ラスト三分の職人技

結城藍人

ラスト三分の職人技

「五十七分経過、試合時間、残り三分」


 両国国技館の館内のボルテージは最高潮に達していた。異様な興奮と雰囲気。いや、異様な雰囲気は、むしろ記者席や関係者席の方が強い。そりゃ当然だろう。


 何しろ、俺の目の前では今回の興行を主催している有名メジャー団体のチャンピオン様が脱水症状でフラフラだ。あと、たったの三分。その三分をもたせられるかどうかもわからないくらいにフラフラの状態なんだ。


 しかも、これはメインイベントのタイトルマッチ。俺が勝ってしまったらチャンピオンベルトが弱小独立インディペンデント団体に流出してしまうんだから。


 とはいえ、そんなことが許されるはずもない。俺に与えられた指令は引き分けること。それを忠実に守れば、俺の所属する弱小独立インディペンデント団体が有名メジャー団体と対抗戦を続けられる。次はウチの主催興行に有名メジャー団体の人気レスラーが参戦して、観客動員を普段よりも格段に増やしてくれるはずだ。そうすれば、常に自転車操業をやってるウチの団体の金庫も少しはマシになるだろう。遅配気味のファイトマネーも入ってくるはずだ。


 実のところ、ついさっきまで俺は悪魔の誘惑にかられていた。与えられた筋書きブック裏切ることをダブルクロスして、チャンピオンこいつに俺の必殺技を決めてピンフォールしてやろうかと思っていたんだ。そうすれば、レフェリーもカウントを取らざるを得ず、俺が有名メジャー団体のチャンピオンだ。


 ただし、そうなると対抗戦はおじゃん。チャンピオンベルトは次の対戦で取り返され、ウチの団体は最後の頼みの綱を失って倒産するだろう。俺も「暗黙の了解」を破ったとして有名メジャー団体や、そこと交流のある団体から干されるだろう。


 それでも、一時とはいえ有名メジャー団体のチャンピオンになった俺のレスラーとしての商品価値は上がる。そうすれば、今の団体が乱立するプロレス界なら上がれる団体はある。仮に日本に無かったとしてもアメリカやメキシコに行けば引く手あまただろう。それだけの価値が有名メジャー団体のチャンピオンベルトにはある。


 だが……俺はその道を取るのはやめた。俺には、そんな道は似合わないと思ったからだ。弱小独立インディペンデント団体ひとすじ二十年。もうロートルにさしかかった俺が、今更そんな派手な生き方をしたいとは思わない。


 ファイトスタイルは堅実だが地味と言われ続けてきた俺だ。今の団体でエースに押し上げられたのだって、常に収支トントンで金払いの悪い団体に先輩レスラーたちが愛想を尽かして出ていったからにすぎない。


 クソ真面目で練習だけは山ほどしてたから、テクニックだけは有名メジャー団体で通じると言われ、どんなファイトスタイルにも対応できる器用さで便利使いされてきた俺だ。良い意味でも悪い意味でも職人。俺はそういうレスラーだ。


 でも、そんな俺のファイトスタイルが好きだと言ってくれるファンも少しだがいる。俺だって、今のファイトスタイルには誇りを持っている。


 筋書きブックは裏切れても、俺は自分のファイトスタイルとファンは裏切れない。


 だから、最後までやってやろうじゃないか、職人のプロレスってやつを!


 フラフラのチャンピオンに組み付くと、ボディスラムで投げつける。プロレスでも一番の基本技だが、俺が二十年積み重ねたテクニックで投げつければ、マットが重低音を響かせて、会場が大きく沸く。派手な大技でなく地味な基本技でも、説得力のある投げ方をすれば客は沸くんだ。


 そこから、チャンピオンをうつ伏せにひっくり返し、相手の両太股を両脇に抱え込んで逆エビ固めボストンクラブで締め上げる。これまた古典の基本技だ。実の所、手を抜いて休息技レストホールドにも使える技だが、今の俺はギリギリと説得力のある締め上げ方をしている。


 だから、観客は本気でチャンピオンのピンチだと思って大いに沸く。今の状況なら、本当にチャンピオンがギブアップするんじゃないかという説得力を与えられるからだ。


 脱水状態のチャンピオンは逃げられない。だが、ギブアップもできない。そういう筋書きブックじゃないからだ。レフェリーが「ギブアップ?」と聞いているが、そこでギブアップできるはずもない。いや、もうチャンピオンはその声さえ聞こえていないだろう。


 体調管理に失敗して、六十分一本勝負の時間さえもたせられないなんて、有名メジャー団体のチャンピオンの名が泣くぜ。だが、そいつと引き分けるのが俺の使命。その使命を百二十パーセント果たすのが俺の職人としてのプライドだ。


「五十八分経過、試合時間、残り二分!」


 リングアナウンサーの場内放送が聞こえる。このまま時間切れに持ち込むのは簡単だ。だが、そんな程度の試合で終わらせるのは、俺のプライドが許さない。


 この木偶の坊相手に、もっと客を沸かせてやる。


 だから、俺は逆エビ固めボストンクラブを解いて、強引にチャンピオンを立たせる。崩れ落ちそうになるチャンピオン無理矢理組み合いロックアップの体勢に持ち込む。いや、チャンピオンはもうロックアップすらできない。俺の胴体に力なく腕を回しただけだ。


 よし、これはチャンス!


