12 月明かりの湖畔で

 予想通り、降り出す雨。

 プルートとしては日が暮れるギリギリまで歩を進めるつもりだったが、いつ泣き出してもおかしくない空模様と、いいかげんやかましくなってきた腹の音により、予定を変えて街を目指してはいたのだが、タッチの差で間に合わず。街へと入る直前、いきなり激しく降り出した雨により三人は大分濡れてしまった。


 着いたのはミルガーデンより二つ西の街。

 入り口にトアキンと記してあった。少し無理すれば明日にはドリスに着くことができそうだ。街の外へ置いてきたスノファナ達が逃げなければの話だが。


 普通に歩けばミルガーデンからハイゼルンへの道のりと大体同じなのだから、四日か五日はかかるところである。

 急ぎ足で駆け込んだのと、雨で視界が悪かったのとで街の様子をあまり窺い知ることができなかったが、ミルガーデンよりは小さいものの結構な規模の街だ。


 薄ぼんやり見えた先には、どうやら北のほうに湖があるらしい。

 相変わらず街道沿いの宿はサービスが良く、ずぶ濡れで駆け込んだ三人に文句一つ漏らさずタオルが渡された。


 部屋に案内されるなり、それぞれびしょ濡れの服を脱ぎ捨てさっさと着替えると、大合唱の腹を鎮めるために三人は食堂に向かった。

 この雨の中、また濡れてまで外に食べに行こうとはさすがのリオでも言い出さず、宿内の食堂ですますことに三人とも異論はなかった。


 まだ夕餉には若干早い時分であったため、食堂は貸切に近い状態だ。雨から早く逃れようと宿は最初に目に付いたものを選んだのだが、目立っていただけあって中々の大きさだった。


 それに即して食堂も広い。どうやら片手間にというわけではなく、ありがたいことにちゃんとした料理人がいるらしい。


 小さな宿屋で出される街の名物や家庭料理もいいものだが、昨日ハイゼルンを出てから口にしたものと言えば、プルートがかろうじて持っていた非常食用のナッツを少々。


 そんな状況だったので、今日は当たり外れのあるその地方独特の名物料理や家庭料理よりも、ただ美味い飯をたらふく食べたかった。

 落ち着いた雰囲気だった食堂は、三人が来るなり状況が一変する。三人が、主にリオとプルートだが、メニューのほとんどを頼んでいくため、厨房にひっきりなしに入る注文。


 今頃は料理人もこんな時間でなぜ忙しくなるのかと厨房で文句を垂れているだろう。

 他の客がようやく入りだした頃には、ふくれた腹にすっかり満足した三人が食堂を後にしていた。この雨の中、見習いコックが急遽買い出しに行く羽目になったことを三人が知ることはなかった。。


 部屋に戻る途中、宿の中で露店でも開いてるかのように土産物が並んでいた。

 宿で土産ものを売っているのはあまり見かけないが見上げた商売根性だ。ドリスに近いせいか土産物屋には教会関係の品物が並ぶ。

 

『これさえあればあなたも立派な巡礼者、レナード様も喜ぶお得な三点セット!』


 見れば法衣と杖と聖書が並んでいる。


(……信仰てこんなもんなのか?)


 プルートはそんなことを思いながら部屋へと戻った。


 早めの夕食の後、外に目をやれば大分小降りにはなって来たようだが、いまだ雨が降り続けていた。外に出ることも叶わず、部屋で大人しくしているしかなかった。


 不経済にもリオが並べ立てた文句のおかげで昨日に続いて二部屋とったというのに(もちろんプルートもちで)今現在リオはアイリとプルートの部屋にいる。一人で部屋にいた所で暇なのだろう。

 そんな具合だから、三人部屋で良かったんじゃないかとプルートは思う。まったくこの年頃の娘は面倒だなと、どこぞの父親のようなことを考えた。


   アイリは部屋の隅で、一人静かに壁に背を預け座っていた。アイリの様子は宿に着いてからもどこかおかしい。考えごとをしているのかと思えば、なんだかぼーっとしたりもしていた。


 アイリがそんな有様なものだから、もっぱらリオの相手はプルートが務めていた。

 聞き役になっていたプルートは、よくここまで話すことがあるものだと、止まらないリオの話に内心感心していた。


 だが、リオは不機嫌だった。

 さっきからリオはプルートが興味なさそうだと見るや否や話題をいろいろと切り替えながら話してきた。相当幅広いジャンルを話したというのに、それなのにこの男と来たら返す言葉の八割がふーんか、へーときたものだ。


 やっきになって逆に意地でも食いつく話をと息巻いていたのだが、何を話そうとことごとく空振り、いい加減イライラが爆発しそうになっていた。

 そんな時間がしばらく続いていたが、不意にプルートは気付いて口を開いた。


「あれ? アイリは?」


 ふと見ると、リオの相手をしている間にさっきまでいたアイリがいない。


「ちょっと前に外に出てったわよ。雨がやんだみたいね」


「そうか……、じゃあオレも一服がてらちょっと外に出てくるか」


「ちょっと! まだ話はすんでないわよ」


「悪いな、帰ってきてからまた聞くから」


 少しバツが悪そうなプルートの笑顔。なんとなくリオは二の句が継げなくなった。


 バタン……。


 一人残された部屋で。

 扉が閉まる音の余韻の残る中、リオは考えていた。リオにとって彼らは数日前に出会ったただの雇い主という存在。教会やら何やらで、想像以上にやっかいな事態になりつつあるが、リオはお金さえ稼げればそれでいいと思っていた。はずなのに……。


