芸能人の不倫騒動の後、また、例の心臓を抉る通り魔の事件を報道している。世間一般ではハートコレクターなんて通り名ができてしまったらしい。


 「あんたも気をつけなよ。十代後半から三十代前半の女の子が多いみたいだで」


 「そうね。わたしやコハルの年代だもんね」


 そんな雑談をしている時に、スマホが鳴る。モモカからのメッセージだった。

 今日は学校が早く終わるらしい。その後バイト先にシフト希望を出しに行くとのことで、モモカの地元の駅近くでなら会えるという。


 サクラは昼過ぎになってから着替える。今日はくるみボタンが可愛いロング丈のサロペットスカートにした。それから、軽く化粧をして車に乗り込んだ。


 昨夜、会って、話をさせてくれないかとだけ、モモカとリツに個別で送った。謝りたかったし、わたしはたぶん、二人のことをもっとよく知るべきなんだと思う。わたしが知っていたのはサンダーソニアとティアドロップで、庄屋桃香と鵜塚律の二人のことはきっと何もわかっていなかった。それで、わたしの意見を押し付けたり、助けてもらおうなんておこがましすぎる。


 車を走らせて二十分。モモカの地元の駅に着く。約束の時間まではまだ一時間程度あるため、駅直結のモールで時間を潰す……というよりも、もともと、モモカにお菓子でも買っていこうと思って早めに来たのだ。

 結局、いつもお土産やお詫びに買っている銘菓のえびせんを買うことにした。ついでに今度リツにも渡す分と、自分が食べたい分で、計三つ。

 余った時間で、サクラは本屋へ行き、人物名鑑や人形師の本を探して見たがモールに入っているような本屋では流石に見つけられなかった。


 十五時半、モール内のソファーで座って待っていると、モモカがとぼとぼと歩いてくるのが見えた。アイボリーのブラウスにミモレ丈のコーラルピンクのスカートを履いている。心なしか疲れている……なんとなくひと回り痩せたように見えた。


 「モモカ」


 モモカはサクラに気がつくと小走りになる。


 「ご、ごめんね……サクラちゃん、待たせちゃった……?」


 モモカが立ち止まった距離は違和感が残るくらい遠く、どことなくこちらの様子を窺っているように感じた。


 「わたしもさっき来たとこだから」


 モモカは少し息をあげている。少し走ったくらいなのに、よほど緊張したのだろうか。だから、サクラは努めて穏やかに和かに話す。


 「今日は、アプラス云々じゃなくて、ただ話したかったんだ。どこか、お話できるところ……なんか、カフェとかないかな……」


 「カフェ……。すぐそこに珈琲館あるけど……」


 「じゃあ、そこ行こう」


 そう言って立ち上がった瞬間、サクラの膝からスマホがするりと落ちる。サクラが屈んでスマホを拾い体を起こした時だった。ブツリと嫌な音がした。


 「サクラちゃん!? まって!!」


 モモカが慌てて、サクラの腹部のスカートを掴む。もしかしてと思い、モモカの手元を見ると肩紐を調整するボタンが外れていた。


 「え……嘘でしょ……」


 「スカート、落ちて……ギリギリ大丈夫……かな? ゴムで引っかかってるね」


 「いや、大丈夫じゃないって。これ、手を添えんと落ちてくるって!! なんか……どうしよう……安全ピンとか、百均で買ってこようかな」


 「……なら、モモカが直そうか?」


 サクラが一人で焦っているとモモカが、冷静にそう聞く。


 「え……、今?」


 「モモカのうち、バスですぐだから」


 「いいの? 実家でしょ? 突然お邪魔したら迷惑じゃ」


 「お母さん、今日出かけてるから大丈夫。それに、お土産のお菓子も片付けたいから、サクラちゃんが食べてくれると助かるよ」


 「……なら、わたし運転してくよ。駐めるとこある?」


 「うん、大丈夫」


 車内で、この前のこと話したかったのだけど、道案内をしてもらっているうちに──それこそ十分もせずに、庄屋家に着いてしまった。駐車場に車を駐める。

 屋根付きで横並びに三台駐められるほどのスペースがあり、今は一台だけが駐まっているが、この車、中古でも二百万超えるやつじゃなかったろうか。

 そういえば、モモカは裕福層の子だった。柱や玄関周りに煉瓦の装飾があしらわれたヨーロピアンな外観を持つ庄屋家はサクラの自宅の二回りほど大きい。庭も自転車で回れそうなほど広いし、サンルームもついている。

 今まで自分の家を貧乏だと思ったことはないが、金持ちの家を見てしまうと、生活の差が嫌なくらい浮き彫りになってしまう。羨ましいわけでも、妬むわけでもないのだけど。


 モモカは玄関ポーチで、ドアに鍵を刺した時に息を飲んだ。


 「うそ……開いてる……」


 そう呟いて、モモカはドアをそろそろと開けた。

 吹き抜けのある広い玄関。脇には大きなシューズボックスがあって、そこにアイコンになっていた品の良さそうな白い猫がごろんと転がってふてぶてしく顔だけをこちらに向けた。

 「ひとまず入って」とモモカに言われて、小さく「おじゃまします」と呟き、滑り込むように玄関に入る。モモカがスリッパを出してくれて、それを履いて上がらせてもらった時、奥の方からパタパタと軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。


 「あら、おかえり、モモカ」


 綺麗な中年女性が眩しいばかりの笑顔を浮かべて出迎えてくれた。


 「お母さん……」


 モモカがそう呟く声が心なしか震えているような気がした。

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