嘘と真相
「あの、大丈夫?」
「うん、平気」
その日の夜、帰ってきたのは私が先だった。関くんは部長の命令で一応病院に行ったらしい。検査をしてどこも異常がなくて、本当によかった。
「本当にありがとう。あの、お風呂入れといたよ」
「ありがとう」
ふっと笑った関くんに、何だか新婚みたいだなぁ、なんて思ったり……。 関くんがお風呂に入っている間、少しでも作ったご飯が美味しくなるように準備をしていたのだった。 お風呂上がりの関くんは色っぽくて辛い。いい匂いがするし、濡れた髪をかき上げる仕草も、目が逸らせない。いちいちドキドキしてしまう自分の心臓が憎い。関くんと向かい合ってテーブルに着く。私が作ったご飯を関くんは美味しい美味しいと言いながら食べてくれて、私はまた幸せな気持ちになったのだった。
異変を感じたのは二人並んで食器を片付けている時だった。私が洗って、関くんがそれを拭いて片付けてくれていたのだけれど。ゴロゴロと外から聞こえてきて、私はピクッと体を強張らせた。
「雷かな」
関くんがそう言った瞬間、電気が消えた。
「ぎゃあああ!」
色気の欠片もない声。私が叫んだ時、隣の関くんがピクッと動いた気がした。び、ビックリさせてごめんね!でも怖いの!!!電気が消えたことで外で光る稲妻がよく分かる。そして、どこかに雷が落ちる音も。
「ぎゃあああ!無理無理無理無理!」
「七瀬さん、落ち着いて」
「ご、ごめん!可愛い怖がり方できなくてごめん!でも雷ほんと無理なんだ!」
とりあえず食器を置いて、布団に包まろうと耳栓代わりに耳に指を突っ込んで走り出す。でも電気が消えているせいで何も見えなくて、何かに躓いてその場にビタン!と転んでしまった。
「痛ああああ」
「七瀬さん、七瀬さん!俺がいるから、落ち着いて」
ベソをかく私を、包み込むように関くんが抱き締める。雷のことなんて、頭から消えてしまった。関くんの腕が私の耳を覆うようにしてくれているお陰で、雷の音がすごく遠くに聞こえる。ドク、ドク、と聞こえる音は関くんの心臓の音。爽やかな匂い。シャンプーの甘い匂い。関くんの、体の匂い。もしも、もしも再会しなかったら。あのまま会わなかったら。私はこれも全部忘れていたのかと思うと、今更ながらすごく怖い。
関くんの感覚を、忘れちゃうのが怖い。臆病で、ズルくて。そんな私を、無理やり奪ってくれたらいいのに、なんて。やっぱり私は卑怯者だ。
「せき、くん」
ほぼ無意識に呼んだ声は上擦っていた。関くんの腕をぎゅっと握って、離さないでほしいと願って。私は関くんの背中に腕を回した。
「……七瀬さん」
「っ、」
「ごめん、もう限界」
頭を撫でていた手が首筋に降りる。至近距離で目が合ったと思った次の瞬間には、唇が重なっていた。熱い唇が私の思考を溶かしていく。もちろん男の人とキスしたのは二年前が最初で最後だ。息継ぎの仕方も知らない私は、酸欠になるほど夢中で関くんのキスに応えた。
「俺の感覚、思い出した?」
「っ、え、」
唇を離して、関くんがフッと笑う。そして戸惑う私に何度も何度も啄むようなキスを繰り返す。
「ちょ、ちょっと待っ、え、」
「気付かなかった?再会してから七瀬さん、自己紹介してない」
「っ、え、ええええ!」
「逃げられたの腹立ったから意地悪してた。ごめんね」
覚えてた、ってこと……?だよね……?
