第26話:繋がりゆくカケラ

 夏休みも残すところあと数日。

 そして今日は、千野先輩と二人で遊ぶ日。

 この短くも長い一週間の間、「これはまだデートではない」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 そんな浮かれた気分で玄関で靴を履いていると、母さんが見送りに来てくれた。


「涼ちゃん、そんなオシャレして随分と気合が入ってるわね?」

「ま、まぁね。でもただ先輩と遊びに行くだけだよ。じゃあ行ってきます」


 まだ母さんには言わなくてもいい。

 形になっていない時に、そうであるかのように伝えるのはなんだか少し違う気がする。

 それでも母さんは、何も言わずにただ笑顔で送り出してくれた。


 夏祭りの時よりももっと早めに家をでたから、まだ時間にはかなり余裕がある。

 自室で時が経つのを待っていても、心の高鳴りを誤魔化しきれなかった。

 そしてその想いは原動力となり、時間に余裕があるはずなのにも関わらず、僕の歩幅をいつもより大きくする。


丁度神崎先輩の家の前を通り過ぎようとした時、先輩の家の黒い外車が唸り声を上げた。

その大きなエンジン音にも負けない、力強い女性の声が僕を呼んでいる。


「涼太く〜ん。どこ行くの?」


 何となく嫌な予感がしたので、その質問には答えたくはなかった。

 多分、絢香さんが僕に違和感を植えつけた犯人だ。優しいけど、あの人は何かが違う。

 それでも、不覚にも視線を向けてしまった僕に、無視をするという選択肢はなかった。


「今から遊びに行くんですよ。じゃあまた……」


 すると、ブゥンという荒いエンジン音を鳴らしながら、絢香さんが僕の目の前まで車を走らせてきた。


「じゃあお姉さんが送って行ってあげるよ。遠慮しないで乗りな」


 左ハンドルで、ウィンドウから笑顔をのぞかせている絢香さんに、悪意はないように感じられた。

 それに、僕には選択肢はない。人の好意を無下にするのは、あまり良くないことだし。


「じゃあお言葉に甘えて……」


 そのまま右手側の助手席に乗った。

 絢香さんは心なしか嬉しそうな表情をしている。

 僕が乗ったからって訳じゃないんだろうけど、絢香さんが喜ぶ理由といえば神崎先輩絡みか。


「よし、じゃあ出発だ。どこまで送ればいいんだい?」

「駅までお願いします。ってなんだかタクシーでの台詞みたいですね」

「まぁまぁ、そんな事は気にしなくていいさ。今日はデートなんだろう?」

「え、そうですけど、何で知ってるんですか?」

「だって涼太くんも嬉しそうな顔してるからさ。愛ちゃんと上手くいってるようで何よりだよ」


 涼太くんも、と言うことは絢香さんもやはり何か喜ばしい出来事があったのか。

 それにしてもそこまで表情に出ていたなんて、恥ずかしい。


「絢香さんも何かいい事あったんですか?」

「そうなんだよ〜。もう少しでやっと仕事に一区切りつきそうでさ。最近は色々忙しかったからね」

「仕事って……」

「ん? どうしたの?」


 その言葉の先は、言わない方がいいと思った。

 絢香さんの家業。それはヤクザ組織の長。

 多分深く関わりすぎると自分にとってあまり好都合ではないだろう。

 

「いえ、何でもないです。それよりも絢香さんはお出かけですか? 車に乗ってるところは初めて見たような気がするんですけど」

「お出かけ、っちゃお出かけかな。ただの街の見廻りともいうかもしれないけどね」


 パトロール前の警官のような口ぶりの絢香さんは、それから数分車を走らせ、赤信号でもないのに車を道路脇に一時停止した。

 この周辺は繁華街とは違って少し小綺麗な景観。

 高級なホテルや、丁寧に整備された道路に歩行者道。それに高校生では手の届きそうにないレストランが沢山ある。


「どうしたんですか?」

「これもお仕事の一環だよ。それに、ここからだと面白いモノが見えるしね」


 絢香さんが指し示す方向には、和人と香澄がバイクから降りている姿があった。

 少し意地悪な表情を見せた絢香さんは、恐らく僕を試している。

 そして、僕はそんな二人の歩いている光景を見ても、そこまで嫌には感じなかった。

 

「面白い、ですかね?」

「うんうん。面白いと思うよ? 何も知らないで歩いている子供ほど見ていて楽しいものはないさ。なんたって、あの子は真実を何も知らない」

「もしかして、香澄が浮気されているのを知っているんですか?」

「そんなどストレートな質問はダメだよ? せっかくお姉さんが言葉を濁しているんだからさ。真っ直ぐすぎても、いや、真っ直ぐな方が、人は多くを失敗するんだよ。よく覚えておきな」