 俺は、思いっ切りマットを蹴ると、チャンピオンに投げ飛ばされたような体勢を取って、後頭部の方から急角度でマットに落ちる。


「あーっと、投げっぱなしフロントスープレックス! が、すっぽ抜けたか!? 危ない角度で落ちました!!」


 実況席に座っているテレビ局のアナウンサーの絶叫が聞こえる。深夜の録画放送とはいえ、せっかくテレビ中継が入ってるんだからな。最後まで見せ場を作ってやろうじゃないか。


 ロクに練習もしなくせに大技を使いたがる独立インディペンデント団体のガキ臭い若手レスラーどもの危なっかしい技も全部受けきってきた俺が、自分から飛んで落ちたんだ。一見デンジャラスそうに見えても、この鍛え上げた太い首と肩の筋肉できっちり受け身を取れるように落ちてるのさ。


 だが、俺は後頭部を打ってフラフラ状態であるかのように演技セールをする。一度は起き上がろうとするが、ばったりとマットに崩れ落ちる。


 それを見たレフェリーが、チャンピオンと俺の手を取って持ち上げるが、両方とも力なくマットに落ちる。


「ワーン、ツーウ……」


 レフェリーがダウンカウントを取り始める。このまま倒れていれば、両者ノックアウトで引き分け。それでも俺は任務を果たしたことにはなる。


 だが、それじゃあ興醒きょうざめだろう?


「五十九分経過、試合時間、残り一分!!」


 ダウンカウントに重なるように、リングアナの場内放送が響き渡る。よしよし、頃合いだな。


「ナーイン……」


 カウントが九まで進んだところで、俺はフラフラと起き上がると、チャンピオンも無理矢理引き起こしてレフェリーのダウンカウントを止める。


「決ィーめェーるゥーぞォーッ!!」


 場内に向けて、ありったけの声でアピールすると、チャンピオンの首を左脇に抱え、右腕でチャンピオンの左膝を捕らえ、強引に持ち上げる。


 このまま相手を後ろに投げれば通常のフィッシャーマン・バスターだが、俺の必殺技は、この体勢から後ろ受け身を取りながら相手の脳天をマットに叩きつける「垂直落下式フィッシャーマン・バスター」だ。地味な技しか使わない俺の、唯一の派手な必殺技。


 場内のプロレスファンも、それを知っているからこそ、凄まじい悲鳴と歓声が上がる。両国国技館が揺れる。


 俺は、たっぷりとタメを作ってから、おもむろに後ろ受け身を取ってチャンピオンの脳天をマットに突き刺した!


 もちろん、チャンピオンの脳天を本当にマットに叩きつけるようなをこの俺がするはずもない。リングを揺らす衝撃と轟音は、すべて俺の背中がマットを叩いて生じたものだ。たとえ相手が脱水状態で受け身が取れない木偶の坊だろうが、これっぽっちの怪我もさせずに、しかし観客には本当に脳天から突き刺しているように見えるように必殺技を決めるのが俺の技術の見せ所だ。


 そして俺は、起き上がりながら、満場の有名メジャー団体ファンをゆっくりと見回して威圧する。と、同時に本部席に座っているリングアナが、ゴングを叩く木槌を振り上げているのをしっかりと確認する。


 それから、ゆっくりとチャンピオンの片膝を取って片エビ固めにガッチリ押さえてフォールをした。


 それを見たレフェリーが、すかさず飛び込んできてマットを叩く。


「ワン! ツー!!」


 レフェリーのカウントが進む。あと一回マットを叩けば、俺の勝ち。満場の場内から大きな悲鳴が上がる。


 そして、レフェリーがスリーカウントを叩こうと、タメを作ってからゆっくりと右手を上げ、それをマットに叩きつけようとした、正にその瞬間……


 カーン、カーン、カーン、カーン、カーン!


 リングアナが、ゴングを乱打して叫んだ。


「試合終了! この勝負、六十分時間切れ、引き分けドロー!!」


 場内が歓声と怒号で埋め尽くされる。


 そう、こうなるように計算しつくしてフォールするのが、俺の職人技だ。この場内の盛り上がり、満場の観客の興奮を自在に操る醍醐味は、有名メジャー団体のチャンピオンベルトを巻くことなんかとは比べものにもならない。


 俺には名誉も勲章も要らない。ただ、俺の試合で客が楽しんでくれれば、それが俺への一番の報酬だ。


「よくやった」


 ほかの誰にも聞こえないように、レフェリーがそっと俺にささやく。それに対して、俺もレフェリーにだけ聞こえるように軽口を返す。


「こんな重たいホウキを相手にプロレスしたのは初めてだぜ」


 それを聞いて苦笑するレフェリー。今日のチャンピオンがホウキ以下だったってことは、誰よりもこのレフェリーが一番よく知ってることだからな。


 さあ、本日最後のお仕事といくか。本部席のマイクを奪って、次の対抗戦につなげるようにアピールしないといけないからな。今日、これだけ盛り上げてやったんだ、次のウチの後楽園ホールの興業のときには豪勢なメンバーを派遣してくれよ。

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