思い出と未来
お昼ご飯を食べた後、弟さんが街を案内してくれることになった。関くんと三人で歩きながら、観光地を回る。お腹はいっぱいなはずなのに、美味しそうな物が売っていると食べたくなってお腹に入るのが不思議だった。
「私ね、実は小学生の時にここに来たことあるんだ」
「へー、そうなんだ」
父も母もとにかく厳しい人だった。女の子はお金持ちと結婚して子どもを産むのが幸せなんだって本気で思ってるような人たちで、私は子どもの頃から友達と遊ぶことも許されず、ひたすら習い事や花嫁修業。上手く出来なければ叩かれた。
息苦しい生活の中、一年に一度だけ。父方の祖父母が私を旅行に連れて行ってくれた。私を、鳥籠から救い出してくれた。
「楽しかったのだけは覚えてるんだけど、もう随分前のことだからちゃんと覚えてない」
「……」
「でも一人だけハッキリ覚えてるの。うさぎちゃんって言ってね。あ、確かこの公園で会ったんだ」
ちょうど来た公園。そこは観光地から外れた住宅街の中にある、小さな公園だ。砂場とブランコと滑り台、そしてベンチが一つだけ。
その砂場に、ピンクのフリフリの服を着た可愛い女の子がいたのだ。
「本当に可愛い女の子でね、初めて出来た友達だった」
私の思い出話を、英佑くんは微笑みながら聞いてくれた。関くんも聞いていたけどどこか上の空。兄弟でこんなに違うものかなぁ。まぁ、関くんはちゃんと話を聞いていないように見えて全部覚えてくれているんだけど。
名前をちゃんと聞いたわけじゃない。迎えに来たお母さんが呼んでいたのを聞いただけ。ちなみにお母さんの顔は覚えていないのに、うさぎちゃんの顔だけは覚えている。
『わたし、ななせっていうの。お名前は?』
そう聞いても、うさぎちゃんは何も答えてくれなかったから。私はうさぎちゃんに笑ってほしくて色々なことをした。ようやく笑ってくれた時には、帰る日が次の日に迫っていて。帰りたくないって泣く私の頭を撫でてくれた手が温かくて優しかった。
「次の年はまた会えたんだけど、その次の年は会えなくて。次の年におじいちゃんが亡くなったからそれから来れなくなっちゃった」
「そっか」
「うん、一生忘れないだろうな……」
初めての友達。初めての大切な人。今どんな女の子になってるんだろう。きっと美少女だろうな。
それから私たちは久しぶりにブランコに乗ったり、ベンチに座ってお喋りしたり、とても楽しい時間を過ごした。観光地を回るのもいいけど、こうやって子どもみたいにはしゃぐのもたまにはいいな。
「そういえば英佑、百合ちゃん元気?」
関くんの言葉に、いつもニコニコしている英佑くんの顔が一瞬強張った。どうしたんだろう、そう思っていると英佑くんはすぐに笑顔に戻って言った。
「別れたから知らない」
と。百合ちゃんというのは、英佑くんの彼女、なのかな?
「はぁ?別れたって何で」
「……」
「子どもの頃から結婚するって言ってただろ」
「……」
英佑くんはくしゃっと顔を歪ませた。笑っているのに、泣きそうな顔。
「……妊娠した」
「えっ」
「百合が、妊娠した」
関くんと私は同時に息を呑んだ。今すぐにでも泣きそうな英佑くんに、何も言えなくて。
「正確にはしたかも、だけど。百合の家すっげー金持ちで親も厳しいでしょ?別れろって言われた。うち、母親しかいないし」
親が厳しい。何だか他人事に思えなくて。何故か私が泣きそうになった。
「……避妊してなかったのかよ」
「してたよ!してたに決まってるじゃん!毎回ちゃんと、確実にしてた!俺が百合を傷付けるようなことするわけないじゃん!兄ちゃんだって知ってるでしょ?!」
今日出会ったばかりだけれど、英佑くんはすごく穏やかで。でもその分感情の起伏がなくて何を考えているか分かりにくいイメージだった。でも、その英佑くんがこんなに取り乱している。きっと英佑くんにとって、百合ちゃんはとても大切なんだろう。
「……毎日行ってる。毎日、会いに行ってる。でも会わせてもらえない。百合に会いたい……」
「英佑……」
さっき私たちが家に着いた時、自転車で帰ってきたのは百合ちゃんのところに行っていたのだろう。関くんも少し苦しそうで。何とかしてあげたい、そう思う。でも、きっと何も出来ない。
「……駆け落ちしようと思ってる」
「……!」
「百合を攫って、逃げようと思う」
