第12話

第11話

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 最終回を書き始めて、三日目。

 いつもなら大筋は書けている頃なのに、今回は一向に筆が進まない。

 文字で埋め尽くされた画面は、バックスペースキーで瞬く間に消えていく。

 それを何度も繰り返すこと二時間。さすがに疲れて席を立つことにした。



 あの日。新宿駅で森山くんを見かけた後、アサちゃんに連絡を取った。

 猫の飼い主が見つかったことと、森山くんの近況について聞きたくて。

 アサちゃんは一瞬躊躇って、ゆっくり言葉を選びながら話をしてくれた。

 ――お祖母さんが亡くなったんだって。それで、山梨に帰ってきていたみたい。……同窓会、どうなるんだろうね。

 アサちゃんから連絡先を聞こうかと思っていたけれど、森山くんの心境を思うと、とても連絡出来そうになかった。



 スマホと家の鍵だけ持って、ふらふらと夜の街を彷徨う。

 東京に来て暫くは、夜なんてとても怖くて動けなかったものの、いざ歩いてみると明るくて人通りのある道が多い。知っている道から外れたりしなければ、夜の散歩は昼間よりも心地よかったりする。

 凝っていた体を解すように、のんびり歩いていると、ふいにスマホが震えた。




「急に呼びたててごめんなさいね」

「いいえ、ニャーゴにも会いたかったですし」

「たまには、女子会したいなぁと思ってね。ニャーゴも香苗さんに会えて喜ぶわ」

 相変わらずモデルルームのようなこざっぱりと整えられたリビングで、わたしはニャーゴを抱きしめた。

 少し大きくなったな、とお腹に顔を埋めると、すかさず猫パンチが繰り出された。

 わたしがニャーゴとじゃれている間に、冴島さんはてきぱきとテーブルの上に料理を並べていく。

 フランスパンに可愛らしく盛り付けられた色とりどりのカナッペに自家製のピクルス。呑めないわたしのためにリゾットまで用意してくれた。

 部屋の綺麗さといい、料理や手際の良さといい、自分の女子力とやらが心配になってくる。

「本当に呑めないの?」

 彼女の前には深紅の赤ワイン。眉尻を下げた表情が、いつものクールな印象からはイメージ出来なくて、可愛らしいと思ってしまった。

「お付き合い出来なくてすみません」

 せめてものお手伝いに、と用意してあった、フォーク、ナイフ、スプーンをセッティングする。

「でも、女の子なら呑めないほうが可愛いわよ」

「そうですか?」

「絶対そう」

 用意してもらったジンジャーエールをグラスに注ぎ、シャンパンのふりをして乾杯をした。

「……以前誘ったときね、私の会社の同僚と香苗さんと三人で食事しようと思ってたのよ。彼、ちょっと事情があって来れなくなっちゃったから、流れちゃったんだけどね」

「そうなんですか」

 冴島さんはお水のようにワインを飲み干す。

「そうなの。……私ね、前から彼のことちょっといいなって思ってて。香苗さんが居るなら来てくれるかなって思って利用しちゃった」

 ごめんね、と茶目っ気たっぷりに笑うその表情が、恋する乙女そのものだった。

 いくつになっても、恋をしているとき、人の表情は変わる。

 同じ人だろうかと思うくらい、まばゆく感じる。

 冴島さんの表情を見ていると、自分の胸にも柔らかく温かな火が灯るようだ。

 わたしは「そんなことないです」と言いながら、カナッペを頬張る。

 トマトと、たっぷりのクリームチーズ。オリーブオイルがかかっていて、ほのかに香る。

 おいしいな、と思っていると、冴島さんの恋バナはさらに続いた。

「でね、先週の木曜日にね――告白をしたの」

 冴島さんは、二杯目を飲み干すと、長い睫毛に縁取られた目を伏せた。

 先ほどまでの無垢な少女のような雰囲気からがらりと変わって、恋愛の全てを知り尽くしているかのような、大人の彼女がそこに居た。

 彼女が美人だからだけではない、溢れてくる色香に、思わず喉を鳴らした。

 なんて、美しい人なんだろうか。

「返事、まだ貰えてなくってね」

 三杯目のワインが、彼女の厚くて柔らかな唇の奥へと注がれていく。

 まるで、悲しい気持ちを一緒に飲み込むかのように、彼女の呑むペースは速い。

「……冴島さんでも、恋愛に悩んだりするんですね」

「それはそうよ。こんな上手くいかないことって他にある?」

「ふふ。そうですね」

「本当に、彼、どこを見ているのかしら」

「こんな美人さんを待たせるなんて、罪な人ですね」

 会話が弾む。まるで昔からの知り合いだったみたいに、わたしも冴島さんも話題が尽きない。

 お腹が膨れてきて、日付が変わろうかという頃になって、冴島さんのスマホが鳴った。


「はーい。……あ、森山くん、お疲れ様」


 ごめんね、とジェスチャーしながら、席を立ってキッチンに向かう冴島さんの横顔を見つめる。

 ――森山くん。

 心臓がどくどくと嫌な音で鳴る。

 決して珍しい名字じゃない。わたしの知り得る森山くんか、なんてわからない。

 楽しげに話す冴島さんの表情が、電話の向こうの彼の表情を想起させる。

 急に胃の中の物が重く感じて、吐き出してしまいたくなった。 


「ごめんね、香苗さん」

「いいえ。あ、わたし明日早番なんで、そろそろお暇しますね」

「そうなの? 今日、楽しかったわ。また、誘っていいかしら」

「……ええ、また」




 帰り道、堪えられなくて溢れてきた涙は、パソコンの前に座っても止まりはしなかった。

 キーボードに雨のように、ぽたぽたと涙が落ちる。

 悲しくて、張り裂けてしまいそうなのに、不思議と小説が浮かんでくる。


 涙の痕をなぞるように、わたしはキーボードを叩き続けた。






第13話へ。

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