司は驚愕していた。

己は今、自分の畑にいるのだ。

自分が最後の方に殺した女二人が埋まっている畑の上に足を投げ出して座っていた。

俺は確か、瑞香にズタボロに殺されて暗闇の中に捨てられた。そこに上から黒い靄が覆い被さってきて息ができなくなった。苦しくて自分の喉をかきむしった。呼吸が浅くなって全身の毛穴から血が噴き出した。

苦しみの中に悶えて死んだはずだった。しかし。

己の目の前に、女が二人立っているのだ。

無表情で己を見下ろしていた。

相変わらず尻餅をついている情けない状態の司は身体中が震えていた。尻を擦って後ずさる。


「なんでだよ、なんでだよ、なんでまたここに戻ってくるんだよ。俺はここから暗闇に落とされたじゃねえか。誰もいない暗闇の中で、ひとりぼっちで俺はいた。そしてそこで瑞香に、おまえに殺された。死んだじゃねえか。死んだだろう、なあ、そうだろう、もういいだろう。苦しいんだよ。なんで瑞香だけじゃなくてこいつまでいんだよ」

指をさして泣き叫んでいる。まるでこどもだ。

女二人とは、もちろん瑞香とたまこだ。

司により殺された二人は互いを認識していなくとも、己を殺した男が死ぬのを待ち、死してから殺すことを待ちわびていたのだ。

一回目は瑞香が自分のために殺し、二回目はたまこのために殺す。その二回目が今から始まろうとしているのだった。

昭子と太郎と侍は二人の後ろに並び、新しい映画を見るように事の成り行きに心躍らせていた。

三人を目に捉え、司が「またおまえらもいるのかよ。おまえらのことは前にも見た気がする。くそ、思い出せない。でも見てる」と死神でも見るような目には恐怖以外何も浮かんでいない。

「いいねえ、その目。ぞくぞくする」

昭子が真っ赤で長い舌で口の周りを一周ベロリと舐めて、牙を見せる。

うひゅっという短く息を吸い込むような悲鳴は司の喉の奥から出たものだ。

「その声、俺が首を切られたときに出た音と同じだぜ」

侍が己の首に真一文字に親指をゆるりと沿わす。みるみるうちに真っ赤な鮮血が首筋から流れ出た。

はぁぁぁと声にならない音を立てた司は涙も鼻水も混ぜこちゃになった顔を梅干しのように塩っぱくしかめていた。


「生前、悪事を重ねたお前みたいなやつが、俺の好物なんだよ」

太郎の全身はどこぞの鬼のように巨大化し、真っ赤に燃えている。

その真っ赤な身にまとわりつくように黄色い炎が上がっている。

炎で、綺麗な金髪の毛先が黒く燃えていた。

司を目にして太郎の顔に狂気の笑みが上がっている。

その目は顔半分まで埋まるほど大きく見開かれ、真っ赤になっていた。口は耳まで裂け、鋭い牙が上下に見え隠れする。両手の指先には切れ味抜群のハサミのような鋭い爪。食蟻獣のような細長い舌でしきりに己の口の周りを舐め回す。涎がツツと垂れた。

太郎が一歩足を前に、司の元へ歩む。生肉が床に落とされたようなグシャリという音が太郎が歩く度にする。

両の指先がピアノを弾くように滑らかに動き、鋭い爪が空気を切り裂くように掻く。

「やれ困ったもんだ。太郎が元に戻っちゃったよ」

昭子が楽しそうに肩を揺らすと、司を無表情で見ているたまこの背をぽんと叩く。


はっと意識を戻したたまこは昭子の方を向き、目を大きく見開いた。

「昭子さん、私」

「いいんだよそれで。太郎を見てみな。あんたが望んでいたものが見れるから。面白いもんが見れると言ったろ」

人差し指を揺らし、そっちを見ろと言う。

たまこは昭子に言われたとおりの方に目を向けると、そこには真っ赤な炎に包まれた太郎の後ろ姿があった。時折黒い靄が太郎にまとわりつく。よもやそれは妖怪にしか見えなかった。

司が太郎から逃げようと震える体に「動け、動けよ」と言い聞かせているが、体は既に動くことを放棄していた。尻を擦り、逃げる。炎まみれの太郎はいたぶるように追い詰める。

「太郎さんもやっぱり妖怪だったんだ。あれ、これってもしかして私が見た靄と同じかもしれない」

嬉しそうに輝いたたまこの目の中の太郎は司の頭を鷲掴みにしたところだった。

「たまちゃん、あんたが見た黒い靄ってのは、あれだよ。太郎はねえ、己の炎をコントロールすために時折ああやって靄で身を包むんだ」

 じゃないとずべて燃やしちゃうからね。たまちゃんが死にそうなときに見たのはこれだよ。生憎太郎は生きてる人間に興味はない。あいつは死体を食らうからね。たまちゃんが見たってときはきっと近くで誰かが死んだんじゃないかい。葬式があったはずさ。生きてる人間には太郎は見えないけど、半分死にかけてたたまちゃんだからこそ見えたのかもね。

