18 微かな記憶
「よぅ、お疲れさん。今日も肩に力入ってるなァ」
誰に見られずとも淀みなく廊下を歩いていたシェリアの向かいから、それとは対照的な様子でダラダラと歩いてくるバジルの姿があった。
いつもより少し髭が伸びている気がする。まあ大した差ではないなとシェリアはひとり胸で呟く。
「そっちこそ、お疲れのように見えるけど?」
「早馬を乗り継いで駆けっぱなしだったからなぁ」
「あら、ご自慢のスノファナじゃなかったのね」
「盗まれた」
失態だろうにしれっと悪びれも隠そうともせずバジルが答える。その答えでシェリアの疑問の一つが解けた。
「なるほど、それで侵入者達の方が早かったわけか」
「ほー、やっぱり来たか」
バジルの顔に笑みが浮かぶ。
「あなたの予想通りよ。よく分かったわね。もっとも警戒は強めておいたのに結局、聖堂内部まで侵入されている状況だけれど」
「ま、ちょっと頭の働くやつならわしらが教会の者だというのは気付くだろうからな。侵入してくるかは分からなかったが。それでお前さんはアグレウス殿に報告に向かってるわけだ」
「そういうこと、そういうあなたは帰還報告?」
主だった入り口には衛兵がいたはずだが、ひげ面の侵入者の報告はシェリアは受けていない。いつもながらどこから入ってきているんだかと内心シェリルは嘆息した。
「今済ませたとこだ。そんじゃあ、ちょっくらお客さんに顔を見せんと失礼だな。やれやれ、本当は茶でも飲んでからにしたいところだが」
「あなたのしくじった仕事だもの。仕方ないでしょ」
「ま、それもそうだ。お前さんも気が向いたら出て来な。なかなか面白い奴らだったよ」
後ろ手を振りながら去るバジル。確かに最近は指揮ばかりで実戦の機会などなかった。
バジルがしくじるほどの相手を見ておくのも悪くはないかとシェリアは思った。報告がすんでなお捕まっていなければの話だが。シェリアは少しだけ歩みの速度を上げ、アグレウスの部屋に向かった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
東か西かと聞かれれば、どれかっていうと左かなとアイリは考えながら走る。階段を昇ったり降りたり。道を曲がったり迷ったり。そしてついさっき左に曲がったところだった。すっかりはぐれてしまったが、やっと連中を撒くことはできたようだ。
『これより先、許可あるもの以外の立ち入りを固く禁ずる』という文言を三度は目にしたので、相当限られた人間しか入れない奥まで来てしまったんだろう。迷路のような造りのこの建物の中で、適当に走って自分の位置が分かるのは、よほど歩き慣れているものかプルートくらいだろう。
アイリには自分のいる場所の検討がまるでつかない。
いや……、つかなかった。つかないはずだった。さっきまでは。アイリは走りながら奇妙な感覚を覚える。
(オレはこの場所を知っている? いや、そんなバカな……)
ラステアである自分に記憶があるはずがない。しかもこんな場所の。しかし――、
「あれは……」
ふと立ち止まり目に入った部屋は、普段ならば誰であろうと決して立ち入ることの許されない場所だ。入るにはこの大聖堂の最高責任者の許可がいる。
(なんでオレはそんなことを知っているんだ?)
極秘資料が詰まった部屋。侵入されることなど一切考えず、そんな部屋を作っておくこと事態、迂闊ではないかといつもアイリは思っていた。
(……いつも?)
つけられている鍵を力任せに破るとアイリは部屋に入り込む。
長い間、人が入らなかった部屋は雑多に書物が並び、むせかえるような空気だ。その中でふと目にとまった、二十年近く前の一冊の資料を手にとった。
『ラステアに関する記録と報告 アイリエル・ベルフォース』
アイリはそっと、その資料のページをめくった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「またずいぶん大きな部屋に出たわね」
リオとプルートの二人は直線の廊下から、いきなりただっ広い半球状の部屋に出た。
特に何があるわけでもなく、石の床に幾つかの像が端の方に配され、それを見守るように高い壁には人のような姿のレリーフが施されている。部屋の中心には、いつか見たような三体の神獣を象った像があった。
あれから結構な時間駆けていたが、兵士が戦意をいくらか失くしたためか、はたまた緊急時でもここまで奥に立ち入ることを許されてはいないのか、後ろを付いてきているものは誰一人としていなかった。
「ここはもう東の端だ。あの階段を上がれば塔の上部に行けるんじゃないか?」
そんなことを言われてもリオにはまったく分からなかったが、見れば向かいに螺旋階段の入り口が見える。と、カツンという足音を反響させながら、その階段から人の足まで見えたので、さっとリオは長槍を構えた。
「もうこんな所まで来ているとはな。この聖堂の長い歴史のなかでもここまで侵入されたのはたぶん初めてだぞ」
そんなことを喋りながら現れたのは、まださすがに忘れるには早い無精髭の男だった。
「あんたがここにいるってことはやっぱり教会で当たりだったのね」
なかば確信していたとはいえ、バジルの姿を見て改めて、自分の推理が正しかったことをリオは知った。
「まあ、わしが教会の使いだってことはバレるかもと思っていたが、逃げられるのは予想外だった。とりあえず警備の強化くらいは申告しといたがな」
