13 差し込む光

 ここ最近、今まで生きてきて一番じゃないかと思うほどプルートは頭と気を使ったつもりだった。

 しかしそれでも上手くいきはしなかった。

 初めから、こうなる予感はあったんじゃないかと思う。


 およそ人を騙すなんて得意な人間ではないことは、自分でも自覚していた。だけどプルートには他に方法が思いつかなかった。


 罪を犯しているのは分かっていた。

 それをどんどん重ねていつしか自分が押しつぶされそうなほどになっているのも気づいていた。

 いつか正直に告げ、どんな贖罪でもする気だった。いかに恨まれようとそれが彼を利用した自分への罰。そう考えていた。


 だがこの瞬間、この時間が自分の考えていたどんな贖罪よりも苦しい。

 いつ言うべきか、これで本当にいいのか、そんな考えが常に頭から拭えずにはいた。


 だが今まで結局アイリに伝えることはなかった。


 何より自らの目的を優先させたことは、どう言い繕っても自分が一番分かっている。


(だけどもう……限界か……)


 プルートは腹を括るしかなかった。自分の罪はもう暴かれたのだ。これ以上欺くことはもうプルート自身、耐えられない。口を開くことがこんなにも重労働だったことをプルートは初めて知る。


「お前の……推測通りだ。ラステアは人の姿をしている。オレとお前が出会ったのも、あの日が初めてだ。騙していてすまない。――お前が、ラステアだ」


 予想はしていた。というより確信に近かった。それでも面と向かって言われるのは、アイリが自分で想像していたよりはるかにショックが大きかった。グラリと一瞬景色が歪む。


 プルートはアイリの顔を見ているのがあまりに辛く、逸らしたくて仕方なかった。しかしここでそれが許されないことくらい分かる。ただしっかりとアイリの目を見つめた。

 雨でいつもより水際が近づいた湖の波の音だけが幾度か夜の闇に溶け込む。


 不意にアイリの顔が緩む。その哀しすぎる笑顔を見た瞬間、プルートは誰かに心臓を握り潰されたような心地がした。罪悪感が胸を締め付け、息をするのもかたくする。


「そっか。予想はやっぱり正しかった、か。あんまり当たってて欲しくはなかったんだけどな。プルート、お前の知ってることを全部話してくれるか? 本当のことを知りたいんだ」


 そう言ったアイリは別段普段の様子と大差ない。先ほどの哀切を含んだ表情はすでに鳴りを潜めていた。しかし、その様子がまたプルートの心を陰鬱とさせる。

 もちろん、それがアイリに伝わらないように最大限努めてはいたが。

 プルートがゆっくり頷き、言葉を紡ぐ。


「オレも……大したことは知らない。知っているのは親父から聞いた話ばかりだ。まずラステアとは人の姿をしていて、兵器としての機能以外、普通の人とは何も変わらないということ。そして一度発動すれば、お前も見たようにとてつもない破壊がもたらされてしまう。ラステアの意思とは関係なく、な。発動した後、ラステアは初めの状態へと戻ってしまうらしい。それを親父から聞いていたから――だからお前がラステアだということが分かった。記憶を全て失ってしまったお前の話を聞いて、ラステアだと分かったんだ」


 プルートは一度話を切ったが、アイリが口を挟むことはなかった。再び重い口を開く。


「オレは長い間、ラステアを探していたが、親父に聞いた話以外手がかりもなく、正直途方に暮れていた。そんな折、コズ村が破壊された話を聞き、オレはすぐに向かった。その惨状だけを見せつけられ、結局新たに手がかりが得られることはなかった」


 絶望の景色を背にし、またあてもない孤独な旅を続けようとしたあの日を思い出す。風の音がやたらとやかましかった事を覚えている。


「けれど偶然、本当にたまたま立ち寄った街で記憶喪失の少年の話を聞いた。ついに見付けたんだと思った。すぐに会いに行こうと思った。だけど噂では少年が見付かったというだけだった。どんな手違いでラステアを使った連中が、お前を見失ったかは分からない。けれど、このままでは、奴らは見付けられない。そう思ったオレはない知恵を絞って一計を案じた」


 それはろくでもない、策とも呼べないものだった。信念すらも投げ捨てた――。


「お前のそばにいれば、近いうちに必ず連中が接触してくるはずだ。お前を利用しよう。そう考えたんだ。そしてオレはお前の連れだという嘘の話をし、四六時中お前のそばにいることにした。――ラステアが誰に作られたとか、何のために作られただとか、そういうことはオレも何も分からない。ただ親父がこれだけは覚えておけと言ってた。ラステア自身に罪はなく、裁かれるべきはそれを利用している奴だってな……」


