第八話(エピローグ)

「これでよし」

 ダベンポートは手帳の上で計算と試作を終えると、ポケットの中からチョークを取り出した。

 慎重に、ゆっくりと魔法陣の外側にもう一つ魔法陣を描き始める。

「遠隔で解呪とはね。戦場みたいだな」

 茫然自失したクレール男爵とコンラッド執事が、魂の抜けたような表情でダベンポートの姿を見つめる。

「拘束するか?」

 グラムはダベンポートに訊ねた。

「いや」──とダベンポートは首を振る──「確かに重要参考人ではあるが、今さら逃げるとも思えない。そっとしておこう」


 やがて魔法陣を描き終えるとダベンポートはドアの方に一歩下がった。

「まあ、遠隔で解呪ってのはそんなに難しい呪文じゃない。ちょっと計算が面倒なだけでね。どこの戦場でも昔はやっていた事だ」

 とグラムに話しかける。

「ただ、今回は強化された重力制御呪文が相手だ。解呪した時、何が起こるか判らない。だから気だけは確かに持っていてくれよ」

「それはどういう意味だ?」

 グラムが少し怯えたようにダベンポートに訊ねる。

「本当に僕にも何が起こるのか見当がつかないんだ」

 ダベンポートは申し訳なさそうにグラムに言った。

「これだけ強力な重力場を発生させて、それを反転させたって前例はたぶんないからね」

「おいおい、大丈夫かよ」

「大丈夫」

 ダベンポートはニヤリと笑った。

「最悪、全員死ぬだけだ」

…………


 ダベンポートはチョークをしまうと、早速呪文の起動を始めた。

 まずは各呪文共通の起動式を詠唱。

「────」

 次いで、遠隔解呪呪文の固有式を詠唱。


 術者:ダベンポート

 対象:重力制御呪文魔法陣

 エレメント:石炭


「────」

 唱えるにつれ重力制御魔法陣のルーンが青く輝きだす。

 ヴォン……、ヴォン……、ヴォン……、

 同時に低周波のハム音が周期的に室内を満たす。

「……グラム、来るぞ」

 ダベンポートがグラムに警告したのとほどんど同時に、突然黒い球体が爆発した。

 周囲に白く眩い光が充満する。

 ほとんど同時に猛烈な爆発音。

「最初に光、次に空気……」

 ダベンポートは腕をかざして眩い光を避けながら呟いた。

先入先出キューイング、重力場はお行儀がいいな」

 次いで大量の紙片が光り輝く球体から吐き出された。すぐに書籍の山が後を追う。

「吸い込まれた物質の姿は変わらないのか。ならば、最後は……」

「……ぁら、あら、あら、あら、あら……」

 と、光球の中から茶色い作業服を着た一人の女性が現れた。

 その場でくるくると周り、魔法陣の上に尻餅を突く。

「奥様!」

 背後で執事が驚いたように声を張り上げる。

「あらコンラッド、私どうしたのかしら?」

 女性を吐き出したのと同時に光球は光を失った。

「よくぞご無事で……」


 シュンッ……


 小さな音を立てて重力場の光球が消滅する。

 同時に重力制御呪文の魔法陣も淡い光と共に消滅した。

「重力場が空になったんだ。なら、これで終わりだな」

 ダベンポートは外縁の魔法陣に近づくと、解呪の護符をかざして残りを解呪し始めた。

…………


 騎士団に片付けを命じ、夫人を連れて隠し部屋から退出したのち、ダベンポートとグラムは事件の関係者をクレール邸の応接間に集めていた。

 クレール男爵バロン・クレールクレール男爵夫人バロネス・クレール、コンラッド執事とメイド長のミセス・クラレンツァ。

 全員が俯いてソファに座っている。


「さて、どうしてこうなったのかお話していただけますか、奥様」

 ダベンポートはクレール夫人に不機嫌そうな目を向けた。

「どうしてって……私、何を失敗しちゃったのかわからないんです」

「失敗したも何も、奥様は何がしたかったんです?」

「それは、新しい掃除道具の発明ですわ」

 クレール夫人は目を輝かせた。

「お掃除はメイド達にとっては大変な重労働なんですの。それを少しでも」

「軽減したいと、そうおっしゃる。危険な重力制御呪文を使ってですか? 奥様、あなたは王国中のメイドを吸い込むおつもりですか?」

「い、いえ……」

「奥様、あなたは重力の井戸の底に一週間以上も閉じ込められていたんですよ? 身体が裏返らなくて本当に良かった。うっかりしたらバラバラの肉片になってしまうところだ」

「はい……」

 再びクレール夫人は小さくなった。

「さてコンラッド執事、ミセス・クラレンツァ」

 ダベンポートは続けて上級使用人の二人を問いただした。

「どちらが警察に通報したんですか?」

「それは、私です」

 執事のコンラッドが手をあげた。

「それがなんでこうなりますか? なぜ、警察に通報しておきながら夫人の行方を隠すことになさったんです?」

「それは、旦那様が……」

「私が指示したのです」

 クレール男爵は口を開いた。

「妻の実験室の中を見たとき、とんでもないことになった事はすぐに判りました。これを魔法院に知られたらきっと妻は処罰されてしまう。そう思ったから、もう通報してしまったとコンラッドが止めるにも拘らず隠すことに決めたのです」

「しかしですな、男爵」

 横からグラムが口を挟む。

「そうやって放って置いたらいつまで経っても奥様はあの黒い穴ブラックホールの中だ」

「それはそうなんですが」

 男爵は大汗を掻きながら後ろ頭に手をやった。

「いずれなんとかなると、そう思ったのです」

「大らかですね」

 皮肉っぽく、ダベンポートは言った。

「結局、この屋敷全体がだった訳だ。全員で口裏を合わせて夫人が行方不明になったことにしたんですね」

「あの子達に罪は無いんです」

 ミセス・クラレンツァは弱々しく反駁した。

家女中ハウスメイドたちは本当に何も知らなかったんです。私が話さなかったから。小間使いレディースメイド客間女中パーラーメイド、キッチンのメイド達も同じです。あの子達は何も知らずに、ただ健気に働いていただけなんです」

「……まあ、いいでしょう」

 ダベンポートはため息を吐いた。

「そもそも、隠す必要などなかったんですよ。これは事故だ、魔法の実験中の。魔法の行使は残念ながら免許制ではない。罪を犯せば処罰されるが、事件性がなければ処罰はできません。まったく、もっと早くに魔法院に連絡して下されば簡単に解決できたのに……」

「正直、俺は魔法なんて免許制どころか国家レベルの規制事項にして欲しいけどな」

 グラムもやれやれと肩を竦める。

「報告書は作成させて頂きますよ、クレール男爵。それから、騎士団が隠し部屋の入り口を破壊した事は口外しないで頂けると助かります。こちらはこちらで良きに計らいますから」

…………


「ところで、」

 帰り際、ダベンポートは見送りに来たクレール男爵夫人に話しかけた。

「はい?」

 高級そうなドレスに着替えたクレール夫人が不思議そうにダベンポートを見上げる。

「奥様、あの魔法陣には感服しました」

 とダベンポートは言った。

「さすがは発明家だ。重力制御呪文の安定性を高めるために魔法陣強化呪文なんてカビの生えた呪文を持ち出してくるとは思いませんでしたよ」

 そう言いながらにこりと笑う。

「どうですか、ここは一つ魔法学校に入り直してみては? 推薦状なら私が書きましょう。奥様ならきっといい研究者になれますよ」


──魔法で人は殺せない8:発明家失踪事件 完──

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない8 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