第23話

 しばらく、二人の間に会話はなく、お互いに窓の外やメニュー表をぼんやりと眺めて、無駄な時間が流れていった。


 「そういえば、前言っとったブラントの個展ってそろそろじゃねえの」


 ユキトはパッと目覚めたように体を起こして切り出した。


 「ああ……来週からね」


 「そこで、なんかわかれば良いけどよ。モモカちゃんやリツさんは一緒に行くんか?」


 サクラは反射的にそっぽを向いた。あの日から、何度か連絡を入れようとスマホを開いた。何かに期待して、二人のSNSを見て、メッセージを送ろうとしてはスマホを閉じていた。

 「まじかよ」といつものユキトからは想像もつかない呆れたため息が溢れた。


 「仲直りする気はねえわけ?」


 「できることならしたいよ……今に、あんたと二人じゃ手も足も出ないんだから」


 サクラは肩を竦めて答えた。


 「なんで、俺には謝れるくせに、仲の良かった二人には謝れねえの」


 「ユキトのはわたしの八つ当たりだし……。二人には話すきっかけがなくて……」


 サクラは苦し紛れに言う。ユキトに謝れたのはユキトが連絡をしてくれたからだ。

 言い訳が過ぎてユキトの顔が見れない。


 「きっかけなんかあるわけねえじゃん。喧嘩中なんだからよ」


 「そうだけど……でも……気まずいというか……話しにくい……」


 「なんつーかさ……向こうがアクション起こすの待っとったって無駄だぞ。ここまで連絡がねえのは……そういうことだろ……」


 「だよね……」


 サクラは無理に口角を上げて顔を歪めた。もう一週間経つ。これ以上二人に何か期待したって何も変わらないことくらい、随分前からわかってた。


 「俺も……サクラの友人関係に水を差したらいけねえから、もう言いたかねえけど……でも、そんな顔すんなら仲直りしてこいよ」


 「わかってるよ」と答えようと思ったが、声が出なかった。この現状を作り出したのは自分だ。それを修復しようとせず、自分以外の誰かが何とかしてくれるのを待っていた。それはいくらなんでも情けない。


 「な、なんか……俺……言い過ぎたか?」


 サクラがあまりにも黙り込んでいたせいか、ユキトはそっとピンクの花柄のポケットティッシュを差し出した。


 「……違う……わたしだけだよ、間違ってんの」


 ようやく、震えた言葉が口から出てきた。

 ユキトが差し出したポケットティッシュを引っ掴み、「ごめん、ちょっと席外す」とサクラは席を立ち、トイレの方へ小走りで向かった。立ち上がった時にユキトが一瞬困った顔をしたのが見えた。


 女子トイレの鏡に写る自分は化粧も殆ど落ちていて、疲れ切って泣きそうで、文字通り酷い顔だ。

 当然のことだけどリツもモモカも、わたしとは違うとこにいて、違う人生を送っている。魔法少女という繋がりは過去のことで、今はもう蜘蛛の糸みたいに繊細で千切れやすいものだ。それに気づかないで、必死だったわたしは無理矢理、手繰り寄せた。蜘蛛の糸は脆い。だから、もうきっと取り返しがつかない。

 溢れた涙はサクラの視界を奪った。泣いてる暇があれば、連絡の一つでも入れたら良いのに。ティッシュで、涙を拭うと、鏡の奥でチェリーがサクラを見上げているのを見つけた。

 ここは、年季の入った雑居ビル内のファーストフード店にある殺風景なトイレだ。くすんだ水色のタイル張りの壁に囲まれた小汚い空間にたたずむ鮮やかで可愛らしいピンク色の少女は奇妙なほど際立って見える。


