私、塩飼ってる?

 アスファルトの平らな感触が、足裏から交互に伝わる。

 月を見上げながら、疲れているな、とぼんやり思った。

 さっきから、手のひらがショーショーのもふもふした温もりを求めている。

 早く帰ろうと、私は足音を急がせた。玄関までたどり着くと、急かすように鍵を開ける。

「ただいま、ショーショー」

 暗い部屋の定位置に、いつも通りショーショーは座っていた。無表情でこちらをジッと見ている。毎度の事なのに、帰宅が遅いのを責められてる気分になるの、何でなんだろう。

 電灯スイッチON。ショーショーをひと撫で。

 カバンとコートをしまって、猫トイレを片付けて、洗面台で手を洗う。ショーショーの餌と水を準備するところまで済ませれば、後は楽しい夕食タイムだ。

 今日は遅いし、やっぱり休肝日にして、冷凍うどんでも煮よう。考えながら巡らせた視線が、机の上で止まった。

 インスタントコーヒーのビンよりちょっぴり大きいサイズの円筒容器に、塩がみっしり詰まったまま、鎮座していた。

 あれから3日経った。今日も塩に変化はない。

 2〜3日でダンジョンが生まれますと説明書にあったのは、何だったのか。

 これじゃあ塩を飼ってるみたいだ。

 塩を飼うって何だ。哲学か。

 私の視線を遮るように、ショーショーがふわりと机に飛び乗る。

 気をとりなおしてうどんを煮よう。

 そう思っても、何か失敗したのかなぁという不安が、どうしてもつきまとって離れない。


 ---


 付属品の多さに身構えはしたが、説明書の中身は簡潔で、単調で、ついでに適当だった。

 最初に、円筒容器の中身をアルコールで拭く。ちょうど台所に、まな板消毒用のものがあったから、それを使う。本当はキムワイプがいいらしいが、無かったのでティッシュで代用して、アルコールをしみこませて拭いた。

 大物の次は小物類だ。細長い薬さじと、500円玉よりふた周りほど直径の大きいペトリ皿を、次々と拭っていく。

 細かいな、と思ったのはそこまでで、あとはひたすら円筒容器に物を詰めていく作業だった。

 最初に、食塩の半量を敷き詰める。

 次に、説明書に従って、小袋の中身を入れていく。

 素手で触らないように注意する記述が随所にあるが、要は、薬さじで掻き出しながら、一袋丸ごと投入すればいいだけだ。

 たまに、ショーショーが鼻先を突っ込みたがるのを優しく押し戻しながら、作業していく。

 最初に、SW-1とラベルが付いた、ちょっと大きめの袋。中身は灰色で小粒の小石がみっしり入ってた。円筒容器に入れたら、薬さじで平らにならす。

 次に、LS。小さくて細長くて白色の、カラカラに乾いた……植物のサヤ? ピンセットでサヤを開いて、薬さじの小さい方の先で、中の種子を容器に入れる。触れるな、アルコール消毒しろ、そしてまた触れるなと、説明書の記述が小うるさい。何だか大事なものみたいだ。

 お次はWD。ちまちました木片。パラパラ入れるだけ。

 さらに、TCとGCとWTを適量、ペトリ皿に適量入れて混ぜ合わせてから、円筒容器に入れる……ただ、この適量ってどれぐらいだ?

 好みで増減させて良いと書かれても、こっちは初めてだし、何をどうすればどうなるのか、さっぱりなんだけどな。

 仕方ないので、袋の全量を混ぜ合わせることにする。TCとWTも木片だけど、GCだけはラメのようにキラキラして綺麗だな。

 WS。やっぱり木片。これも塩の容器にIN。

 HF。トロリとしたゲル状の物体。入れる。

 AC。黒色の石片に赤色の粒が混じってる。入れる。

 WW。ちっちゃい銀色の輪っかがいくつか。入れる。

 塩の容器に雑多でカラフルな何かが積み重なっていく。お好みで入れても入れなくてもいいと指定されてる袋がいくつかあったが、もう、全部入れてしまえと、投入に次ぐ投入だ。

 最後にSW-2……見た目、SW−1と同じ小石をざーっと流し込んで、これまた平らにならす。最後に、残り半分の塩を被せればOKだ。

 塩の筒が出来上がった。

 何か、地味過ぎる。

 いやいや、説明書には、この後2〜3日待てば、ダンジョンが誕生しますと書いてある。成長が終わったことを確認してから、付属のガラス瓶に入れて観察しましょう、と。

 ん?

