関くんの甘い言葉

 檜山さんが引き当てた旅館は老舗だけれど、最近改装したばかりらしくとても綺麗だった。部屋は和室で二間ある。


「すごい、綺麗だし広いね!」

「うん」

「関くん見て見て!景色綺麗だね、あ、部屋に露天風呂がついてるよ、すごい!いつでも入り放題だね!うわぁ、可愛い浴衣!これ選べるのかなぁ、うわぁ、関くん、」

「七瀬さん、ちょっと落ち着いて」


 関くんの苦笑いに、ハッと我に返る。お部屋を案内してくれた仲居さんもニコニコと微笑んでいて、恥ずかしくて穴を掘って埋まりたかった。今ならとっても深い穴を掘れる気がする。

 そういえば、前にもこんなことがあったな。それは確か、関くんと初めてラブホテルに……


「……!」


 とんでもないことを思い出してしまった、と更に真っ赤になる。これこそ墓穴を掘った……上手いこと言ってる場合か。


「夕食はこのお部屋に運びますので、それまでゆっくりなさってください」


 ニコニコとしたまま、仲居さんが部屋から出て行く。軽く頭を下げて広い窓から景色を眺める。本当にいいお宿だ。こんなところに関くんと泊まれるなんて……


「七瀬さん」


 ふわりと、後ろから抱き締められる。関くんはよく不意打ちでこんなことをしてくるから慣れたと言えば慣れたけれど、それでもやっぱり恥ずかしいしドキドキは止まらない。その上、わざと甘い声で耳元で囁く関くんは、やっぱり意地悪で。


「はしゃいだり大人しくなったり、忙しいね」

「う……、ご、ごめん」

「ううん、そこが七瀬さんの可愛いところだから」


 ちゅ、と首筋にキスが落とされる。ん、と思わず甘い声を上げれば、関くんの手が分かりやすいほど熱く淫らな欲望を滲ませた動きでお腹を撫でた。ど、どうしよう。今日はいっぱい汗かいたし、できればお風呂に入りたい……


「せ、関くん、先にお風呂入らない?」


 そう言ってしまってから、関くんの瞳がすぐ目の前で妖しく光ったのを見て私は自分がとんでもないことを言ったことに気付いた。お風呂、ここにあるのはあの露天風呂だけで。部屋から丸見えのそこに入るということは……


「一緒に入りたいの?」

「う、え、いや、あの、」

「それか、七瀬さんが入ってるところここから眺めてればいい?」

「……!」


 どっちも恥ずかしくて頭が沸騰しそうだ。私が入っている間どこかに行っててなんて言えないし……、うーんと頭を悩ませていると、関くんがふっと笑った。その顔は、夜に見せる色っぽい顔。


「まぁ、後からじっくり見るんだし今見てもいいよね?」


 その言葉を聞いて頭がパンクして固まった私を見て、関くんはまた笑った。

 チャポーン、と温泉ならではの音が響く。聞こえるのは、それとお湯が流れ落ちている音、山から聞こえる鳥の声。真っ赤になって小さくなっている私とは対照的に、関くんは普通に座っていた。み、見えるからちょっと隠してほしい……


「今まで何回も見てるでしょ」

「み、見てません!いつも直視できてませんから!」


 これは本当だ。じっくり見たことなんてない。恥ずかしいから。まっすぐ見る勇気なんてない。逆に、関くんは私の体をじっくり見ているのだろうか。見ながらどんなことを思っているのだろう。もし「胸小さいな」なんて思われてたらどうしよう……!


「七瀬さんさ」

「……っ!」


 一人でモジモジ考えていたから、関くんがすぐ近くに迫っていることに気付いていなかった。耳元でわざと熱い息を吹きかけるように、関くんは囁く。


「俺に背中向けたらどうなるか、くらい分からない?」

「っ、あ、あの」

「……英佑のこと、ありがとう」

「え……」


 熱くなった剥き出しの肩に、関くんの顎が乗る。はぁ、とため息を吐く関くんは、私のもう一方の肩を抱いた。


「もう、ほんとに困った弟だよな。昔からあの笑顔に騙されてアイツの思う通りにさせられるんだ」

「うん……」


 何となく、分かる気がする。あの笑顔でお願いされたら私も断れる気がしない。


「でも……百合ちゃんのことは昔から大事にしてたからさ、幸せになってほしいと思ってる」

「……うん……」

「俺なら多分、叱りつけて終わり、周りの大人と同じことしかできなかった」

「……」

「七瀬さんみたいに、本気でアイツのこと心配して寄り添うってこと、出来なかった」

「関くん……」

「ありがとう。俺やっぱり、七瀬さんのこと好きになってよかったと思ったよ」


 そうやって、関くんは言ってくれたけれど。私はいつだって自分に自信がないから。自分の言ったことが正解かなんて分からない。英佑くんがどう思ったかも、分からない。この先の二人のために、大人として大切なことを言えたのかは分からない。


「私、本当は二人の駆け落ち応援しようかななんて思っちゃった」

「うん」

「だってね、大人って本当に分からず屋なんだよ。うちの親もそうだもん」

「そっか」

「そんな大人になるくらいなら、少し悪い大人になってやろうかなって」


 正論ばかり言うのではなく、自分たちがしたいようにしたら?と言いたかった。もし二人が駆け落ちしてもきっと、いいお兄ちゃんな関くんは二人を心配して世話を焼くのだろう。私も一緒に応援できたら、なんて。


「無責任なこと言うなって怒る?」

「……ううん、七瀬さんが言うことなら全部受け入れたいって思うよ」


 振り向けば至近距離で目が合って。柔らかく唇が重なった。何度も何度も、触れるだけのキスを繰り返す。ここがお風呂で、しかも明るいことなんて忘れて。私の体を反転させる関くんに黙って従った。目の前に関くんがいる。好きで、好きで、本当に大好きで。愛しい気持ちが溢れ出す。私は無意識の内に関くんの首に手を回していた。はぁ、と熱い息を吐いて関くんが唇を離す。間近で見る笑顔は柔らかくて。もっとキスしたいな、そう思った時。


「七瀬さん、刺激的な格好してるね」

「え……、……っ!」


 ようやく自分が今とんでもない体勢をしていることに気付く。関くんの首に手を回しているせいで上半身はお湯から出ていて……


「う、や、」


 関くんの手が胸をすっと撫でた。ピクンと跳ねる体。ピンクに染まっていく肌。


「この状況で我慢しろなんて、酷いこと言わないよね?」


 柔らかく笑う関くんに、私は思った。笑顔一つで言うことを聞かせてしまうのは、英佑くんだけじゃない。この兄弟の特技なのかもしれない、と。

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