やはり行動を読まれていたためにこんなに警戒が強かったらしい。
「オレ達がスノファナを奪ったってのに、なかなか早い帰りだったな。悪いが教会長だかと話がある。通してもらうぞ」
プルートはバジルの出現に厭わず進もうとするが、バジルが構えをとり、通すつもりのないことを示す。
「残念だが、立場上そういうわけにもいかないんでな。ここら辺で君達の記録はストップとさせとくれ。うちのジイさんには手に縄を掛けてから会ってもらおう」
「二度も捕まるのは芸がないからな。そんな必要もないし、今度は力づくで通るぞ」
そんなやりとりの中、もう一人階段から降りてくる姿があった。
今まで白い格好の男ばかり見ていたものだからその姿が一層映えた。
燃えるような真紅の色した装束に、同性のリオですら息を飲むほど整った顔をした女性。
聖堂騎士団副団長のシェリア・ラズバードに間違いないだろう。
「まさか、こんなところまで来ているなんて……」
シェリアは驚きを隠せずそう呟いた。
「おや。早かったな、シェリア」
「あなたが苦戦したほどの連中なら、捕まる前に一目見ておこうかと少し急いだのよ。まさかこんな所で出会うとは思ってもみなかったけど」
「わしも予想外だった。警備を強化したというのにここまで来られるとはな」
「まったくドリス親衛隊の名が泣くわね。いっそう厳しい訓練と警備体制の見直しが必要ね。それでバジル、アグレウス様からの命令なんだけど……」
耳打ちをしているため、リオにその内容は聞き取れなかった。隙だらけのようで二人は全く隙がない。今飛び込んでも返り討ちだろう。
バジル一人でも厄介極まりない相手だというのに、その上生きた伝説になってる天才騎士まで相手だなんて。リオはサイン用に色紙でも持ってくれば良かったと混乱する頭で思った。
独り立ちするんだと、意気揚々とこの大陸にやってきてから数日でこんな展開。そりゃドラマチックを望んではいたけれど、自ら招いた部分もあるとはいえ、急な展開にリオはついて行くのがやっとだった。
「二人で話が盛り上がっているなら通っていいか?」
プルートの言葉にリオは頭を抱える。こいつは目の前の相手がどういう人物か分かっているんだろうか。いや絶対分かっていないのは分かっているけど。
「安心してくれ、もう終わった。さてと、シェリア。それじゃお前さんはお嬢ちゃんの相手を頼むぞ」
「ちょっと、あなた人の話聞いてたの? アグレウス様の命令は――」
その言葉が予想外だったのか、シェリアがバジルに非難の目を向ける。
「いいじゃないか、少しくらい。久々の実戦なんだろう?」
考え込むようにシェリアが黙る。が、一瞬のちには答えが出たようだった。
「――そうね。でも相手は不満よ。久しぶりの実戦だっていうのに私にお守りしろっていうの?」
話の流れは分からなかったが、結局戦いは避けられないようだ。
「ああ見えて、あの子もなかなかのもんだぞ。ま、女性同士、仲良くやってくれ」
「まったくもう! ……貸し一つよ」
えらい言われようにリオは内心歯噛みしていたが、言い返すことはできなかった。大陸すら違うリオの住んでいた地方にまで名声を轟かせていたシェリアは、リオにとってちょっとした憧れですらある。
プルートやバジルにしたって、名前こそ知れ渡ってはいないが化け物級の強さだ。自分のレベルが場違いなほど劣っているのは分かってる。だけど、
「簡単にはやられないわよ」
「あら、楽しみね。ならその力、見せてもらおうかしら」
すらりと抜いた剣は、特別にしつらえたのかその刀身までが赤かった。
真紅の剣を片手に駆け出したシェリア、リオはそれに逃げずに正面から向かっていった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「さて、お前さんとも三度目だな」
「教会長さんにちょっと話があるだけなんだけれどなぁ」
「ま、わしを踏み越えてから行っとくれ。ちんたらしてるとあの嬢ちゃん、シェリアにやられてしまうぞ。あの子もなかなか面白いが、さすがにシェリア相手じゃ荷が重いだろう」
ちらりと目をやればリオは奮戦していたが、シェリアに難なく捌かれている。実際に命を懸けて戦っているというより、それはさながら稽古を受けているようで、それほど実力差があることを物語っていた。
シェリアが本気になってしまえばおそらく一瞬で勝負が決まってしまうだろう。あまり時間はない。
「そうだな。じゃあさっさとケリをつけさせてもらうか」
言うなり一気に間合いをつめたプルートから、勢いよく大剣が振り回される。およそ見た目の質量からは考えられない速さだったが、バジルは簡単にそれを避ける。
「若いもんは力があっていいな。こっちは魔術でも使わんと太刀打ちできんよ」
羽虫でも飛んでいるかのようなブゥゥンという音がしたかと思うとバジルの手に、にぶく青白く輝く棒状の光が握られていた。
「魔術の剣か」
「わしはちょっとばかし珍しい光の質を持っててな。カッコイイだろ? やらんからな」
「いらないさ、この剣で十分だ」
その答えにバジルは満足そうな顔を浮かべる。
「いい答えだ」
バジルのその言葉ののち、二人は一斉に動き出した。
風の旅路と帽子の行方 下杉 @sitasugi
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