 私は首をかしげる。

 ガラスの小瓶はどう見ても、親指程度の大きさだった。こんなに大量の塩は収まらない。どうやって移せばいいんだろう。肝心なことが説明書に書かれてない。不親切過ぎないか?

 ちょっと不安になりながら、最後の工程に取りかかる。

 円筒容器のフタを閉め、上部のポンプを手のひらでグッと押す。シュッと気体の抜ける音がする。多分、真空ポンプなんだと思う。なんとなく、ワイン保存用の栓にこういうのがあったのを思い出す。シュコシュコ何度か、ポンプが固くて動かなくなるまで押せばよい、と。

 これで説明書の工程は全てやり終えた。

 あとは3日。これがダンジョンになるらしい。本当かな。

 期待半分、疑惑半分のつもりだったが、思ったよりテンションが上がっていたのだろう。その日はいつもより寝付くのに時間が掛かった。


 ーーー


 そして3日が経過した。私は茹で上げたうどんを啜る。乾燥わかめをパラパラ入れて、卵を落としただけの簡素な夕食だ。

 やっぱり、失敗したかもしれない。原因は何だろう。

 アルコールで拭くのが雑だったのか。それとも、適量の解釈を間違えたのか。

 脳裏に浮かぶのは、小学校の時に購読していた科学雑誌の付録のことだ。カブトエビ育成キット。わくわくしてセットしたのに、結局卵がひとつも孵らず、水の入った水槽だけがいつまでも寂しく部屋に残っていたっけ。ほろ苦い思い出だ。

 飼育キットというからには、ダンジョンも生き物なのだろう。

 認識が甘かったかも知れない。生き物は時に、思うように行かないものだ。ショーショーの飼い主を務めているから、私も少しは理解している。

 あと1,2日待って、それでも駄目ならやり直してみよう。幸い、このキットは3回分のセットになっていて、あと2回ならやり直しがきく。

 ため息をついて、うどんの汁を飲み干す。

 円筒容器に注目し過ぎたせいか、ショーショーが机に飛び乗り、でんと目の前に座りこんだ。自分を見ろと言いたいらしい。はいはいと背中を撫でてから、軽くお尻を叩いて膝の上へと誘導する。

 気分が乗ったのか、ショーショーはのっそりと膝へ移動してくれた。太ももの上で軽く前脚を踏みならしてから、くるりと丸くなる。

 よし、と視線を上げたとき、私はそれに気付いた。

 円筒容器の中で、塩がサラサラと流れている。蟻地獄の巣みたいな漏斗状のくぼみが出来て、周囲の塩が吸い込まれ、流れをつくっているんだ。

 何かが起こっている。自然と、息が止まった。

 サラサラ、サラサラ。

 容器を8割満たしていた塩が6割に、半分に、4割にかさを減らしていく。そろそろ、塩の間に詰めた部品の色が見えてもおかしくないのに、塩の表面は純白のままだ。3割。2割。白が少し濁った気がした。1割。灰色で半透明の色に変わった。ついでに質感も、さらりとした粒から、ガラス質の塊に。

 私は大きく息を吸いこんでから、ゆっくりと吐き出す。

 円筒容器の中には、ひとつの結晶が出来上がっていた。見た目は水晶のように角張った多面体だ。薄灰色で、透けていて、なんだかほんのり、光っている。

 まるで手品でも見ているようだ。そっと容器を持ち上げて、恐る恐る揺らしてみる。結晶は容器の内側にぶつかって、カランと澄んだ音を立てた。

「できた……?」

 安堵と共に、じわじわと喜びが広がってくる。

「……そうか、そうか、生まれたんだ。これがダンジョンか」

 声がうわずる。ショーショーが迷惑そうに、膝からポンと飛び降りた。

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