 アイリは黙って話を聞いていた。プルートは怖かった。アイリの反応が。

 どんなに罵られようと、仕方ないとは思っている。それだけの罪を犯したことは分かっていた。だが、それが怖くないかという話は全く別の話だ。


 しかし、アイリからは、プルートの幾通りかの予想にはない言葉が返ってくる。


「……そっか。話してくれてありがとな。いやーなんかすっきりしたよ。一人で考えてもグルグルするだけでさ、慣れないことはするもんじゃないな」


 ははっとアイリは小さく笑った。


「そっか、やっぱりオレがラステアだったのか。……それじゃアイリって名前も適当だったのかな?」


 アイリは動揺している様子をおくびにも出さない。いや、自分がしたようにそう努めているのだろうか。そうプルートは思った。


「その名前は……オレの親父の名前から付けただけなんだ。本当に頭悪いな、オレは――。そう呼ぶのはもうやめないとな……」


 プルートは何を話せばいいか分からなくなり、一瞬沈黙が流れる。

 やっと思いついた言葉は謝罪の言葉しかなかった。


「――本当に悪かった。結局、どんなに言い繕ってもオレ自身お前を利用していたことに変わりはないが……。オレは親父を殺したラステアを利用する奴らを突き止めたかったんだ、どうしても。そんなオレの軽率な行動がこんな結果を招いてしまった。今さら謝るのは卑怯だと分かってる。謝れば許されるとも思ってない。だけどオレにはもう、ただお前に詫びることしかできない……」


 プルートはこれ以上ないほど居たたまれない顔をしている。父の仇を討ちたいという思いはもちろんあった。なぜ殺されなければならなかったのかその理由が知りたかった。


 しかし、それだけでもなかった。命を懸けていた父の思いと、自分自身の正義に従って、いつしかプルートにとってもラステアの悪用を許さないということが人生を費やす目的になっていたのだ。


 だけど、目の前の少年にはそんなことは関係ない。結局は自分の押し付け。正義のため、誰かのためと言ったところで最終的には自分のためなのだ。それが分かっていたからプルートは顔を上げられなかった。


 そんなプルートを見てアイリは、プルート自身相当苦しい思いをしていただろうことを汲み取れぬほど間抜けではなかった。そして、そんなプルートを罵倒するような人間にもなりたくなかった。


 ――長い時間、無駄に一人で考え込んでいたがアイリはその中で自分への決め事をしていた。


「もう詫びの言葉はいいよ、プルート。オレがプルートの立場でも……何も言えなかったと思うしな。――んなことより、詫びるくらいなら一つ頼みをきいてくれないか?」


 アイリの望みが何かなど、プルートには皆目検討もつかなかったが断れるべくもない。

 プルートは深く頷く。


「お前がいいなら、これからもオレにこの名前を貸してくれ。親父さんにゃ悪いが結構気に入ってんだ」


 ニカッと笑顔を見せたアイリにどれほどプルートは救われただろう。先ほどの笑みとはまるきり種類が違うモノだった。


 プルートは自身の信条からまったくかけ離れたこの企てを実行するのに、相当な覚悟を擁した。割り切ることも出来ず、自分を許せはしないことも分かっていた。


 だが、さっきまで闇一色だった心に、月の光が入り込む隙間ができた。

 だからプルートは新しい決意をすることができた。後悔と自責だけではなく、それは単なる贖罪でもない。必ずこいつの力になる、そう思えた。命を懸ける目的が少しだけ変わった。


 どんな答えでも誰も何も恨まない。

 どんな真実でも前を向き、そして歩く。


 そう決めていなかったらこの笑顔はできなかったかもしれない。

 そう思えば考え込んだ時間も無駄じゃなかったのかもしれない。


 全く無理してないわけじゃない。だけど、それでも今、自分は笑うことができた。

 アイリはそのことに満足していた。


 輝く月を思い出したように見やる。さっきまでより随分色が優しい。

 気が付けば波の音だけだと思っていた水辺には、雨上がりを喜ぶ虫達の声も交じっていた。


「まったく。こんな大切な話をよくも私のいないところでしてくれたわね」


「「リオ!?」」


 闇から現れたリオに二人が驚く。普段なら、プルートが気付けないわけはないのだが。

 よく見ればリオの目が赤くはれているような気もする。


「私もまだまだ甘っちょろいわ。――最初はあんた達から金だけくすねてとんずらしようかと思ったりもしたけど――」


「そんなこと思ってたのかよ!?」


 アイリの突っ込みは見事に無視される。


「こんな話聞かされて、とんずらしたんじゃ誰が許しても私が私を許せないわ。こうなったらとことん付き合ってあげるわ! 教会と全面戦争よ! 盛り上がってきたわね!」


「いや、んなことされたら誰も許さねーし盗み聞きだろ」


 ひとり熱くなっているリオにアイリのしごくまっとうな突っ込みはもちろん届かず、お約束と言わんばかりにリオの一発をもらう。


「男が細かいことを気にしない! さあ行くわよ、ドリスに!」


 リオにどつかれてばかりのかわいそうな頭を慈む様にさするアイリ。

 それを尻目に心持ちを新たにしたリオが、敢然とどこかを指さす。

 無論、ドリスのつもりなのだろうが、プルートはその方角がまるで見当違いなのを言うべきか迷っていた。


 虫の音が、月を映す湖のほとりでいつまでも優しく響いていた。




 ―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 普段彼女はこの場所に来ることはあまりなかった。この辺りは黒に身を染める連中の縄張りだからだ。


