第三話

 クレール家のメイド長ヘッド・ハウスメイドは常に穏やかな笑みを浮かべるやや年配の女性だった。綺麗にブラシの通った栗色の髪の毛を後ろでまとめ、首からは銀の鎖でルーペを下げている。

 彼女はメイド長としては珍しくエプロンドレスを身につけていた。

「ほら、何かと汚れますでしょう? この方が安心ですの」

 ほほほ、とミセス・クラレンツァは朗らかに笑った。

 ミセスとは言っても、クラレンツァ婦長は独身だ。ただ、周囲からミセスと呼ばれているということは彼女がそれだけ尊敬されているという事なのだろうとダベンポートは推測する。

「婦長さん、そちらのメイドさんたちからお話を伺いたいのです」

 向かい合わせに座った応接間でダベンポートはクラレンツァ婦長に切り出した。

「クレール夫人が行方不明になって今日でもう四日目です。殺されたにせよ蒸発したにせよ、何らかの手がかりが欲しい」

「まっ。亡くなったなんてそんな縁起でもない」

 目を大きく見開いてクラレンツァ婦長が口元を右手で押さえる。

「まあ、殺されたというのは極論としてもですね、俺たちとしても何かしないわけにはいかないんですよ。他のメイド達からは後ほど話を聞くとして、まずは婦長さん、あなたからお話を伺いたい」

 とグラムは言葉を継いだ。

「でも、蒸発と申されましても私には特段の理由が思い当たりません。前の日まで旦那様ともそれは仲良くなさっておられたんですよ」

 クラレンツァ婦長は困ったように言った。

「では夫人が殺されたという可能性は?」

 これはダベンポートだ。

「まさか。奥様に恨みを抱くものなど、いるはずがありません。あれほどお優しいご婦人を私は見た事がありません。確かに奥様は若干自由ではありますが……」

 クラレンツァ婦長は目を伏せると少し考え込んだ。

「そう、まだ出奔しゅっぽんの方が頷けますわ。旦那様は奥様の事をそれは大切にしておられます。どんな事でもお許しになる。殺すなんてあり得ません」

「では邸内にいる方からはどなたからも好かれておられた訳ですね」

「それはもう」

 クラレンツァ婦長は頷いた。

「しかし、解せないのはこの屋敷におられる皆さんの態度です」

 少し考えたのち、ダベンポートはクラレンツォ婦長の鳶色の目を覗き込んだ。

「クレール夫人が皆さんから好かれていたという事は良く判りました。ところがその夫人が既に四日間も行方不明になっているのに誰も慌てる様子がない。探すわけでもなし、悲しむわけでもなし、どうにも泰然としておられる。僕にはこれが不思議でならない」

 ダベンポートは一旦言葉を切った。

「そう、まるで全員で隠し事をしているかのようだ」

「大らかなのはクレール家の家風でしてよ」

 クラレンツァ婦長は言った。

「何事も慌てず騒がず、狼狽えず。それがクレール家の家訓です。何より、旦那様も、執事のコンラッドも、それに私自身も奥様を信じています。今までも発明のために家を空ける事がありました。今回もそうだと思っています」

「ふむ」

 ダベンポートは腕を組んだ。

「四日間も、ですか?」

「いえ」

 クラレンツァ婦長は目を伏せた。

「今回は確かに長うございます。いつもなら翌朝にはお帰りになっていましたから」

「婦長さん」

 ダベンポートはクラレンツァ婦長を見つめた。 

「そのあたりも含めて、一度メイドの皆さんからお話を伺いたいのです。お願いできますか?」


 クラレンツァ婦長によれば、三十一人の使用人のうち、クレール夫人と接触のあった使用人は限られるとの事だった。

 別段、これは珍しい事ではない。大きな貴族の屋敷の場合、当主に一度も会わないまま退職していく使用人すらいるのだ。これはおそらくクレール家においても変わりはないだろう。

「……では、夫人と接触があったのは婦長さんを除けばコンラッド執事、二人の小間使いレディースメイド、それに四人の客間女中パーラーメイドに限られるという訳ですね」

 ダベンポートはクラレンツァ婦長に確認した。

「はい」

 クラレンツァ婦長が頷く。

「奥様は食べ物に関しては大変大らかでございます。あまりご興味がないというか、味に頓着しないというか……。そういう訳で奥様はキッチンにもあまりお近づきになりません。それよりはご自分の研究室に篭っておられる事の方が多くて……」

「なるほど」

 ダベンポートは頷いた。

「それに家女中ハウスメイド洗濯女中ランドリーメイドはそもそも奥様とお話しする機会がございません。住んでいる場所も違いますし、家女中ハウスメイドは奥様の寝室には入れません。それは小間使いレディースメイドの役目ですので」

 その後クラレンツァ婦長が連れてきたメイド達に話を聞いたが聞き取りは不調だった。誰も心当たりがないし、不審な物音などを聞いた覚えもないという。

「物音という意味では他のメイド達が何かを聞いた可能性はないですか? 例えば悲鳴とか」

「少なくとも私は存じ上げておりません」

 クラレンツォ婦長は首を横に振った。

「もしメイド達が騒ぐような事があれば、執事や私の耳には必ず入るはずでございます。しかし今日までそのような様子はありませんでした。おそらく何もなかったかと」

 この屋敷は大貴族の屋敷にならって周りを堀に囲まれていた。従って、夜に誰かが外から侵入することも、また、中から外に逃げ出すこともほぼ不可能だ。


「参ったな」

 最後のメイドがクラレンツァ婦長に付き添われて応接間を去った後、グラムは首の後ろに手をやって宙を仰いだ。そのまま両手で短いトウモロコシ色の髪の毛を掻きむしる。

「手がかりなしか」

「そうだな」

 ダベンポートも暗い表情で頷いた。

「グラム、僕たちはおそらく大変な問題を抱えたぞ」

「ん?」

 グラムが顔を上げる。

「使用人達からなんの手がかりも得られないという事はだ、僕たちが手がかりを探して這いまわらなければならないという事だよ」

「よしてくれよ」

 思わずグラムは眉をひそめた。

「この屋敷はでかすぎる。二人で捜索してたら何ヶ月かかるか知れたもんじゃないぞ」

「いや、もっと悪いお知らせもあるぜ?」

 ダベンポートは上目づかいにグラムの顔を見つめながら暗い笑みを浮かべた。

「もしこの屋敷の中で何も見つけられなかったとしてみろよ。次は外だ。クレール男爵の所領は広い。これを二人で捜索するのは藁の中で針を探すよりも厄介だぞ。強制労働に等しい」

「ダベンポート、なんで君は最悪の最悪を考えるんだ?」

 グラムが呆れてダベンポートに言う。

 だが、ダベンポートはどうやら冗談を言っている訳ではなさそうだった。

「今はまだいい。新聞記者が来ていないからな。しかし、いずれは新聞記者が来るぞ。それこそ最悪だ」

 ダベンポートの瞳が昏く光る。

 すぐに、グラムはダベンポートの言っている事の真の意味に気がついて背筋が寒くなった。

 俺たちは騎士団の肝入りでここに来ている。手ぶらでは帰れない。

 ましてや新聞の記事になる訳には行かない。

「…………」

 ダベンポートは顔を上げた。

「グラム、僕は君のところを煩わせてる別件が何なのかは知らんが、これはもう降参した方がいい」

 捕虜が投降するように両手を上げて言葉を続ける。

「ここは一つ、連隊長に相談するなり何なりして君のところの頼れる部下君達を呼び寄せようじゃないか」

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