 それなのに気になって仕方ない。アイリの様子はおかしかったし、プルートの去り際の笑顔もなんだか変だった。


 それに年来の友人だという二人。にぎやかで、楽しげで、一緒にいて飽きない。

 そんな二人なのに。


 不意に何故だかかみ合わず、寂しそうに映る時があった。その理由をリオは考えないように、見ないようにしていたのだが。


(こんなことが気になるなんて私もまだまだ青いわね……)


 自分で自分を非難しながらも、気付けばリオはプルート達を追って部屋を後にしていた。


 魔術灯が消え、誰もいなくなった部屋には柔らかで静かな月明かりがそっと差し込んでいた。




 ―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




「こんな所にいたのか、探したぞ」


 プルートが声を掛けると、アイリはゆっくりと振り向いた。

 街から少し出た街道。脇にある森は夜の闇でいっそう不気味だった。


「こいつらも腹減ってんじゃねーかと思ってな。 何食うか分かんなかったけど、こいつら何でも食うみたいだ」


 アイリはどこで貰ってきたのか、残飯をスノファナ達に与えていた。

 横でスノファナ達が嬉しそうにその残飯に食いついている。その優雅な姿で残飯にがっついている様子は見ていてなんだか侘しい。


「ずいぶん腹減ってた様だな」


「みたいだな。それで、何か用か?」


「……いや、用というか……。 お前の様子が何か変だったからな。オレに何か、言いたいことでもあるんじゃないかと思ってな……」


 アイリが小さく微笑んだように、プルートは見えた。


「――ちょっと歩かねーか?」


「ああ……」


 飽きずに食べ続けるスノファナ達を残して、二人は街の方へ歩いていった。



 大した言葉も交わさず、気付けば湖畔まで来ていた。


 ――お前に聞いておきたいことがあるんだ。


 そこでようやくアイリは静かに語り出した。

 空に浮かぶ満月が優しく佇む夜さりに。

 水面に滴る雫の音が聞こえるほど静かに。


「これはかなり前から気づいていたけど……。お前とオレは……昔っからの旅の連れなんかじゃないだろ? オレと会ったのはミルガーデンの宿屋が初めて、違うか?」


 なんとなく、予感はしていた。何かが綻び始めてるんじゃないかと。

 それでも、そんな予感は何も意味が無かった。

 アイリの一言にプルートに冷たい汗がつたう。


 黒いキャンバスとなった湖に、少し前に現れたばかりの月が描かれている。

 プルートも、アイリもその月を見ていた。

 ただプルートの見る月はアイリの姿で二つに分かれていた。


 プルートの答えを待たず、アイリは言葉を続ける。


「初めから、少しおかしいなと思ってはいたんだ。お前が最初に宿に来たとき、まず親方に少年はって確認しただろ? オレの姿が目に入っているはずなのに変だなとは思ってた。

 無意識に、確認をとっちまったみたいだな。それに、オレについての話が曖昧だったからな。普通は連れの記憶がなくなったなら、もっと記憶が戻るように昔の記憶を語り聞かせたりとか何かしらすると思うんだ」


 アイリは不思議だった。昔を語らないプルートが。

 長年の連れであるはずの自分の好みも知らないプルートが。


「だけどま、それに気付いたからってさ、お前を問いただしたり、お前から離れようなんてつもりはなかった。お前に付いて行く以外、他にアテがなかったってのもあるけど――。数日過ごして、お前が悪いやつじゃないのは分かったし。オレの記憶がないのは事実だから……。きっと何か事情があるんだろうって。それならお前といれば何か分かるかも知れないって、そう思った。――でもふと、そんな嘘をつく理由を、その何かの事情が何かを考えたんだ。嘘をついたのは、オレをそばに置いておきたかった。そう考えるのが一番自然だ。でもなんでオレをそばに置きたいんだ? なんでオレなんだ?」


 プルートは口を開かない。黙って聞き入っている。


「どうしてオレじゃなきゃいけないのか、その理由をずっと考えてた。オレはラステアの爆発の中、記憶を失いながらもただ一人生き残った。誰も生き残れないような、あの場所で、奇跡的に……。ただそれだけの人間だ。だけどそれが重要だったんだろうな。それに一つの推測が加わると、その事情ってのもなんとなく見えてきた」


 月を映す水面がアイリの声も反射しているかのようにプルートは錯覚した。それくらいアイリの静かな声がプルートの耳にしっかりと届いていた。届いて、残って、かき乱される。


「お前の口ぶり。それと決定的だったのは教会で聞いたバジルとグレーセルの会話。そこから思ったんだ。ラステアは人の形をしているんじゃないかって。……ラステアは人の姿をした兵器なんじゃないか?お前はそれを知ってたんじゃないか?」


 プルートはまだ口を開かない。

 というより口がきけなくなったかのように自分でも開くことができない。

 逆光で見えないはずなのに。

 プルートには確かに、振り向いたアイリの哀しげに微笑んでいる姿が見えた。


 今度こそはっきりとプルートに動揺が滲む。


「この推測からさ……、オレが思ったのはさ……。………答えてくれよ? プルート。ラステアは……オレなのか……?」

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