「でも住んでるところも職場ももう知った」
「え、」
「もう絶対に逃がさないから」
ふっと笑った関くんはあの日と同じ微笑み。固まる私の顔中に何度もキスをして、甘い空気の中夜は更けていったのだった。
次の日のお昼休み、関くんからメールがきた。昨日あんなに何度もキスをされたから恥ずかしくて関くんの顔も見られないのに、関くんは朝っぱらからキスをしてきた。
「おはよ、七瀬さん」
真っ赤になる私の頬を撫でる関くんの雰囲気も顔も体温も、全部全部甘い。いつものように私が作ったお弁当を持った関くんは、お昼休みにそのお弁当を食べながらメールを送ってきた。
『今夜空けておいて』
たった一言のメールなのに、色々想像してしまう。まさか、まさか二年前のあれをもう一度……?だとか。それなら朝に言っておいてほしかった。朝ならお気に入りの下着に変えられたのに。……やる気満々か。
そして、退社後関くんと会社の近くの公園で待ち合わせた。カフェなどにしなかったのは会社の人に見られないようにするためだ。
「お待たせ!ごめん、待った?」
「う、ううん!私も今来たところだから」
……カップルか。心の中でツッコミながらも嬉しくて少しこそばゆい。関くんは当然のように手を差し出したので、私はおずおずとその手に手を重ねた。温かい。そして、関くんは歩き出す。二年前と同じように、関くんと手を繋いで、斜め前には関くん。どこへ行くんだろう。どこに連れて行かれてもいいや、関くんなら。 もしかしてホテルかという私の予想は大いに外れた。関くんはネオンと言えばネオンだけれど、地下にあるバーに入った。そして
「あ、七瀬!来た来た!」
そう言って手を振るみやちゃんに、私は固まった。
「遅くなってごめん」
「俺らも今来たとこ」
そして、確か……澤田くん?二年前、関くんに出会った時に一緒にいた男の子もいた。なななななんで?!
「七瀬ー、私の新しい彼氏ー。澤井俊くん」
……澤井だった。二年前から勘違いしてた。いや、今はそんなことを言っている場合ではない。彼氏?みやちゃんの新しい彼氏が澤井くん?
「ごめん全く話が読めない……」
頭を抱える私の肩を関くんが抱く。そしてとりあえず座るよう促された。席に着いた私は、とりあえずビールを頼んだ。今は酔いたい。
「私もね、ビックリしたんだ。二ヶ月前ぐらいに偶然澤井くんと再会して。そしたら澤井くんは私を、関くんは七瀬を忘れられなかったって聞いて」
「え……」
わ、忘れられなかった?目眩がしそうなほどの衝撃だ。
「それでさ、私が関くんに言ったの。じゃあ私があの部屋出るから関くん住む?って。そうでもしないと七瀬またちゃんと向き合う前に逃げるでしょ」
「うっ……」
その通りかもしれない。関くんと街かどこかで会ったとしても、私はきっと見なかったフリをして逃げ出すだろう。逃げ場を失くされなければ、私はいつまでも関くんから逃げ続けていた。
「え、で、でも職場は?」
「ああ、職場は全くの偶然。俺もビックリした」
まぁ、職場を一緒にしようと思ってもそんな簡単には行かないもんね。それにしてもすごい偶然だ……。
「ほんとは全部覚えてた。むしろ忘れられなかった。七瀬さんに会って、分かった。七瀬さんも俺のこと、忘れないでいてくれたんだね」
私はそんなに分かりやすかったのかと恥ずかしくなる。確かに忘れられなかった。忘れたことなどなかった。
『俺の感覚、忘れないで』
あの日の言葉が、蘇る。関くんの感覚、全部全部覚えてるよ。
「あの日逃げられたのが悔しくて、忘れたフリしてたけど。でも七瀬さんすぐに赤くなるし、無防備だし、我慢の限界だった」
「うっ、あ、あの、」
「もう我慢しなくていい?」
もう、何でこの人いちいち甘いの?!真っ赤になる私と、ふわりと笑う関くん。でもその笑みでさえセクシーで。私はどんどん関くんのペースに呑まれていく。
「とりあえずさー、甘い雰囲気になるのは後にして!再会にかんぱーい」
みやちゃんの言葉にみんな吹き出す。そして、グラスを合わせた。
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