 そう言って、絢香さんは再び車を走らせた。


「そう言えば、涼太くんはウチの家業についてどこまで知ってるの?」

「そこまでは知らないですよ。ただそこそこ大きな勢力だってことくらいですかね?」

「なんだ、十分知ってるんじゃないか」


 絢香さんは、片手をハンドルから離し、僕の頭を乱雑に撫でた。


「そんな物知りな君にはもう少し詳しく教えてあげよう。ここの周りのお店やホテル。そのいくつかはうちの組の管轄なんだ。だから、もし来る用事があったら、特別に割引してあげるよ」

「へ、へぇー。なんかありがとうございます。でも、僕の思ってた以上に大きな組みたいですね?」

「多分ね。まぁ、それでも勝てない相手ってのはいるもんさ」


 社会の裏側を生きている絢香さんに、自分の無知さを改めて知らしめられた。

 何千何万の人々が知らずに生きている。それは当然のことだ。

 そして、知らない方が、関わらない方が楽なことも事実。


 それから数分もしないうちに、車は駅前に到着した。

 絢香さんにお礼をして、高級な外車から降りても、特に誰も視線を向けてくることはない。

 見た目だけ言えばかなりお金持ちのステータス。でも、多くの人は他人に興味を持つ事は少ない。

 本当に大切な相手にしか、自分の時間を率先して割こうとは思わないだろう。


 僕が今、一番時間を割きたい人は集合時間二十分前なのに既に駅前のベンチに腰掛けていた。

 車で来た僕よりも、ずっと早くに家を出たんだろう。

 理由は聞いてないけど、でもなんだか嬉しい。


「こんにちは、千野先輩」

「涼太くん、なんか早いな。ってウチが言える事やあらへんけどね」


 何処と無く赤面している千野先輩の雰囲気はなんだかいつもと違かった。

 他の日に増して一層綺麗……あぁ、化粧か。

 赤面しているのかと思ったのも、普段塗っていないチークを薄く使っているせいだろう。

 綺麗ですね、とそのまま伝えたいけど、何故かいつものようには口が開かない。

 

「早く来すぎたと思ったんですけどね。でも、先輩がいてくれてよかったです」


 すると先輩が僕の額に手をそっと当てて、何故だか心配そうな顔をした。


「熱はないな。でも大丈夫か? なんか顔赤いで?」

「い、いえいえいえ。大丈夫ですよ。それより、早く行きましょう! 色々調べてきたので、多分楽しんでいただけると思います」

「ホンマ? ありがとな。でも、涼太くんも楽しまなあかんよ」


 今の状態じゃ、何を言われても顔が赤くなってしまう。

 照れている顔を隠しながら、駅のホームへと歩き始めると、それに合わせて先輩も進んでくれた。

 こういう小さな一つ一つの出来事が、僕に幸福を与えてくれる。


 電車は比較的空いていて、約三十分間揺られて、片瀬江ノ島駅に到着した。


 横浜と天気は変わらないはずなのに、開けた視界が空の太陽をより大きく見せる。

 そして先輩は、駅のホームを出たところから見える江ノ島本島に大興奮だった。


「すごいな、涼太くん! なんか違う国みたいや!」


 大勢の注目を集めながら、先輩は駅前を駆け回った。

 届きそうにないその笑顔に、僕はただゆっくり歩み寄るだけ。

 そして先輩は僕に向かって走ってきて、いつものように僕の手を引いて進み始めた。


「はよ行こや。最初はどこに連れて行ってくれるん?」

「え、えーと。取り敢えずあの島を目指しましょうか。色々あるみたいなので……」


 と言い終える前に、先輩は走り始めた。

 どちらかと言うと連れられているのは僕の方だけど、そんな無粋なことは死んでも口にできない。

 代わりに僕は先輩の手を強く握り、決死の想いで歩調を合わせた。


 過ぎ去っていく波の音。

 本島へと繋がる大橋を目前に、先輩は走るのをやめた。

 

「あ、暑いな。こりゃ走ったらあかんわ」

「確かに暑いですね。でも潮風が当たって歩いていれば丁度いい感じはしますよ」

「なんか走っとったウチがアホみたいな言い方やな?」

「え、そんなつもりは……」

「っぷ。冗談や冗談。毎度毎度涼太くんはよく引っかかるな」


 馴染みのある調子でからかわれると、不思議と緊張感も薄れていく。

 先輩といると、やっぱりなんだか落ち着くな。


「ダメダメですいません。でも、なんだか楽しいです」

「なんやそれ。涼太くんには永遠のヘタレになる才能があるんかもな」


 と笑いながら言った先輩に軽く仕返しするために、僕は歩行スピードをあげて、先輩を引っ張った。


「ヘタレに引っ張られてるんじゃ、先輩もダメダメかもしれませんね?」

「……全く、涼太くんは。ウチに勝てる思うたら大間違いやで!」


 案の定、僕は先輩に引っ張られ始めた。

 橋を渡りきる間、先輩は足を止めることはなかった。

 たまに僕の顔色を伺うために振り向いてくれる時のなんとも言えない美しさの表情。

 これが僕の現実であっていいのだろうか。ふとそんな事を考えてしまう。

 繋いだ手の力が自然に強まってしまうのはそのせいだろう。

 

