福島から宮城へ

 11日の夜から12日の未明にかけて、先輩の家で聴いたラジオの内容は、まるで映画の中の話のようだった。

 時折嗚咽おえつを混じらせてアナウンサーが犠牲者の名前を読み上げている。

 ずっと。本当にずっと。

 こんなにもたくさんの人が犠牲になったのだと言う事実を、ぼくは現実感を感じることなく聞いていた。


 翌朝、浅い眠りから覚めると、職場からの電話がなった。

 家族との通話はつながらないのに、企業や官公庁の電話はつながるらしい。

 地震の影響で、ぼくらの詰めていたビルのサーバ室には入れなくなったので、同市内にある災害対策室のバックアップサーバへ、データを移行してほしいとの依頼だった。

 正直、家族との連絡も取れないまま、そんな仕事をしている場合ではないとは思ったけど、それでも、どうせ交通機関は動いていないし、生きていくためには仕事もしなければならないので、現地へと向かうことになった。


 災害対策室のあるビルも、地震の影響は受けていた。

 ビルとビルとをつなぐ渡り廊下には30センチほどのズレが出来ていて、そこはみんな急ぎ足で歩いた。

 数ヶ月か数年か、まったくアップデートされていないサーバを現行サーバと同じレベルまで持っていく作業には、かなりの時間がかかった。

 終わったのは深夜1時過ぎ。

 先輩には何日でも泊まって行けと言われてはいたけど、ぼくはもう居ても立ってもいられなくなっていた。

 先輩の自転車を借りて、宮城まで夜通し走ろうかとも本気で思った。

 ビルから外に出て、偶然眼の前を走っていたタクシーを止める。

 空いたドアから身を乗り出し、ダメ元で「これから仙台まで行ってもらえませんか?」とお願いすると、運転手さんは一瞬ためらったものの、すぐに「いいよ」と言ってくれた。


「ただし、行けるとこまでだよ」


「それでもいいです。お願いします」


 まさか色よい返事が帰ってくるとは思っていなかった。

 先輩にと運転手さんに何度もお礼を言って、車に乗り込む。

 普段は絶対に世間話なんか出来ないぼくだけど、その日はラジオ放送を聞きながら、家族のことや地震のことをとりとめもなく話した。

 昨日からほとんど眠っていない。

 車に乗ったら眠くなるかなと思ったけど、その日は一睡もできなかった。


 車が宮城県に入ると、暗闇の中、ガソリンスタンドに長蛇の列が出来ている光景を何度も見た。

 仙台市内に入ると、ビルには明かりが灯っているところもいくつかあった。

 知っている風景。人の明かり。

 ものすごくホッとしたのを覚えている。

 やがて自宅の最寄駅でタクシーは止まった。

 料金は2万円台だったと思う。お金は心細かったが、カードが使えて助かった。

 また何度も何度もお礼を言ってタクシーを見送る。

 駐輪場から自転車を引き出し、我が家へと向かった。


 駅を出て、明かりのまったく無い住宅街を自転車で急ぐ。

 突然目の前の道が消えた。

 本当に唐突に、T字路が無くなっている。

 思いっきりブレーキを握りしめ、なんとか止まる。

 眼の前の通い慣れた道路には、見たことのない穴が空いていた。

 直径3~4メートル、深さ2メートルほどのクレーターのような穴だった。

 あまりのことに鳥肌が立った。


 それからは普段の倍以上の時間をかけて家へと向かう。

 家の近くの橋は、途中に20センチほどの段差が2ヶ所出来ていた。


 やっと家につく。

 家の外観は、いつもと全く変わらなかった。ただ、車が止まっていない。

 たぶん、妻の実家に行っているのだろうと思い、とにかく家へ入った。


 入ってすぐ、リビングへ続くドアの前には本棚が倒れていて、ドアを塞いでいた。

 キッチンを見ると、冷蔵庫が傾いていて、なめこの味噌汁と生卵が床をぐしゃぐしゃにしている。

 とりあえず冷蔵庫の傾きを直し、ドアを締めた。

 トイレの前にも本棚が倒れているが、無視して寝室へ。

 ベッドは無事だったので、とにかくスウェットに着替えて布団に入った。


 たぶんすぐ眠ったのだと思う。

 でも、目が覚めたのはわずか1~2時間後だった。

 眠いはずなのに眠れない。疲れているはずなのに休めない。

 このころには携帯のバッテリーも無くなっていた。停電していて充電もできない。

 仕方なく着替えて、とりあえずリビングの前の本棚を片付け始めた。


 するとすぐに、家の前に車の停まる音がする。

 ドアの開く音。


「パパの自転車がある!」


 娘の声。

 積み上げていた本を蹴倒すのも構わず、玄関に駆け寄って鍵を開けた。


「パパ!」


 娘を抱きしめる。

 思わず「ありがとう!」と言って涙が流れた。

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