第二話

 クレール男爵家の屋敷は広大だった。部屋数は五十を下るまい。もはや屋敷というよりは荘園と言った方が良い規模だ。

(いわゆる成金屋敷という奴だな)

 執事に屋敷の中を案内されながらダベンポートは思った。

(貴族の中にはバルムンク伯爵やフラガラッハ子爵のように慎ましく暮らしている人々もいるというのに、この男爵は贅沢すぎる……)

 貴族の収入は主に事業と税金だ。位が高くなればなるほど領民からの税金の比率が上がり、逆に位の低い貴族は領民からの税金を期待できないため事業の比率が高くなる。

 クレール男爵の場合、邸宅が郊外にあることもあって領民からの税収はあまり期待できそうにもなかった。クレール男爵の所領ではおそらく住んでいる領民よりも牛や羊の数の方が多いだろう。

 その代わり、クレール男爵には夫人の発明による収入という大きな事業があった。正直言ってただ単に夫人に恵まれただけなのだが、その夫人が好きな発明に熱中できる環境を維持しているという点では男爵の献身も評価されて然るべきなのかも知れない。

…………


 一階には来客を必要以上に威圧するための全ての要素が集められていた。広大な玄関ホール、巨大な階段、そして大パーティが開けそうな舞踏室ボールルームとダイニングルーム。廊下はギャラリーになっており、片隅には独立したシガールームとビリヤードルームまである。

 屋敷にはエレベーターも伝声管もなかったが、その事実が逆に多数の使用人が詰めていることを示していた。

 バルムンク伯爵邸の場合は十人程度の侍女が屋敷全部の面倒を見なければならなかったため、連絡用の伝声管が備えられている。フラガラッハ子爵邸は作りこそエキゾチックなものの、そもそも規模が小さい。それに比べるとクレール男爵の邸宅はまさに貴族のカントリーハウスのお手本のような屋敷だった。

「……こちらが奥様のパウダールームになります」

 執事が先に立ってダベンポートとグラムを案内する。

 今三人がいるのは二階のプライベートスペースだ。中間の部屋は小部屋に別れ、男爵の寝室と夫人の寝室、それにそれぞれの個室が両ウイングの端に置かれている。

「……こちらが奥様の書斎……」

「……こちらは奥様の読書室……」

「……こちらが奥様の仕事部屋……」

「……こちらが奥様の研究室……」


 しかし広い。

 そろそろダベンポートはうんざりし始めていた。

 どうやらグラムもそれは同じらしく、時折あくびを嚙み殺したり、窓の外に目をやったりしている。

 一階は大広間が多かったので部屋数は少なく、さほど大変ではなかった。

 だが二階は小部屋が多いため何しろ部屋数が多い。しかも律儀に執事が一つずつちゃんとドアを開けてくれるため、見て回るにはどうしても時間がかかる。

「執事さん、今どのあたりなんだい?」

 いつまで経っても終わらないお屋敷ツアーに堪えかねたのか、グラムは執事に質問した。

「今、半分ぐらいでございます、グラム様」

 丁寧な物腰で執事がグラムに答える。

「この上に三階がございます。おそらく今日中には回り終えるかと……」

…………


 ようやく三階から一階の玄関ホールに戻ってきたとき、外はすっかり暗くなっていた。

「しかし広いですなあ」

 半分うんざりとした表情でグラムが執事に言う。

「さて、それでは調べようとするか」

 ダベンポートは手帳を開いた。

 中には今まで回った屋敷の見取り図が丁寧に描かれている。

 まだ、序の口だ。

 誘拐が夫人の失踪原因ではなさそうだということはダベンポートもすでに察していた。誘拐であれば、直後に何か要求があって然るべきだ。

 子供の誘拐ならただ売り払うという可能性もなくはなかったが、大人のクレール男爵夫人の場合、身代金目的以外の誘拐は考えにくい。

 だとしたら残る可能性は夫人が自ら姿を隠した蒸発か、あるいは殺人以外には考えられない。

「さてダベンポート、どこから手を付ける? 俺としては早く終わらせてとっとと隊に帰りたい」

 グラムはダベンポートに話しかけた。

「まあ、順当に行けばまずは聞き取りからだろうな」

 聞き取りか。一体この屋敷には何人の使用人がいるのだろう?

