被災生活

 家族と合流はできた。

 ただ、ぼくの実家とはやはり連絡がつかなかった。

 とにかく無事であることを祈って生活するしかない。

 ぼくら家族は、比較的被害の少なかった妻の実家で、被災生活をおくることになった。


 とにかく毎日、水と食料と情報を求めてさまようだけの日々だったように記憶している。

 このとき意外にも役に立ったのは、手回し式の携帯充電器兼懐中電灯だった。

 ジャンク屋で冗談のつもりで買ったものだ。

 でも、これのおかげでツイッターの情報を見ることが出来たし、ワンセグでテレビを見ることも出来た。もちろん、つながりはしなかったけど電話も使える。

 一日に何度かアンテナが立つ時間帯があり、そのときにメールやツイッターのチェックをし、親の携帯へ電話をかけた。

 ワンセグのテレビ情報で、ぼくの実家の辺りにも津波が来たことがわかった。

 あの時間帯ならば、父親は仕事に出ていただろうから、母親が一人で家に居た可能性が高い。

 心配だったけど、どうしようもなかった。


 被災中の生活はだいたい次のようなものだ。


 朝は日の出と同時に目を覚ます。

 洗面器に溜めた少量の水でタオルを固く絞って、家族全員が顔を拭く。

 朝食は冷たいおにぎりとか、前日の残り。

 なるべく少しの水で歯を磨く。

 町内の伝達網や市の広報車からの情報で、その日の給水所を知る。

 ガソリンが手に入らないため、自転車やカートにポリタンクを載せて水を貰いに行く。このとき、人数によってもらえる水の量が変わったりするので、いつも数人で並んだ。

 この「水を確保する」というのが生活の最重要ポイントだったと思う。

 給水所までの距離にもよるけど、この作業が昼の時間の半分くらいを占めていた。

 あとは情報を集めて、たまに入荷する商品を求めて食糧を買いに行く。

 スーパーやコンビニなんかは全滅だったけど、本当に時々、数量限定で食糧を買うことが出来た。

 ぼくらは避難所みたいなところには行かなかったから、配給なんかもなかったし、定価だろうがなんだろうが、とにかく買えるものを買うしかなかった。


 子供が可愛そうで、お菓子なんかも買えるだけ買っていたから、食費はいつもの数倍かかった。でもまぁ、飢えることなく暮らせたのだから、ぼくらは恵まれていたんだろうと思う。


 そして夜になり、ろうそくやランタンの明かりで夕食。

 プロパンガスは使えたので、土鍋でご飯を炊き、缶詰やなんかで温かい食事をとった。

 洗面器にお湯を溜め、固く絞ったタオルで体を拭く。

 水が貴重品なので、数日に一回しか髪を洗えないのがキツかった。


 あとは、20時ころにはもう眠る。

 ぼくはあの日から深く眠ることができなくなっていたので、1~2時間おきに目を覚ましながら、朝までゴロゴロする。

 そんな毎日だった。


 そうそう、水が貴重といえば、トイレもまた困った。

 水が流せないのだ。

 家族で時間を合わせて、全員が用を足してから、タンクに貴重な水をためて一気に流す。これもまたストレスだった。

 でもまぁ家族だから我慢できた生活だったのだと思う。


 被災から一週間ほどしたころ、父親と連絡がついた。

 スイミングスクールの送迎をやっていた父は、仕事場で小学生たちや職員を全員避難させ、その後それぞれの家に送り届けた後、父親の実家に避難していたらしい。

 母親はと言えば、ちょうどその日、検査入院で内陸の方の病院に居たため、水も食事も暖房も、何も心配する必要はなかったようだ。

 ぼくの家族はみんな運が良かった。

 本当にそう思う。

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