第三章 いま、忌まわしき鎖を
14 辿り着いた先
「着いたわね、聖地ドリス!」
昨晩の飯が効いたのか、はたまたリオに逆らうことの危険性を本能で感じているのか、兎にも角にも雨の中でも、律儀に待っていてくれたスノファナ達。
そして盛り上がりすぎて、あの後そのまま宿を出てドリスに向かうと言い出したリオのおかげで、日がようやく一日の半分の道のりを過ぎたという時分にはドリスに到着していた。
夜分にいきなり出て行くと言い出した客に、宿の店主は初めこそ不審がっていたようだが、食材を食い荒らす迷惑な客に朝食を再び荒らされる心配がなくなるだけでも良しとしたのか、理由も聞かれず快く送り出された。
むろん一泊の宿代はプルートの懐から取られている。
そのため御者台で代わる代わる寝たとはいえ、アイリとプルートは軽い倦怠感が抜けはしなかった。ただリオだけはなぜなのか理由を尋ねたいくらい機嫌も良く、元気なようだ。
「話の通りとんでもない大きさだわ。それにしても悪い噂がほとんどない教会がまさかとは思ったけど、裏じゃ何やってるか分からないものね」
「あれが、教会……。本当にバカでかいな……」
アイリは見下ろしているドリスの街並みの中で、一際目を引く巨大建造物を見据えながら独り言のように呟く。教会のあまりの大きさのせいか、見ていてアイリは奇妙な感覚に包まれた。
昨日の雨とはうってかわり、雲の峰が青空の下にしっかりと存在を示している。ドリスとは目と鼻の先の小高い丘。ここからだと街の全景が見渡せる。
聖地ドリス。
貿易都市ハイゼルンとともに、この大陸の二大都市の一つに数えられる街だが、ハイゼルンとは様相がかなり異なる。
街の南部ではハイゼルンと同様に、大陸中央の商都としての活気溢れる顔を持つが、北部に行くほど教会関係の施設が増え、厳粛な空気に包まれている。
とりわけ最北部にある街の象徴といえるドリス大聖堂は、並みの城なんかより、よっぽど巨大かつ荘厳であり、その空気を生む最たるものだった。
背後にそびえる大陸最大のミランダ山脈共々、訪れるもの皆がその巨大さに息を呑む。
ハイゼルン以上の地積を誇る、ドリスの四分の一が教会の敷地であることからもその巨大さが窺い知れるだろう。
ドリスは商都と教会都市の二面性のある街として成り立っていた。
比較的、誰でも入れる南部に対し、北部に行くには厳しいチェックを受けなければならず、無論凶器の類は持ち込めない。教会を含む北部を守る街壁の堅牢さは大陸一であり、無法な侵入者を固く拒む。
ドリス以西には街らしい街はない。あるのは岩と、古代の遺跡ばかり。海岸線も切り立った崖が、大陸への侵入を拒むかのように連なっており、港どころかろくに船を停留させる場所すらない。
なので、これより西へ行こうという者はよほど酔狂な人間か、はたまた考古学者か、あるいはただの迷子だけという話だ。実質ドリスは大陸最西部の街であり、この大陸を訪れる人々の終着地であった。
「この街は久しぶりに来たな」
懐かしそうに細めた目でプルートは街を見やる。アイリにはプルートがどんなことを思い出しているのか分からないが表情は柔らかい。
記憶を失っているアイリには懐かしいという思いが、とても甘美なものに思えた。
「来たことがあるのか?」
「ああ、教徒でもないのに親父はこの街が気に入っていたようでな。まだオレが小さかったころに何度か来たことがある。あんまり覚えてはないんだがな」
昨日のプルートの様子では終生詫び続けそうな勢いだったが、この表情を見る限りその心配はなくなったようだ。もちろん、プルートの中で全てを綺麗に消化できたわけではないだろうが、少なくとも自分の言動が間違っていなかったことにアイリは満足した。
出会ってからプルートにどこかあった焦燥感が、今は薄らいでいる。それはリオのおかげでもあったかもしれない。アイリにとってもそうだ。