 全員から話を聞くのは相当に大変そうだ。

「グラム、ここの使用人はかなり人数が多そうだ。君の親愛なる部下君たちを呼び寄せることはできないのかい?」

「無理だな」

 とグラムは即答した。

「今、うちの隊は別件で忙しいんだよ。そこに圧力がかかったものだから、とりあえずそちらは小隊長たちに任せて俺が来たんだ」

 それに、とグラムが肩を竦めた。

「なぜだかは判らないが、どうやらここのメイドはみんな美人だ。こんなところに奴らを連れてきたら何が起こるか判らない。俺は嫌だぜ、騎士団と貴族のメイドのスキャンダル」

 そんなの、君が引き締めればいいだけじゃないか。

 だが、それは言葉には出さずダベンポートは

「じゃあ、二人でやるのかい?」

 とグラムに訊ねた。

「仕方がないだろう。警察もアテにならないしなあ」

「やれやれ」

 思わずため息が漏れる。

 と、その時。

「今日は遅くなってしまいましたな」

 と懐中時計を見ながら執事がのんびりと口を開いた。

「?」

「お二人をこれ以上お引き留めするのは心苦しゅうございます。今日はこれまでにして続きは明日にでも……」

「おいおい、執事さん」

 驚いてグラムが執事に反駁する。

「そんな悠長なことでいいのかい?」

「仕方がありません」

 と執事は首を縦に振った。

「夜はゆっくりと過ごす。これが当家の決まり事です。今日のところはお引き取りを」

…………


「全く、悠長にも程がある。お引き取りをだってよ。信じられない呑気さだ」

 ダベンポートと二人で馬車に揺られながら、グラムは文句を言った。

「仮にも夫人が行方不明なんだぜ? それで夜はゆっくり過ごすってどういう神経だ?」

「…………」

 ダベンポートは無言のままだ。だが目が険しい。何か他の事を考えている。

 確かに解せない。

 普通だったらもっと必死になってもいいはずだ。例えばバルムンク伯爵邸の時は屋敷に缶詰にされてしまった。フラガラッハ邸の時は被害者が女家庭教師ガヴァネスだったためにそこまででもなかったが、それでももう少し切迫感があった気がする。

 なぜ、クレール男爵はこんなに悠長なんだろう?

 ひょっとしてクレール男爵が何か鍵を握っているんだろうか?

 しかし、クレール男爵には動機がない……。

「あるいは、執事か」

 つい考えが口を伝う。

「執事が時間稼ぎをしていると思えば一応辻褄はあうな……」

 しかし、これも理由がわからない。

 あの執事は相当な高齢だ。男爵の様子を見る限り、子供の頃から執事を知っていると見える。ということはあの執事はおそらく男爵の父上にも仕えていたのだろう。その執事が今更事を荒立てるとはとても思えない。

「グラム」

 ダベンポートはグラムに話しかけた。

「クレール男爵のところの使用人は何人くらいいるんだい?」

「待ってくれ」──と、内ポケットから書類を取り出す──「こっちに事件を回す時に、オマケで警察が調書をつけてくれたんだ。確かそれに人数が書いてあった」

 凄いぞ、と前置きするとグラムは使用人を列挙した。


 執事バトラー 1

 メイド長ヘッド・ハウスメイド 1

 料理人シェフ 2

 従僕フットマン 1

 小間使いレディースメイド 2

 客間女中パーラーメイド 4

 家女中ハウスメイド 6

 台所女中キッチンメイド 3

 洗い物女中スカラリーメイド 3

 洗濯女中ランドリーメイド 4

 蒸留室女中スティルルームメイド 2

 園丁長チーフガーデナー 1

 御者コーチマン 1

 副御者アンダー・コーチマン 2


「……総勢三十三人か」

 ダベンポートが思わず唸る。

「流石に三十三人の聞き取りは骨が折れるな」

「この他に臨時雇いや出入り業者もいるらしいぞ……とりあえずメイドからでいいんじゃないか?」

 とグラムは言った。

「いなくなったとしたら夜の事だろう? 外にいる連中は対象外にして良さそうだ。まずは屋敷の中から聞いてみようや」

「そうだな」

 ダベンポートは頷いた。

「しかし、夫妻に子供がいなくてよかったよ。これで乳母ナニーやら子守女中ナースメイドやら女家庭教師ガヴァネスまでいたらえらい事だ」

「全くだ。男爵バロンってのは下級貴族なんだろう? 下級貴族の方が贅沢してるってのはなんか皮肉だよな」

 グラムが片頬を歪ませる。

「まずは明日だ」

 ダベンポートは背中をシートにもたせかけると足を組んだ。

「明日とりあえず婦長さんに会ってみて、今後の事を考えよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る