 聖地ドリスにおける教会大聖堂の最深部。

 関係者でも立ち入れるのは限られている場所である。


 そのいつも、あまり人気のない場所がなんとなく落ち着きをなくしている。雨の夜というのもこの胸のざわつきに一役買っていたかもしれない。


 目的の部屋の前まで来ると、彼女はノックをし、部屋へと入る。大きな机が本棚に囲まれた重苦しい部屋。一人の老人が机に積まれた書類に目を通していた。


「何用ですか? アグレウス様」


 アグレウスと呼ばれた老人は口元に小さく笑みを浮かべる。


「相変わらずせっかちな娘だな、シェリア。そうでもなければ、その歳で騎士団の副長は務まらんか」


 シェリアの肩書きは聖堂騎士団副団長兼ドリス親衛隊隊長である。二十三という歳でしかも女性では異例の大抜擢だった。


 しかし、周りから不満の声は一つもない。

 それほど彼女の力が突出し、稀代の天才剣士の呼び声が伊達ではないことを物語っている。


「そういうわけでは……。ただ人にとって時間は有限ですからね」


「可愛げがないの。そんなんだからその容姿でも男が寄り付かんのじゃ」


「……ちょっと書類よけてもらえます? 返り血がはねるのもなんですから」


「……すまん、冗談じゃ……」


 ゆらりと帯刀した剣に手をのばすシェリアに、老人はすぐに謝罪をした。


「まったく、冗談の通じぬ娘だの。育ての親だぞ、わしは。それに今はドリスの責任者、お前の上役だというのに」


 やれやれと小さくアグレウスは呟きを漏らす。


「……まぁよい。本題に入るか。今しがた、バジルの使いから先行して書簡が届いての。任務に失敗したとの報せじゃ」


「バジルって影の、ですか? まさか、冗談でしょう」


 教会においても影やら、密謀部やらと公に認められていない彼らに特定の呼称はない。

 世間に限らず、教会内部ですらその存在を知るものは一部。どこから入っているのか分からないが、彼らはドリスの最深部であるこの場所に、時折ふらりと姿を見せる程度だ。


 シェリアは兼ねてより、騎士団がいるのだからそんなものは必要ないと思っていた。何より、聖なる救世主であるレナードに仕えている者が、後ろ暗い行いをしていることが納得できなかった。それが必要な時もあることくらい分かっているつもりだが、自分の正義にはどうしても反する。


 基本的に騎士団と密謀部に接点はない。しかしおさのバジルの強さは知っていた。

 そのバジルがわざわざ出向いた任務をしくじるとは。到底、真実とは思えなかった。


「冗談ではないぞ。書簡に確かに書いてある。ほれ」


 投げ渡された書状をシェリアは紐解いた。


『親愛なるアグレウスへ

 すまん。任務しくじっちゃった。

 目標の捕縛失敗、のち消息不明。

 なのでフォローを頼む。

 それと教会の警備を強めることをお勧めする。


 追伸 この手紙が届く翌日くらいに帰還予定なのでよろしく。

 あなたの友人 バジル=アルジール』


「まったく、相変わらずふざけているわね」


 バジルとは何度か面識があったが、変わらない様子にシェリアはいささかうんざりした。


「それでだ、一緒に人相書きも送られてきたのだが、お前さんにはドリスと周辺に常駐している騎士団にこやつら三人の手配を頼もうと思ってな。ただし手は出さなくていい。情報の提供だけじゃ。これは徹底しとくれ。加えてお前さんはこれから数日、教会に常駐してもらい、教会特別守護の任についてもらう。判断は任せるが適度な小隊を配備しておいて欲しい」


「分かりました。すぐにそのようにします。それにしてもこの三人は何をしたのです? 見れば年端もいかぬ様な子供もいるようですが……」


 聖堂騎士団にとって教会の守護は使命であり、日頃の任務だが、特別守護は通常より警戒を厳にするものだ。

 重要な祭事や、怪しい噂が流れた時によくあることだったが、このような年のたった三人に対し、わざわざこんな警備体制を敷くなんていうのはシェリアは聞いたことがなかった。まさか盗みを働いた程度の者ならわざわざ自分に言うまい。


「バジルらが最重要として動いていた件じゃ。それで分かるじゃろ」


「……なるほど。分かりました。それでは失礼します」


 聞いて手を出すなの意味を知る。

 シェリアは部屋から出ると早速命令を実行しようと足早に廊下を歩く。


(……ラステアが見つかったと言うことか……)


 思いながら、言い知れぬ不安がシェリアの胸によぎる。

 何も起きないことをシェリアはただ願った。

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