第32話 ミクリの危機

寝ていたミクリを叩き起こし、ダンジョンボスがいるから倒していいか聞くと、それは私にやらせろというので外でどんどん音がうるさかったが、準備が整うまで待っていた。

ミクリはゆっくりと食事を摂り、お茶を飲み、髪を整え、服を着替え、かなりの時間経ってから二人でドアを開けたのだった。

最後の方は、外の音も弱まっていて、なんか申し訳ない気分で外に出たのだ。


俺とミクリは、ぼろぼろな姿のカブトムシ甲虫人と向き合っている。

三本の巨大な角が折れて前に垂れ下がり、はげたおじさんの前髪が乱れているようで貧相だった。

さらに右手が手首のあたりで折れているようで、頭と腕から乳白色の体液を垂れ流している。

俺たちの姿を見た甲虫人は羽根を広げ、後ろにバシュッと素早く距離を取る。


甲虫人は「ギュゥウウウ、ギュゥゥウウウウウ」という声を発している。隣でミクリが甲虫人をまっすぐと見つめていた。

「どうだ?あいつが何を言ってるかわかるか?」

俺が尋ねるとミクリは言う。

「わかるわけないだろバカ、虫だぞ?」

そりゃあそうである。


「じゃあ旦那さんは見てて、まあ大丈夫だから」

ミクリは手の黒いアダマンタイト槍をくるくる回転させながらカブトムシボスに近づいていく。だが、ボスはすでに弱りきっているのだ。全身から流れ出ている体液で床はぬるぬるである。

4メートルはある巨体に向かっていく少女サイズのミクリ。体格では圧倒的に不利だったが、怯えているのはカブトムシの方だった。


「ギュゥウウウギュゥ、ギュゥゥウウウウウ」

あれは絶対に命だけは許してください的な事を言っている。イントネーションの語尾が下がっているからだ。


ミクリは右手に持つ槍をピタッと止めると、左手で宙を掻く仕草をした。

すると、カブトムシ甲虫人の上半身がバラっと崩れる。

なにやら斬撃のようなものを数本出したようで、上半身が幾つかの輪切りになって地面に落ちていく。

今の技なに!?やだ、俺の嫁めっちゃかっこいい。


「やっべ」

小さな声でミクリが呟くのが聞こえる。

慌ててばたばたと倒したカブトムシボスに近づくとダンジョンコアに手を乗せてエネルギー回収を始める。


バラバラになったダンジョンボスがにょんっと吸い込まれると、今いる部屋が縮小しコアに吸い込まれていく。あれ?いま一瞬だけどドアから顔を覗かせているパウロが居なかったか?だが、すでに吸い込まれており確認できない。ミクリに声をかけたいが、いつもより早い猛スピードでダンジョンの景色が吸い込まれていく。


そもそもダンジョンコアを持つ甲虫人が俺たちの部屋のドアの前になぜいたのか。だいたい予想はついている。ミクリがダンジョン内に異空間の部屋を増設したからだ。絶対そうだ。

俺だって自分のダンジョンに勝手に部屋を作られたら腹が立つ。あいつもそれでボロボロになるまで身体を叩きつけて怒っていたんだろう。まあ、あんなに怒らなくていいと思うが。


ダンジョンの景色はひたすら吸い込まれている。いまは上から落ちてくる景色だけがなかなか終わらず続いている。

もしかしてこのまま登り続けたら、めちゃくちゃ階層が多かったんじゃないだろうか。終わらないエネルギー回収を見ながら思う。


10分ぐらい待ったところで終わったようで、景色が巨木のウロの中に戻っていた。だが、パウロとマラコイの姿がやはりない。座り込んでいるミクリは腹を抑えてうずくまっている。

駆け寄って顔を見ると、額に脂汗を浮かべたミクリが焦点の合わない目で呟く。


「ごめんアーサー、思ったよりダンジョンのエネルギーが多くて…、それに喜んだこの子がエネルギーを食べちゃって」

ミクリはお腹の子に流れるエネルギーを遮断しようとしているらしいが、すでに大量のエネルギーを摂取した赤子はもっと欲しがって暴れているらしい。


俺も魔力を流そうか?と提案すると、いらんことするんじゃない、と怒られる。

ヒィヒィと荒い息を吐きながらミクリは歯を食いしばる。

じゃあ、お腹を切って赤子を取り出すのはどうか?と聞くと肘で殴られた。今、体内では大量の魔力を吸収した赤子がエネルギーの塊となって肉体が無くなっているらしい。それって死んでるのかと思いきや、そうではないらしく肉体を再構成させているんだそうだ。なんかよくわからんが大変である。

俺はなんとなく背中を擦り続けるが、果たして意味があるのかどうか。とにかく二人とも無事であって欲しい。


ハアハアと腹の赤子と戦うミクリを擦りながら、周りを見渡すと遠巻きに巨木を囲む軍隊がいた。

昼飯の時間なのかあちこちから炊事の煙が登っている長閑な景色だった。


前列の部隊が俺たちが戻ってきたことに気付き始めている。

あまり時間は無さそうであった。


ミクリを擦るのを止めてもいいか聞くとどうでもいいと返された。

周りの軍の足止めをするから、この子のこと頼むわ、と言うとミクリは涙目でコクリとうなずく。

ミクリは明らかに弱っているが、その目は母の力強さがあった。


立ち上がり、巨木のウロから出る。

兵士たちのざわめきが広がっていく。


「お前たちが、何もしなければ、俺は何もしない!」

「このダンジョンもすでに攻略したぞ!」

「軍がここにいる意味はもはやない!!」

「俺たちに攻撃するやつは殺すからな!」


そう叫ぶと、少し離れた場所に威嚇のために人の背丈ほどの火の玉を出現させた。

こいうのはやりすぎると良くないのは身をもって知っている。

やりすぎたら熱いし。


一人の男が最前列の部隊から出てくる。両手を挙げて敵意がないことを表しているようだ。

出てきた男には見覚えがある。白髪混じりのオールバックの男で、分厚い身体で上だけ金属の鎧をつけている。こいつ、あれだ、俺が顎を吹き飛ばしたやつだ。なんとかマン・ピルトダウンだ。たしか。


