第14話 デート当日

 デートの当日は、晴れだった。町の中は、多くの人で溢れていて。僕達が入った(前にネットで入った喫茶店だ)店でも、若い女性やカップルの客で溢れていた。僕は、一番奥の関に向かった。店の入り口からしばらく行った所にある、とても静かでオシャレなテーブル席に。その近くには、外の様子を眺められる窓ガラスが設けられていた。

 

 僕はテーブルの席に座ると、店のウェイトレスに「レモンティーを下さい」と言って、鞄の中からパソコンを取り出し、テーブルの上に「それ」を置いて、その画面をゆっくりと点けた。ピロリンと、鳴る画面の起動音。


 周りの客達は、その音に少し驚いた。

 

 僕はその反応を無視して、パソコンのワープロソフトに必要な文章を打ち込んだ。

 

 パチパチ(待たせてごめんね)。

 

 彼女は、その文章に(彼女も画面上にソフトを開いた)返事を書き込んだ。

 

 パチパチ(いいえ、ぜんぜん。着いたんですか?)

 

 パチパチ(うん、着いたよ。今、店のテーブル席に座っている)

 

 パチパチ(そうですか)。

 

 彼女は、僕の目を見つめた。

 

 パチパチ(あ、あの)。

 

 パチパチ(なに?)

 

 パチパチ(本当に良かったんですか? わたしを……)。

 

 僕は、彼女の質問にうなずいた。

 

 パチパチパチ(周りの目は、気にしない。と言うか、誰も僕達の事には気付いていないよ。テーブルの上でパソコンを叩いている僕が、まさか)

 

 パチパチ(「わたし」と話しているなんて?)。

 

 パチパチ(そう。だから、気にしなくて良いよ。今日のこれを考えたのは……その、僕なわけだし。それで嫌な事があった時は)

 

 パチパチ(嫌な事なんてありません! わたしは)

 

 パチパチ(理穂子さん?)。

 

 パチパチ(進くん)。

 

 彼女は、僕に微笑んだ。

 

 パチパチ(ありがとう)。

 

 僕は、その一言に胸を打たれた。

 

 パチパチ(うんう。僕の方こそ、ありがとう)。

 

 僕は、彼女の顔から視線を逸らした。画面の隅っこに映る(どうやら、大きさを自由に調節できるらしい)、とても小さくて可愛らしい笑顔から。僕は店のウェイトレスから注文品を受け取ると、「位置が微妙だな」と誤魔化しながら自分のパソコンを回して、理穂子さんが店の全体を見渡せるように動かした。

 ウェイトレスはその様子に驚いたが、やがて「クスクス」と(僕の文章を見て)笑い出した。


「小説ですか?」


「え?」


 僕は、ウェイトレスの顔に視線を移した。


「小説?」


「はい。その、画面の文字がたまたま見えてしまって」


 彼女は、僕に微笑んだ。


「何を書いているんです?」


 僕は、その質問にニヤリとした。「用意して置いた答え」を思い出して。僕は画面の文章に視線を戻すと、テーブルのレモンティーに手を伸ばした。


「冒険小説です。今度、小説の公募に出そうと思って」


「そうですか」


 ウェイトレスは「ニコッ」と笑って、テーブルの前から歩き出した。


「賞に入ると良いですね?」


「はい」


 僕は、パソコンの画面に視線を戻した。


 理穂子さんは、画面に文字を打った。


 パチパチ(進くん)。


 パチパチ(なに?)。


 パチパチ(バレなくて、良かったですね? わたし、とてもヒヤヒヤしました)。


 僕は、彼女の文章に苦笑した。


 パチパチ(僕の考えたこれ、「小説作戦」は上手く行きそうでしょう?)。


 僕は「ニコリ」と笑って、その内容を思い返した。小説作戦とは、僕が昨日の夜に考えた作戦だ。三次元の僕が、二次元の彼女と普通に話し合える……画期的(かどうかは、分からないけど)で魅力的な作戦。作戦の間はずっと……会話は画面の文字だけで、僕達は一切喋らない。相手の反応に笑う事はあっても、それ以外は何も答えてはいけないのだ。周りの人達から怪しまれないように。

 

 周りの人達は……例えば、彼女が僕に話しかけたりしたら当然、僕の方に視線を向けてくる。「あっちの方から声が聞こえた」と。そして、その原因が「二次元の少女(厳密には、そのボイス)」と知るや、訝しげな顔でじっと睨んで来るのだ。「ここは、お前のような奴が来る所ではない」と。

 

 周りの人達は(あくまで僕の印象だけど)、二次元に対する理解が薄い。それがどんなに芝らしい物であるのか、も。彼らは、その価値をほとんど分かっていないのだ。僕の近くに座るカップルが、友達の悪口で盛り上がっているように。「二次元」との会話は、文字通りの「死」に繋がってしまうのだ。

 

 僕は、その死をどうしても避けたかった。

 

 パチパチパチ(そうだね。でも、店の店員にはバレなかったし。今日の一日はたぶん、大丈夫だと思う)。

 

 パチパチ(はい!)