プルートの話を現実に自分へと上手く置き換えられないせいもあったが、それでもここまで悲愴感に悩まされず過ごせているのは彼女の功績が大きいと思わずにはいられない。
もっともこんな状況でもなければリオの行動ははた迷惑以外の何物でもないがとアイリは心で呟く。
しばらく三人は、幾度絵のモチーフとされたか分からない景色をただ眺めていた。時折吹く風が身体周りの熱気を払ってくれて気持ちいい。
この街で何か答えが見つかるのだろうか。
それは分からないが進まなければもっと分からない。
世界最高権力の一つである教会。これからそれに牙を剥くことになる。
それでも不思議なことにアイリはそこに不安はなかった。そんな不安よりもずっと大きなそれをここ数日抱えていたからかもしれない。
プルートはとうに腹を括っている。何が相手だろうが自分の信じるようにすることを。
「レナード教の聖地……ドリスか」
ただ何の気なしに呟いた言葉だったのだが、予想外にリオから反応があったことにアイリは驚いた。
「何言ってんのよ、あんたは。信者でもない私達にとって、レナード教の聖地だなんてどーでもいいことなの! そんなことよりドリスには知る人ぞ知る裏の顔があるのよ」
「裏の顔?」
自分でも散々聖地、聖地と喚いていたのにという文句は飲み込み、アイリは気になる単語を
「そう、何を隠そうドリスはお饅頭の聖地でもあるのよ!」
「饅頭!?」
予想以上の規格外の答えに、もはや返す言葉も見つけられない。ピッと指を立てどこか得意げに答えるリオを見れば、それが楽しみで疲れる旅路もあの様子だったのかと気付かされ、ドリスに近づくにつれご機嫌になっていったわけが今分かる。いや真にはアイリには分からなかったが。
やおらうっとりとした表情さえドリスに向け始めたリオ。このまま放っとけばそのうちジュルっと涎をすすり出しそうだ。一体どれほど饅頭が好きなのか。
そんなくだらない会話に突如としてプルートの真面目な問いが切り込まれた。
「リオ、本当にいいのか? 教会に弓引けばお尋ね者は間違いないし、下手すれば命を落とすぞ? 契約なら気にしなくていい。お前が強引に決めたようなものだが、ここで破棄しても金は払うよ。いろいろと世話になったからな」
「そんなことよりお饅頭!」
「おいおい……」
アイリはさすがに呆れ顔をリオに向けたが、表情から冗談半分の
「覚悟なら、一応済ませたわよ。それに、この状況であんた達を見捨てられるほど、おじいちゃんは私を不義理に育ててはくれなかったみたいだわ」
いくつになってもロマンだなんだと言っていた祖父を反面教師として、リオは損得勘定を覚えた。しかし、幼いころ祖父に叩き込まれた義理人情は、普段は覆い隠すようにしていたが、すっかりリオに根付いていて、取り払うことは出来なかった。
損得勘定と義理人情。その相反する全くの別物は同時に扱うにはやっかいな組み合わせだが、こんな自分に育てた祖父を恨むべくもない。
「そうか、それなら何も言わない。お前の意思を尊重する」
「そうして頂戴。さ、今さらくだらない問答はさておいて、早く街に行きましょ。まさか真っ昼間から教会に乗り込むわけにもいかないでしょ。日が出てるうちは情報収集がてら街を歩くわよ」
言ってサッサと歩き出すリオ。今じゃすっかり乗り込む気満々のようだ。プルートもゆっくりとそれに続く。ふとアイリは後ろを振り返った。
御者台をはずし自由にされたスノファナ達。それがこれからの自分達がどうなるか分からないことを暗示していた。久々の自由に戸惑いながら見送る、スノファナ達の瞳が優しく、少し哀しげに見えたが、アイリはその気のせいに気付かなかったフリをした。
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