レディ・ショーショー

 手の甲にひんやりした鼻先が触れて、初めてショーショーが寄って来た事に気づいた。

 それだけ夢中になっていたらしい。

「ショー、ごめん。今はダメ」

 長い白毛のせいで、時々球形にすら見える毛皮の塊を、丁重に持ち上げ、ふわっと床に下ろした。

 ショーショーは、黒い口ヒゲ模様の付いた顔で、ジッとこっちを見る。

 御年7歳。見た目から連想して少将なんて勇猛な名前を付けてしまったが、淑やかなレディであるこの猫は、実に猫らしい性格をしていた。つまり、ゆらゆら尻尾をはためかせて、フワと元の場所まで舞い戻ってきた。

 まずいな。ガサガサ言う音が、猫の琴線にふれている。

 いたずらな前脚にちょっかいをかけられないよう、出しかけの小袋をかき集めて掴む。どこかに仕舞わないと、絶対にどれかひとつふたつを無くして、2年後くらいに冷蔵庫の裏当たりから発掘する羽目になる。

 あたりを見回して、この前の買い物した時に放ってあった靴箱を引っ掴む。

 とりあえず、袋はここにまとめよう。

 小袋を手当たり次第放り込んでいくと、急場しのぎにしては、なかなか便利に収まっていく。そうして大半の小袋を片付けてしまうと、後には透明の円筒容器と、極細の薬さじやらピンセットやら変な形のルーペやらの小道具が詰め込まれた大袋だけが残る。

 前脚の脅威は、ひとまず消え去った。

 ショーショーはとっくに興味を無くして、膝の上でくつろいでいた。左手が無意識に彼女の喉元をくすぐっている。

 猫なんてこんなものだ。

 左手を机に戻して、私は説明書を取り上げた。何度もコピーを重ねたらしき文字列。ダンジョン飼育セット。心が踊る。

 ペラと表紙をめくる。

 見開き1ページを丸々使って、部品の種類と個数の図がドンと載っていた。

 心の踊りが弱まった。

 チラと靴箱を見る。片付けたばかりのこれを数える。細かい。めんどくさい。

 大体この図、円筒容器のフタにくっついてるポンプっぽい部品の形が、キットの中身と全然違うんだよ。他型番の絵を使い回してるのか知らないけど、そういうのをいちいち合ってるのか考えながら、あの数全部をいちいち照らし合わせるとか、やる人いるの?

 よし飛ばそう。

 2ページ目。簡素なリストが目に飛び込む。

 用意するもの。


 ・食塩350g〜450g程度(高純度なものが望ましい)

 ・消毒用アルコール

 ・キムワイプ(入手可能な場合で良い)


 キムワイプと塩が無かった。

 まあ、キムワイプは無くてもいいらしいが、塩は絶対のようだった。450g。漬物は趣味にしていない。

 1人と猫1匹の暮らしに、そこまで大量の塩があるはず無かった。

 私は窓の外を見た。さっきより強くなった雨音が、ガラスを叩いている。それは、ショーショーがゴロゴロ喉を鳴らす音と混じり合い、落ち着いたBGMとなって部屋を満たしていた。

 外に出るのも、面倒くさいな。

 私は黙って靴箱を開けると、説明書と照らし合わせながら、袋をゆっくり並べ始めた。

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