 江ノ島本島の入り口部分にある、坂に連なったお店に気を取られている先輩が少しだけ羨ましい。

 いや、もしかしたら先輩も同じ気持ちなのかもな。僕が綱渡りしているなら、先輩も同じなはず。

 百パーセントの自信は、絶対的強者の千野先輩にも持てない事は、あの大会の一件で分かりきっている事だ。


「なぁ涼太くん、このタコせんべいっちゅうのは美味いんか?」

「はい、でももう少し上の方にいいお店があるみたいですよ」

「ホンマか! じゃあ行こ!」


 坂道に階段。エスカレーターもあったけど、僕らは普通に歩いて島の頂上まで登った。

 木でできたウッドデッキに、タコせんべいなどが販売されているお店があるだけの静かな風景。

 先輩はそれを見つけるとすぐさま買いに走り、僕は飲み物だけ買って日陰で座って待っていた。

 そんな僕の視界の端でフレームアウトしている高い塔。

 駅からも見えていた、江ノ島のシンボルとも言われる展望台。


 告白するならああ言う場所がいいのかな。とも思ったけど、出来れば夕方あたりに実行したい。

 展望台は案外早く閉まってしまうらしいし、まぁしょうがない。


「お待たせな。これ美味いよ。涼太くんも食べんか?」

「いいんですか? じゃあ少しだけいただきますね」


 大きく歪な円盤状のタコせんべいのカケラを手で割ってもらった。


 分け合い、か。


 先輩は僕に色々なモノをくれた気がするな。

 立ち直る機会も。仲間の大切さを再認識する機会も。そして何より今僕が抱いている幸福感も。

 本当に感謝してもしきれない。


 もらったカケラを大切に噛み締めながら、隣に座って大きなカケラを食べている先輩の横顔をしっかりと心に刻んだ。

 この美しい太陽がいなかったら、僕は今頃この世にいなかったかもしれない。

 その気持ちを一生忘れないためにも、より深く刻み込んだ。


「先輩、食べ終わったらあの展望台に登ってみませんか? 景色が綺麗らしいですよ?」

「お、ええな。じゃあ急いで食べるな」


 時間はまだお昼前。

 先輩は全然焦る必要なんてないけど、僕はそれを言おうとは思わなかった。

 

 時間は有限で、楽しいひと時は風のごとく過ぎ去っていく。

 なるべく色々な所を二人で周りたい。そう、わがままながらも思ってしまう。 

 

 先輩はそのあと数分もしないうちに食べ終え、僕らは展望台のエレベーター乗り場へと移動した。

 さっきまでは普通に手を繋げていたのに、キッカケがないと中々難しい。 

 そんなもどかしさの中、僕は先輩の後に続いてエレベーターに乗り込んだ。


 

 展望台からの景色は、ネットで調べて見たモノよりも数段壮大だった。

 ある角度からは海が見え、他の角度からは江ノ島本島が。

 視点を変えるだけで、全てが違って見えてくる。

 そんな不思議な光景に、僕は少しぼーっとしてしまった。

 

 心の隅に居座っている違和感が、異様に騒ぎ出してくる。

 無関係の何かが頭の中で結びついたような、気持ちの悪い感覚。

 

 そして僕の隣で景色を眺めている千野先輩が、感慨深そうに口を開いた。


「なぁ涼太くん、高い所ってええな。なんだか一番になれたような気がするんよ。ずっとずっと一番になれるんやったら、きっとみんな不安にはならんのやろね」

「そ、そうなんですかね? 僕は一番になったことがないのでなんとも言えませんけど……」

「っぷ。そんな悲しいこと言わんといて。涼太くんも、きっと今も何かしらで一番になれとると思うよ?」

「例えばどんなことですか?」

「うーん、世界一のヘタレ、とかはどうや?」

「それってつまり何もないってことじゃ……」


 嫌な感覚のせいで少しだけネガティブ思考になってしまった僕の冷たい手を、先輩が優しく包み込んでくれた。


「あるんよ。ウチが保証する。涼太くんは、ちゃーんと何かで一番になっとるんやから」


 何かってなんですか。と聞きたくなってしまうけど、先輩の優しい笑顔にそんな暗い気持ちは打ち消された。


 今はまた誤魔化す時、か。

 違和感なんて色んな事で感じる訳だし、それよりも先輩との時間を大切にしないといけない。

 何より、告白するのにこんな気持ちじゃきっとダメだから。

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