 昭子は気を使う喋り方を知らないのだ。


「ところで、太郎もってどういうことだい? 侍は昔は人の霊だってわかったじゃないか」

昭子が試すように言う。

「だって昭子さんは妖怪だってわかってましたから。雪女でしょう。昭子さんの周りには冷たさが漂ってるし、隣にいるといつも寒かったし、それに、すごく綺麗だったから」

昭子を真正面に、純真無垢な顔で言ってのけた。

昭子がそれを聞いて大笑いしている。

「素直な子だ。やっぱりたまちゃんはお利口な子だね。感が鋭いよ。いい子だ。あたしらの自慢だよ」

たまこの頭をわしゃりと撫で、優しく抱きしめた。

名残惜しそうな顔をしたが、たまこを己から離すときには、いつもの笑みを浮かべた。


「瑞香さんに着いてきゃ、大丈夫だよ」

たまこの耳元で優しく囁きかける。

司が悲鳴をあげる。太郎のすぐ後ろには瑞香がべたりと張り付いている。自分もそこへ行かなきゃ。そうたまこは直感した。

しかし、踏み出したところで躊躇した。

昭子の方を向く。そこには侍の姿もある。

二人とも優しい笑みを浮かべていた。

「よかったねたまちゃん、さ、もういいんだよ。太郎と瑞香さんに着いてお行き。あいつがこの先は案内してくれるさ」

あっちへお行きと手の甲を二度振る。

「気が済むまでいたぶったれや」

侍もメロンソーダを、乾杯というように掲げた。

おもわず笑ってしまったたまこに、「こんなときに笑うとか失礼なやつだなおまえは」と怒っている。


「昭子さん、侍さん、ありがとうございました。侍さん、私を拾ってくれてありがとう。みんなに会えなくなるのは寂しいし辛いけど」

深く頭を下げた。

「いいってことよ。俺らもかなり楽しませてもらったしな。昭子さんなんか俺がおまえをとっとと送り返そうとしたら、「いいじゃないか。たまには人間の霊を飼うのも悪くないだろう。それにこいつはガキだ。そのときが来るまでここにいたって気づきゃしないさ。それまで置いとこう」って言ったんだぜ。この際だからバラすけど」

侍が早口になって最後に昭子の件をたまこにバラす。昭子に殴られるかと目をギュッとつぶって頭を両手で隠すが、鉄拳がふるわれることはなかった。おかしい。目を少しばかり開けてみる。

「殴りゃあしないさ。氷漬けにしてやるよ」

嘘か本気か知らないが、真顔で侍を見下ろす昭子の顔に笑みはない。侍は太郎に助けを求めようとするが、ああ、そうだ、太郎は本来の火車の姿に変わり、仕事にかかっている。すかさずたまこに、

「たまちゃん、助けてお願い」と懇願した。

たまこはそんな侍を見て、笑いを堪えられなくなった。笑っている場合じゃねえやい、と本気で青ざめる侍を見て、

「昭子さん、私の最後のお願いを聞いてください」と満面の笑みを浮かべた。

「今すぐ氷漬けにしてほしいのかい、わかったよ、見てな」

昭子が口元に手を持っていく。小さく息を吸い、

「違います違います。凍らせちゃダメです。許してあげてください」

急いで昭子を止めた。

危ねえ。と、侍が腕で額の汗を拭う。

「なんだい、違うのかい?」

面白くなさそうに手をおろす。


「太郎さんが死体を食べる火車で、昭子さんが雪女、侍さんが成仏しそこなって名無しの妖怪になったってことが私のノートに刻みこまれました。そして、太郎さんは今から霊のあの男をも食らいにかかろうとしてるんですよね。あいつの本体はもう既に食べちゃったのかな…… まあ、でもこれで心置きなくこの世から去っていけます。だから、侍さんのこと怒らないでください。凍らせないで」

たまこが昭子にお願いした。眉を下げ、手を胸の前で合掌させる。

ふん。と鼻息荒く侍を睨む。

「今回だけは見逃してやるよ。たまちゃんのお願いだからねえ、聞かないわけにはいかないさ」

忌々しい目を侍に向けるが、口元は笑っている。


「ありがとうございます。昭子さん。それとあと一つ」

「なんだい」

「侍さんはどうしてメロンソーダが好きなんですか?」

「そんなことか。昭和の時代になあ、一時すごく流行ったんだよ。ぜんぜんメロンの味なんかしないけど、このよくわからん緑色の液体にアイスが溶けたときの味に衝撃を受けた」

侍が大きく頷いた。

「それだけ?」

「……美味いもんは美味いんだからいいじゃねえか」

好きな理由なんかそんなもんなくてもいいだろう。ともんくを言う。

たまこがぱあっと明るい顔になる。昭子もまんざらでもない様子でにたにたしていた。

「さ、早く行け。太郎は俺と違って待っちゃあくれねえぞ」

太郎の方を急いで向けば、司の頭を鷲掴みにしたまま真っ暗な穴の中に引きずり去っていくところであった。

瑞香がたまこを待っていた。こちらを向いて無表情で立っている。

たまこはもう一度昭子と侍に目を向けると、今までで一番の笑顔を見せ、瑞香の元へ走って行った。

瑞香とたまこは太郎の後ろにべたりと張り付いたまま、闇の中へ入っていく。

後にしばらく残ったのは、司の張り裂けんばかりの恐怖に打ちのめされる悲鳴のみであった。

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