 「酷い顔ね」


 桃色の髪をポニーテールにして、チェリーは少し意地悪そうに笑う。腰に手を当てて、自信満々に見える。


 「わたし、自己嫌悪で泣いてる女が一番ブサイクだと思うのよ」


 「うるさい。もう泣いとらんでしょ」


 思わず口に出して、ハッとする。これはいったい何なんだ。

 もしかしたらアスタルツの影響で見えているのだろうか。それとも、これは夢か妄想? そうだとしたらわたしは相当ヤバイことだけは確かだ。


 「何でもいいでしょ。現実でも夢でも妄想でも。わたしは、あなたの見てる世界で確かに存在しているのよ」


 サクラが頭で考えたことにチェリーは確かに返事をした。これにはいくら相手が妄想のチェリーでもゾッとする。


 「わたしの心が読めるの?」


 「まあ、わたしは、あなた……だし、ね!!」


 チェリーは少女には似つかわしくない、ニヤリとした笑顔を見せた。


 「ねえ、サクラ。あなた今更何が悲しいわけ?」


 チェリーは洗面台の上に座り、鏡にもたれるようにして顔を寄せた。サクラには、いくら十年前だとしても、こんなあざといポーズは決めれない。


 「……何でもいいでしょ」


 サクラは彼女から目を逸らして、吐き捨てた。

 一瞬、チェリーは黙ったかと思うと、クスクスと含んで笑った。


 「そう、何でもいいわね。何にも向き合わなかった結果があなただもの。そうやって何でもいいって逃げてるのはサクラらしいわ」


 「いい加減にして、妄想の癖に」


 「妄想に、図星を突かれて怒ってるの?」


 あのコハルが可愛く思えるくらいにチェリーはズケズケと刺してくる。サクラはきっともう穴だらけになってしまっている。


 「妄想ならもっと都合のいいこと言ってくれたっていいのに……」


 ため息まじりに呟いたサクラに「人生甘くないのよ」と中学生くらいのチェリーは答える。


 「人生もアップルパイくらい、甘ければ楽しいのにね」


 「アップルパイのどこがおいしいのよ……」


 「ねえ、どうしてアップルパイって甘いと思う?」


 チェリーはニッと笑う。そういえば、昔は甘い物はそこまで嫌いじゃなかったなと思い出す。


 「砂糖を入れてリンゴを煮詰めときゃ、甘くもなるよ」


 「つまらない模範解答だわ」


 チェリーはぴょんと洗面台から降りて、くるりと回ってサクラと顔を合わせる。スカートも髪もふわりと可愛く踊る。


 「でも、その通りよ。アップルパイのリンゴも昔はあっさりしたリンゴだったの。サクラはリンゴの方が好きみたいね」


 「まぁ、アップルパイにするくらいならリンゴのまま食べるね、わたしなら」


 「ならバターたっぷりでサクサクのアップルパイが出されたらどうするの? きちんと編み編みになってるのよ?」


 「ならそのまま食べるしかないじゃん」


 「だけど、サクラはリンゴのままが良いからアップルパイは悲しくなっちゃった。リンゴはいろんなお砂糖や小麦粉に出会って、グツグツ煮詰められて、オーブンの熱に耐えて美味しくなったのに。元はサクラの好きなリンゴだったのにね」


 「何の話よ」


 「さあ? 何の話かしら」


 洗面台に両手をついて、チェリーは首を傾げた。

 どうしてこの子はこんなに楽しそうなのだろう。魔法少女は何をしていても、こんな大人と話してるだけなのにキラキラ輝く。


 「ねえ、それよりあんた……透けてない?」


 チェリーの桃色は奥の汚い水色タイルを映して濁っていた。チェリーは腕を挙げて、透けて青くなってきた瞳でじっと見る。


 「あら、そろそろ限界なのね。こんなものなのね、仕方ない……最後に一つ教えてあげる」


 チェリーはずっと見せていた悪戯っぽい可愛い笑顔を崩して、真剣な顔でサクラを見た。


 「マルルは生きてるわ」


 言葉の羅列に、息を飲んだ。少しも理解もできないうちにチェリーは俯いて続ける。


 「……それと、あなたが思うほど、マルルはいい子じゃないのよ」


 「なにそれ!? どういう意味!?」


 弾かれたように洗面台に手をついて、前のめりにサクラは叫ぶ。鏡なんてなければチェリーの細い肩に掴みかかっていた。


 「最初からわかってるくせに、知らないふりはやめてよね」


 顔を上げたチェリーはあざとく笑っていた。


 「……また会いましょう、サクラ」


 チェリーはふわりと鏡の向こうのサクラの世界に背を向けて、透けて消えてしまった。


 しんと冷たい空気だけが残って、サクラは呆然と鏡を見つめていた。その時突然、勢いよくトイレの出入り口のドアが開き、お母さんと小さな女の子がいそいそと入ってきた。

 なんとなく気まずさを感じ、サクラは台の上に放置されたくちゃくちゃに渇いたティッシュをゴミ箱に捨てて、トイレから急いで出ていった。

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