涙の行方

 職場恋愛のいいところは、毎日顔が見られるところ。悪いところは、泣きすぎてパンパンになった5割増しで不細工な顔を見られてしまうところ。


「センパーイ、何か今日いつにも増してブスですねー」


 亜美ちゃんの辞書の中にはもちろん遠慮や配慮という言葉はないので、関くんが目の前にいるのに大声でそんなことを言う。関くんと何かあったことくらい分かるだろうに。まさかわざとか……?!ああ、こうやって。心配してくれる亜美ちゃんの善意を疑うようなことはしたくないのに。関くんはいつも通りで、もちろん目が腫れていたりもしない。昨日のことは関くんにとってどうでもいいことだったのかなって泣けてくる。


「おはようございまーす」


 横谷さんは出勤してくると、毎日まず関くんに話しかける。いつも通りの光景が、こんなに痛いなんて。


「航佑、昨日楽しかったね」

「何が?」

「何がって、ずっと一緒にいたじゃん」


 動揺して、デスクの上のファイルを床に落としてしまった。バタン、と大きな音が響く。


「誤解受けるような言い方しないで」

「一緒にいたのは事実でしょ?」

「勝手に来ただけでしょ」


 冷たいなぁ、と楽しそうに笑う横谷さんの声が耳にこびりついて離れない。私が泣いてる間、横谷さんと一緒にいたんだ。そうなんだ。私は思わず、ファイルを持って課を出ていた。

 静かな静かな資料室で、ひたすら資料の整理をしていると気が紛れる。他のことを少しでも考えたら簡単に涙が出そうで。ああ、早く戻らないとな。分かってるのに。プライベートが仕事に影響するなんて、最悪……。集中していたから、誰かが資料室に入ってきたことに気付かなかった。


「手伝います」


 突然聞こえた声に、体がビクッと揺れる。ああ、なんで。今は放っておいてほしい。今は、優しくしないでほしい。でも、今は仕事中だから。


「ありがとう」


 笑みを顔に貼り付けた。

 関くんと一緒にいて沈黙が痛いと思ったのは初めてだった。どうして来たんだろう。一人になりたいからここに来たのに。紙をめくる音だけが響く。関くんの気配に、集中力は途切れて。


「これで終わりだから先に戻ってて」


 早く一人になりたくてそう言ったのに、関くんは動かなかった。それどころか、近付いてくる。関くんの香りに、鼻の奥がツンとなって。ダメだ、泣きそう。


「……さっきの、誤解しないで」

「何の話?」


 私の誤解を解くために追いかけてきてくれたんだ。そう思うと嬉しいのに、一緒にいたのは事実なんだって関くんの口から聞くのは辛かった。


「同期の家に行ったら遊びに来て……」

「関くん、仕事中だから」

「でも今誤解解かないと、七瀬さんいなくなりそうだから」


 いなくなる?どういう意味?家も職場も知ってるのに?


「七瀬さんは隙があるから、」

「だからキスされるんだよって?」

「そうだよ」


 そうだね、確かに隙があったのかもしれない。でも、話も聞かずに出て行ったのはそっちじゃない。泣いてる私を一人にして、女の子と一緒にいたのは関くんでしょう?


「関くんも隙があるね。家出て横谷さんと一緒にいたんだから」

「だからそれは……」

「私だって、キスしたくてしたんじゃない!!」


 こんなに感情的になったのは人生で初めてかもしれない。でも、自分をコントロールできない。


「……私、職場恋愛って無理なのかも」

「……」

「だって、プライベートを仕事に持ち込みたくないのに、動揺しちゃうから」

「……何それ。別れたいってこと?」

「……」

「七瀬さんそれ、俺を好きになったの後悔してるように聞こえる」

「……」

「……もういい」


 泣いちゃダメ。泣いちゃダメ。酷いこと言ったのは私だ。引き止めて、早くごめんなさいって言わないと。関くんが資料室を出て行く音が聞こえる。無音になった部屋に、私の鼻を啜る音だけが響いた。

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