手でおいでおいでとすると腕を腰あたりまで降ろしてわざとらしく小走りで来る。

なんだろうな、アピール感がすごい。


「久しぶりだな、アーサー君」

近くで見るとやはりあの時のピルトダウンだった。

つるつるの顎を触りながら続ける。


「まったく、困ったことをしてくれる。一帯のダンジョンが全滅じゃないか。落とし所は用意しているんだろうな」

あくまでも強気な口調のピルトダウンだったが、微かに目が左右にブレるのを見逃さなかった。

彼も顎が無くなった時の恐怖を思い出しているのだろうか。思い出していて欲しいなあ。


「お久しぶり。落とし所なんて考える頭はねーよ、ここは俺が最初に来たんだから俺の場所だろう。お前たちが通ってきた道も俺が作った道なんだからな」

「我々の立場もあるのだ、ダンジョンでの採掘は政府からの軍令でもある。無くなってしまいました、はいそうですか帰って来なさいとはならねえんだよ」

ピルトダウンは、はあああ、と大きなため息をわざとらしく吐きやがる。


そもそもお前だろう、俺が魔王だとか適当なことを言ってここにあった村を燃やしたのは。

まあ燃やしたのは勇者リュウスケだっけ、そんな名前のやつだったが。


俺は別に目の前の軍隊と戦争になってもかまわない。俺のダンジョンに引きこもりながらダラダラと戦うだけである。

でも可哀想なのは兵士たちである。みんな家族がいるだろうに。最近は子供ができたせいかそんなことばかり気になってしまう。出来ることならこんな無駄な戦いでしなせたくはないのだ。


「なあ、俺は別にお前らと戦争とかしたくないけど。でも攻撃してくるならやり返すけどさあ、どうすんだよ」

ピルトダウンの額がテカテカと光りだす。

「正直に言おう、俺はもうあまり発言権がないのだ、失敗続きでな。上を抑えるのももう限界だ。首都からは次の甲虫人の素材を早くもってこいと矢継ぎ早の督促が来ているのだ」

「ええええぇぇ」

「俺としてもお前の実力は知っている。並の兵士では歯も立たんだろう。それにパウロとマラコイという特級冒険者がお前たちの味方に付いたらしいな。あの二人だけでもかなり手こずるのだ。まったく、頭が痛いよ」

何だって!?あの二人が特級冒険者?言葉の響き的に超強そうである。脳裏にさっきダンジョンコアに吸い込まれていくパウロの泣き顔が浮かぶ。あれが?特級?んーーー、そういえばあの二人どうなったのか。死にそうなミクリに聞けず放置していたんだった。


ピルトダウンが口を開く。

「なあ、いっそ本当に魔王にならないか?」

「あほか、それこそ軍隊が攻めてくるだろうが」

「くっそぅ、何か軍を引いても良い理由をくれ、面子が立てば良いのだ」

もうピルトダウンさんはぶっちゃけすぎだった。


そう言われてもなあ。

正直にダンジョンが消えてしまいましたって言うしかないだろうよ。

「なあ、ピルトダウン。もうお前さあ権力諦めたら?」

「なにぃ!庶民から死ぬ気で勉強して大学を出てエリート街道をここまで来たんだぞ!固執せずにいられるか!」


うーん、めんどくさい。

「あ、じゃあさ、新しい国作らない?場所はここで。俺、手伝うし」

「ぅええっ?インフラが何もないこんな場所で国など作れるわけがないだろう!そもそも国とは何か分かっているのか?統めるべき国民こそが国家の基盤なのだぞ」

もおおおお、お前の相手より、今はミクリが大変なんだよ!

知らねえよ国家論とか。


とりあえず今は戦争したくないのは共通認識だし、あ、そうだ、と思い出す。

俺の空間ポーチにあるアダマンタイトのインゴットを和解金に出来ないだろうか?

持ってても役に立たないしあれ。


アダマンタイトの金属の延べ棒を1本取り出すと、ピルトダウンに渡す。

「なんじゃあこれ?」

インゴットを手にしたピルトダウンは慌てだす。

遠くに手を振り一人の男を呼び出す。【鑑定】と緊張した声で放った男は、「閣下、純アダマンタイトの延べ棒で間違いありません」と言う。


だからそうだって言ってんのに回りくどい男であった。

これ10本で撤退しないか、と提案したらピルトダウンは握手を求めてきた。

はい、成立である。

つーかそんな価値あるんか、この金属は。


ピルトダウンに10本渡そうとするが重くて持てないらしいので地面にぽいぽいっと10本を置いておく。

じゃあお互い手出しはなしで頼むわ、とピルトダウンに伝えると、俺はミクリの元へ戻ったのだった。

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