ハプニング
関くんと連絡先を交換した。本当は二年前に知るはずだったそれは、何故だか私の携帯の中で一際輝いて見えて。電話番号を暗記してしまうほど何度も眺めていた。
「センパーイ、昨日実は関くんに連絡先聞いたんですぅー」
朝職場に着いてすぐ、亜美ちゃんがそんなことを報告してきた。あまりにタイミングのいい話題に大袈裟に反応してしまう。
「へっ、へー!どうだった?」
けれど亜美ちゃんは特に気にする様子もなく、それどころではないようでシュンとしてしまった。
「また今度って断られちゃいましたぁ」
「えっ」
「脈なしかなぁ。まぁ、キープいるからいいんですけどぉ」
亜美ちゃんに、教えなかったんだ……へぇ……。仕事中もそんなことばかり考えてしまった。まぁ、私は同居しているし知らなかったら不便だし教えてくれただけだろうけど。
今朝の会話を思い出す。
『連絡先、聞いていいですか』
お弁当を詰めていると、すぐ後ろから掛かった声。振り向くと、思った以上に関くんが近くにいて驚いた。
『えっ、あの、』
『知らないと不便だと思うんで』
『あっ、うん!そうだね!ちょっと待って!携帯取ってくる!』
ちなみにみやちゃんと親以外、連絡など全くない携帯電話である。基本的に鞄の中に入れっぱなしだ。でもこれからは常に持っているだろうなと思うとそんな自分に苦笑した。
「あの、辻さん。ここなんですけど……」
「えっはい!」
横谷さんに話しかけられてハッとする。頭の中を仕事モードにするのにとても苦労した。
今日もお昼ご飯は関くんと横谷さん、亜美ちゃんの三人で食べに行った。私は自分のデスクで一人で食べる。今までもそうだったから別に平気。でも戻ってきた亜美ちゃんの話題に青ざめた。
「関くん、お弁当なんだけどどう思いますぅ?」
「えっ」
慌てて自分のお弁当箱を片付けた。
「関くんに誰に作ってもらってるのぉ?って聞いたらぁ、秘密、ですってぇ。彼女ですかねぇ?」
「さ、さぁ……」
彼女ではない。ただの同居人だ。
「でもぉ、あの横谷って女、ぜぇったい関くんのこと好きですよ」
「へ……」
「だって明日から私が作ってあげよっか?とか言ってぇ。ムカついたから私も立候補しちゃいました」
「そうなんだ……」
「まぁ、二人とも断られましたけどね。このお弁当美味しいからいいよって」
「え……」
そう、なんだ。嬉しいな。ニヤニヤしているのが亜美ちゃんにバレないように必死で誤魔化した。
「あ、私ちょっと資料室に行ってきますね。荷物が多いので誰か一緒に来てください」
「僕行きます」
昼食後、資料室に行く用事があったのでそう言えば、関くんが立候補してくれた。まぁ、亜美ちゃんが来るわけないし関くんか横谷さんのどちらかだとは思っていたけれど。亜美ちゃんと横谷さんを二人で残して大丈夫かなぁと少し心配だったけれど、重いから男の人の方がいいだろう。そう思い関くんに一緒に来てもらった。
「すみません、とても重いですが」
「平気です」
二人でエレベーターに乗り、資料室を目指す。その途中、営業部の階でエレベーターは止まった。
「あ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
乗ってきたのは営業部のエースで、とても人気のある須藤さんだった。
「何だか久しぶりだね」
「えっ、あっ、はい。とてもお忙しいそうで」
「うーん。お陰様で」
須藤さんには前に何度か食事に誘われたことがある。その時には「何であんな地味女を」と散々陰口を叩かれた。まぁ確かに、どうして私を誘ってきたのかはわからない。須藤さんはとても素敵な方だけれど、何となく裏がありそうで苦手だ。
「でももうすぐ落ち着きそうなんだ」
「そう、なんですか」
「落ち着いたら今度こそご飯行こう」
思わず斜め前に立つ関くんをチラッと見てしまう。関くんは全く気にしていないようで涼しい顔をしていた。……気にするわけないか。
「機会があれば是非」
当たり障りのないようにそう答えて、資料室の階で降りる。解放されて安心した。
「えっと、このメモに書いてある資料を探してください」
「はい」
関くんと手分けして、資料を集める。高いところにあるものを取ろうとしたけれど、もちろん届かない。関くんを呼ぼうかと思ったけれど、彼は彼で他のものを探してくれているのだから頼るのも悪い。必死で手を伸ばした。ようやく届いたけれど固くて取れない。無理やり引っ張ると、グラッと傾いた。あ、と思った瞬間。重い資料がバラバラと落ちてくるのが見えた。
「七瀬さん!」
その瞬間、腕をグイッと引かれる。バタバタバタッとすごい音が資料室に響いた。ギュッ目を瞑って、でも私には何も当たらない。それどころか温かい腕の中。関くんらしい爽やかな香りに包まれている。
「っ、」
耳元で関くんの吐息が聞こえた。音が止んでもしばらく関くんは動かなかった。放心状態だった私はようやく関くんに守られたことを思い出して。慌てて腕を解いて関くんを見上げた。
「っ、よかった、生きてる……」
「七瀬さん」
「痛いよね?ごめんね、ありがとう」
「七瀬さん」
「とりあえず医務室に……」
「七瀬さん」
そこでようやく気付く。関くんの目が、あの日と同じ。色気を纏った目であることに。 その目で見つめられるとどうしてだろう。動けなくなる。いや、動きたくないと言った方が正しいかもしれない。抱き締められたまま、至近距離で見つめ合って。このまま時間が止まればいいのにって思ってる。
「七瀬さん、俺、」
何か言おうとして、彼は止めた。そして、顔を近づけてくる。あ、キスされる。そう思った時、私は反射的に目を閉じていた。でも。
「大丈夫ですか?」
そんな声と共に資料室のドアが開いた。私は慌てて立ち上がり、関くんも立ち上がる。音を聞いた警備員さんが駆け付けたのだ。
「すみません、大丈夫です」
そう言って、資料を片付ける。関くんは念の為医務室に行った。でも考えるのはさっきのことばかり。関くん、キスしようとしたよね……?そして私も……。そこまで考えて、かあっと顔が熱くなって何も考えられなくなった。
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