閑話「夢幻の記憶」
花が咲き乱れるある草原で。四人の子どもが遊んでいた。
三人の少女に、一人の少年。
四人の子どもは楽しそうに声を上げ、笑い合う。
“私”は皆と一緒にこの場所で過ごすのが好きだった。
――“私”? ……違う。これは“私”ではない。
私ではない、昔の記憶。
遠い遠い、今は失われてしまったいつかの記憶。
笑い合う少年と少女。
草原で過ごす彼らはとても親しげで、とても仲が良いのだということが伝わってくる。
花が咲き誇ったその場所で、彼らは花を編んで冠を作っていた。
“私”は傍らの少女に作り終えたばかりの花冠を差し出した。
繊細に編まれ、綺麗に整えられたそれを隣の少女は嬉しそうに受け取る。
その笑顔の少女を見て、“私”は呆然とした。
その少女はロシェルカにそっくりだったのだ。瓜二つといってもいい。
ただ一つ違うのは、その少女の髪と目の色がロシェルカと逆転しているということ。
豊かに波打つ金髪に紫水晶の瞳を持つロシェルカにそっくりな少女。
その少女は今度は“私”に自分が作っていた花冠をこちらに差し出す。上手く編むことができなかったのか少し不格好な冠を、“私”は嬉しそうに受け取った。
『交換よ、姉様!』
そう言った少女はまた嬉しそうに微笑んだ。目を見合せ、クスクスと笑う“私”とロシェルカにそっくりな少女。
その笑い声に釣られたように傍にいた男の子と女の子も楽しげに肩を揺らす。
たちまち草原には四人の笑い声が溢れた。
「――もう、思い出しかけているの?」
不意に聞こえた、その声。
場面が暗転し、世界が変わる。
気づけば何も無い虚無のような真っ白な空間に
「初代の歌なんて強力なものを歌うから。枷が外れてしまったのね。魔力が強くなっているし、精神も成長してしまっているわ。言葉の滑舌が良くなったのはそのせいね。それは別にいいんだけど……」
そう呟いた声の主が私を見る。視線がかち合って、私はまたも驚きに目を見開いた。
声の主は私と全く同じ容貌をしていた。ただしこの子もさっきの少女と同じように髪と目の色が逆転している。
銀色の髪に、紫水晶の瞳。
硬質な輝きを持つその瞳を瞬かせて、少女は尚も呟く。
少し困ったように眉を寄せて、悲しげな響きを乗せた声音で。
「まだ早いの。今はまだその時期ではないのよ。これ以上思い出しては駄目。アレは“私”の後悔の記憶。忘れてはならない戒めの記憶。……あなたにはまだ早いわ」
少女はどこまでも悲しそうに微笑む。
どこか痛ましげなその笑みに、私の心は強く締め付けられた。
何故だろう。とても悲しいような……切ないような。
胸の痛みに戸惑っていると、いつの間にか少女が私の目の前に立っていた。そのまま少女は手を出してこちらに向ける。
「忘れなさい。ここで見た“私”の記憶は、痛くて苦しいだけだから」
目の前の少女の記憶を見たから私の心はこんなにも苦しいのだろうか。
……でも、アレはとても懐かしい記憶だった。
私にはそんな記憶はない筈なのに。何故だろう。
何故こんなにも、切なくて苦しくて――懐かしさに胸を焦がれてしまうのだろう。
ポタ、と自然と頬から流れ落ちた涙を止められないでいると、目の前の少女は私の涙に驚いたように一瞬だけ瞠目して、直ぐに笑顔を浮かべた。
やはりどこか悲しげな、物憂げな笑みを。
「……あなたが悲しむ必要はないわ。あなたが思い出す必要はないの。忘れなさい。そして眠りなさい。何も考えずに。……目を閉じて」
少女に言われるまま目を閉じると頭を撫でられる感覚があった。
「いい子ね。そのままお休みなさい、ロジエル。――今度こそ、良い夢を」
少女の声が聞こえなくなる。目を閉じて真っ黒な視界に覆われたまま、私の意識はまた遠のいていった。
*
「!?」
――ガバッ!
変な夢を見た気がして、慌てて飛び起きる。
窓から差し込む陽の光に目を細めて、私は周囲を見渡した。
記憶にあるいつもの部屋。天蓋付きのベッド。
私の部屋だ。
ほっと一息ついた私は首を傾げる。
「あれ~、なんか変な夢を見たのは覚えてるんだけど、何だったかな……」
何かとても重要なことを忘れているような気がする。
何でだろう。何かとても大切なことだったような気がするのだ。
忘れてはいけないことを忘れてしまっているような、重要な何かを見落としているような、なんとも言えない不安。
思い出そうとしても思い出せない。
「うーん……」
何だったかな……。気になって仕方ない私は頬に手を当てて考え込む。
「ん……?」
頬に当たった手が何故か濡れていた。何故だろう。
よくよく見れば、視界がどこかぼんやりとしている。
「……え? 私、なんで泣いてるの……?」
なんで? 寝ていただけなのに。
気づくと私は泣いていて、瞬きをすれば溢れた雫がぽたぽたと零れて布団を濡らしていく。
とくに何も悲しいことがあったわけではない。夢の内容もさっぱり忘れてしまっている。
泣く理由も要素もどこにも見当たらないはずなのに。
頭の中は疑問で埋め尽くされ、不思議に思いながらも次々と溢れ出てくる雫を指で拭うこともせずに私は暫く涙を流し続けた。
何故かは分からないが、そうしなければならない気がしたのだ。
そうして暫く泣き続けて――目が腫れて直ぐに後悔することになったのはもう少し後の話。
悪役令嬢な私の妹はヒロインな上に歌姫である 蓮実 アラタ @Hazmi
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