 

 僕は、テーブルのレモンティーを飲んだ。

 

 パチパチ(紅茶は、美味しいですか?)

 

 パチパチパチ(うん、とっても。趣味の良い店は、やっぱり違うね。ちょっとオシャレすぎる所はあるけど)。

 

 僕は、自分の感想に苦笑した。

 

 彼女は、手元にキーボードに目を落とした。「僕との会話をもっと楽しみたい」と言う風に。彼女は画面の文字に視線を戻すと、嬉しそうな顔で僕に「クスッ」と微笑んだ。僕も、彼女の笑みに笑い返した。

 

 僕は、画面の彼女と色んな話をした。クラスの女子達が急に大人しくなった事や(理由の方は分からないが)、六道君が富田こころとの生活に満足している事(過去の傷が少しだけ癒えたようだ)まで。とにかく、話せるだけの話を話し続けた。

 

 彼女は、その内容に笑みを浮かべた。

 

 パチパチ(良かったですね)。

 

 パチパチ(うん、本当に。彼の心が元気になったのは、僕も)。

 

 僕は、右の頬を掻いた。

 

 パチパチ(やっぱり、こころちゃんの歌は違うね)。

 

 パチパチ(はい!)。

 

 パチパチ(クラスの女子とは、ぜんぜん違う)。

 

 彼女の返事が少し遅くなった。

 

 パチパチ(クラスの女子と、カラオケに行った事があるんですか?)。

 

 その質問に少し動揺した。

 

 パチパチ(うんう、ぜんぜん。たまたま聞いただけだよ。友達といつものカラオケ屋に行った時にね)。

 

 パチパチ(そうですか)。

 

 パチパチ(うん)。

 

 彼女は、手元のキーボードに目を落とした。

 

 パチパチ(クラスの女子達ですけど、どうして急に大人しくなったんでしょうね? 進くんから聞いた話だと)。

 

 パチパチパチ(うん、僕の事をあんなに見下していた筈なのに。ここ数日は、遠くから眺めているだけで、暴言の一つも言ってこない)。

 

 僕は、女子達の変化に首を傾げた。

 

 パチパチ(どうしてだろう?)。

 

 パチパチ(それは)。

 

 彼女の返事がまた、遅くなった。

 

 パチパチ(たぶん、進くんが「変わったからだ」と思います)。

 

 パチパチ(僕が変わった?)。

 

 僕は、自分の前髪を弄くった。

 

 パチパチ(髪型を変えただけなのに? それと眉も)。

 

 パチパチ(見た目の印象は、人のそれに大きく影響しますから。それに態度も)。

 

 パチパチ(態度、も?)

 

 パチパチ(はい!)

 

 彼女の返事が早くなった。

 

 パチパチパチ(今の進くん……おそらくですが、以前よりもずっと「男らしくなったんだ」と思います。周りの女子達が戸惑ってしまう程に)。

 

 僕は、学校の様子を思い返した。

 

 パチパチパチ(ふーん。まあ、そんなのはどうでも良いか。クラスの女子達から驚かれようと、理穂子さんとだけ付き合えれば良いし)。

 

 彼女の返事が止まった。

 

 僕は、その現象に驚いた。

 

 パチパチ(理穂子さん?)。

 

 パチ、パチ(そ、それ)。

 

 パチパチ(それ?)。

 

 パチパチ(何でもありません!)。

 

 彼女の返事がまた、止まった。

 

 僕は、その現象に眉を上げた。何だかこう、理不尽な気がする。こっちはただ、思った事を言っているだけなのに。それを真っ向から否定されては。僕は呆けた顔で、画面の彼女に話し掛けた。


「理穂子さん?」


 彼女は、僕の声に応えなかった。


 パチパチ(作戦無視です)。

 

 パチパチ(あ、うん、ごめん)。

 

 僕は画面の彼女に謝り続けたが、昼食のパスタを注文した時はもちろん、それがテーブルに運ばれた時も、彼女の期限は文字通りに直らなかった。

 

 彼女は、パソコンの画面に文字を打ち込んだ。


 パチパチ(わたしも、お昼のパスタを食べます)。


 パチパチパチ(え? あ、うん。と言うか、今日のお昼はパスタなの? 給食じゃなくて?)。


 パチパチパチ(はい。今日のお昼は何故か、パスタです。それも、進くんが頼んだのと同じ)。


 パチパチ(そっか)。


 パチパチ(……はい)。


 僕は、右の頬を掻いた。


 パチパチ(あ、あの、理穂子さん)。


 パチパチ(はい?)。


 パチパチ(昼食の後なんだけど、「行きたい場所」があって)。


 パチパチ(はい! もちろん付き合います。今日は、わたし達のデートですから!)。


 パチパチパチ(ありがとう。それじゃ、一旦閉じるね。パスタを零すといけないから)。


 パチパチ(はい)。


 僕は鞄の中にパソコンを仕舞って、それから昼食のパスタを平らげた。


「ご馳走様でした」


 僕は注文分のお代を払い、店の外に出て、自分の行きたい場所に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る