英佑くんなりに、とても悩んで決意したことなのだろう。彼らはまだ高校生で、出来ることなど限られている。それでも一緒にいたいと、強い気持ちで。応援したい。……気持ちではそう思うけど、きっと現実的に考えたら。そんなことしても意味がない。
「駄目、だよ」
ポツリと呟いた言葉に、英佑くんは大袈裟なくらい反応して。笑顔を消して冷めた目を私に向けた。
「……やっぱり大人はみんなそう言うんだね」
「英佑」
「つまんね。兄ちゃんの彼女ならもっといいこと言うかと思った。結局それかよ」
「英佑、やめろ」
吐き捨てるように言う英佑くんを、関くんが叱る。そんな関くんを英佑くんはキッと睨んだ。
「……兄ちゃんもつまんない大人になったんだ」
「……」
「俺はやめないよ。絶対に百合を攫う」
「……警察に捕まったら?誘拐だって百合さんのご両親が通報して、英佑くんが警察に捕まったらどうなるの?百合さんはもっと家から出してもらえなくなっちゃう」
英佑くんが苦虫を噛み潰したような顔をする。……きっと、英佑くんも分かっている。自分の言っている言葉が現実的ではないことを。でも、それでも縋りたいのだ。少しの可能性に。
「……私は、つまんない大人だから。現実的なことを言うよ。英佑くんの気持ちはとてもよく分かる。うちも親が厳しいから……」
「……」
「もし関くんのことを知られたら、きっと殴られるどころじゃすまないと思う。別れさせられると思う。私はその時、きっと関くんに攫ってほしいと思う」
関くんに会えなくなったら。関くんと別れることになったら。私はきっと諦めきれずにどうにか親から逃げようとすると思う。関くんに迎えに来てほしいと、攫ってほしいと思うと思う。今の私たちなら、それが出来るかもしれない。何故ならそれは、私たちが「大人」だから。自分の行動に自分で責任が取れる。でも、英佑くんたちは違う。
「……色々な人に、守られて生きてること、分かってるよね?それがなくなった時のこと、想像できる?きっと、想像以上に苦しいよ。私ならそんな道、関くんに味わわせたくない」
病気になりながらも二人を育ててきたお母さん。お母さんと英佑くんのために寝る間も惜しんでバイトをしていた関くん。そんな二人も捨てる覚悟をしなくちゃならない。それはきっと、何よりも辛い。
「妊娠して、一番不安なのは百合さんでしょ?なら、彼女をもっと不安にさせるようなことしちゃいけない。百合さんが大事なら、将来のこともちゃんと見なきゃ。子どもを育てていけるのか、ちゃんと考えなきゃ。今のことだけ考えてるなら、英佑くんが子どもだってことだよ」
……なんて、説教じみたこと言っちゃったけど。きっと今百合さんが一番そばにいてほしいのは英佑くんだ。私が言ったことは、きっと正解じゃない。でも、誘拐することも正解じゃない。きっと、答えなんて何十年後にしか分からない。
「……英佑なら、待てるだろ。頑張れるだろ。ちゃんと百合ちゃんを守れる日まで。どうやったら百合ちゃんを守れるか、考えられるだろ」
関くんが、俯いてそう言った。きっと関くんも心配している。英佑くんは関くんが自分を犠牲にしてでも守りたかった家族なのだから。
「……俺、百合の家行ってくる」
英佑くんが立ち上がる。その顔はさっきまでの狼狽えた顔とは違う、精悍な顔付で。関くんに似てるなと思って、少し見惚れてしまった。
「……何回でも、頼むよ。認めてもらえるまで。もう攫うだなんて考えない」
「英佑くん……」
「七瀬ちゃん、ごめんね。ありがとう」
ふっと笑った英佑くんは、走って行ってしまった。
「これでよかったのかな……」
関くんと二人になった公園でポツリと呟くと、関くんが隣で微笑んだ。
「……さぁ。分からない。どうだろう」
「つまんない大人の意見を押し付けちゃった気がする」
「いや、でも現実的に考えたら高校中退して親子三人でって苦しいし。英佑もそれ分かってたからすぐ納得したんでしょ」
百合さんを攫って、駆け落ち。ロマンチックだし、二人は幸せだろうし、応援はしたい。でも、孤独も伴う。助けてくれる人もいないなんて、若い二人には酷すぎる。
「……七瀬さん、ありがとう。英佑のことで悩んでくれて」
「ううん……。偉そうなこと言っちゃって後悔……」
「英佑も分かってるよ。七瀬さんが本当に英佑たちのこと考えてくれてたの」
「だといいけど……」
結局その日は英佑くんは帰ってこなくて。私たちはお母さんに惜しまれながら宿へ向かった。
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