第27話自分勝手

日はとっくに落ちていた。

タクシーを使うことなく美佐はキャリーバッグを引きずりながら徒歩で帰宅していた。


この修学旅行で彼女は一体何を得て何を失ったのだろう。

否、何もしていない彼女はただ気がついただけ。


―――【自分勝手】な最低な女だ、と。



心の中では芽を出すことのない植木鉢を渇ききった眼をしながら見下ろしていた。

水をやる手段がない彼女の花は決して咲くことはない。



「く…栗山さん」

「…?」

重い顔を上げるとそこには一人の男性が立っていた。


「中村…先輩?」

普段彼女がこの道を通ることを知っていたのだろう。

疲れ果てている美佐は早く帰ってさっさと横になってしまいたいという気持ちでいっぱいだった。


その考えが過ぎった時、また自分は最低だと認識する。

一度フッた憧れの先輩がいるのに何の感情も沸かない。


「は、話があって」

「はい、何ですか?」

適当に流してしまおう、彼女はそう思っていた。



「諦められなくて…もう一度交際を申し込みたい!」

「…」



最低な女だと理解しているなら、

自分勝手な女だとわかっているなら、



―――もう何だっていいじゃないか。






「…しんど」

こんなことなら明日にしておけばよかったと今更後悔する葵。

修学旅行を終え一度寮に戻った後、電車に揺られて旅立った彼女。


ある人が泊まっているホテルのロビー。

彼女はその人物が何号室にいるのか知らなかった。

日付が変わろうとしている時間帯、先ほどから連絡をしているのに全く繋がらない。


一泊するほどのお金はない。

ロビーに設置されているソファに座り込んで天井を見上げた。


どうしたらうまくいくのか、それを知るために彼女はここにきた。

もう何もかもわからない。

涙で薄っすらと視界がボヤけていく。

親友同士が傷つくのを見ていることしかできないのが辛くてしょうがなかった。



「…葵?」

「……お兄、ちゃん」

コンビニの袋を持った彼女の兄がそこに立っていた。


「おいおい、お前何でこんなと」

「お兄ちゃ…」

「…あお、い?」

「あ…あぁああぁぁぁ…っ」

我慢のリミッターが外れた葵は信頼しているその人物の胸の中で泣き叫んだ。



葵の兄は喫茶リトライの店長。

店を守るため経済の勉強をしにこの地にやってきていた。


「落ち着いたか?」

「…ごめん」

彼は葵が泣き止むまでずっと隣に座って頭を撫でていた。




「勉強の方はどう?」

「今までしてこなかった分苦労してる」

「彼女は?」

「週一で来てる…」

一週間に一回こんなところまで会いに来ている彼の恋人の行動力はすごいとしか言いようがない。


「んでこんなとこまで来てどうしたよ」

「…うん、恋についてなんだけど」

「うほっ」

彼は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになっていた。

恋の相談を妹にされるとは思ってもいなかったのだろう。


「お…お前…、好きな男が…」

「私じゃないよ!」

彼がシスコンであることは葵も気づいている。


「それに私が好きなのはお兄ちゃんだよっ」

「冗談言うな!あとボイスレコーダーのアプリってどれ!?」

「…相変わらずだねぇ」

久しぶりに会う彼は何一つ変わっていなかった。


―――本当に、兄と彼は似ている。



彼女は親友の恋がうまくいっていないと簡潔に伝えた。

お互いが傷ついて辛そうにしているのを見ていられないからこそ葵は兄を頼りにここへ来た。


「お前…それを俺に相談するってどうなんよ」

「だってお兄ちゃんトラブルバスターって聞いたよ?」

彼の友人から葵の兄はこれまでいろいろな事件を解決してきたと聞いている。


「他人の恋路なんて知らんがな…」

「どうしたらいいか、答えが見つからないの…」

「…」

しっかり者のようで弱虫なところは昔から変わっていないなと彼は薄っすらと微笑んだ。



「正直くだらない、が俺の意見だ」

少し前まで恋人も友人もいなかった葵の兄。

曲がりに曲がったこの性格はもう直ることはないだろう。



「どうすればうまくいくかなんてわかるわけないだろ」

「…そう、だよね」

「それに誰も傷つかない方法とか、笑えるわ」

鼻で笑う彼、ぐうの音も出ない葵は俯くことしかできなかった。


「お前が傷ついてどうするよ」

「…え?」

「答えが見つからないなら」

「うん…」

「好きなように答えを作ってしまえ」

「…っ」

閉ざされていた葵の心の扉が開き始める。


「大切に思っている友人の為なら悪いようにはならんだろ」


二兎う追う者は一兎をも得ず。

与太郎も美佐も傷つかず恋路もうまくいくようにするにはどうすればいいかと悩んでいた。

余計なことをしてはいけない、深くまで踏み込んではいけない、そう言い聞かせてきた。



「いらんことは考えず、好きなようにやってみろ」

どうして兄のようにうまくいかないのだろうと考えていたが、やっと答えが見つかった。

人の事を考えすぎて、自分がどうしたいかを後回しにしすぎていた。



―――こうなったら【自分勝手】に動いてやる。



決意が固まった葵はスマホを取り出して親友にかける。


「もしもしミー?」

『あ、葵、私も今かけようとしてたの』

「…」

そこで美佐から聞かされる新事実。



『私、中村先輩と付き合うことにしたから』


葵の頭の中で何かがキレた。



「月曜学校休んで私に付き合え!」

『え…?あ、葵?』

「私を親友だと思ってるんなら従いなさい!」

『は…はいっ』

葵と喧嘩をしたことがない美佐は声を震わせながら指示に従った。

用件を伝えすぐに通話を切った葵は勢いよく席を立つ。


「あぁ!もうめんどくさい!」

イライラしているその姿を見て彼は笑い出した。


「それでいいんだよ」

「こうなったら好きなように動いてやるんだから…!」

それが大喧嘩に繋がったとしてももう揺るがない。





「今日は遅いし、部屋余ってないか聞いてくるわ」

「え?お兄ちゃんの部屋に泊めてよ」

「…めんどくせぇ」

彼のその【口癖】をこれからは葵も使っていくことに決めた。

口にしても絶対に誰も見捨てないその優しい言葉を。



「全く…お前が好きになる男ってどんな奴だろうな」

「う~ん、そうだねぇ」

カバンを持って歩き出す彼の背中を小走りで付いていく葵。

クズでどうしようもない兄だけど彼女は心から信頼している。



「お兄ちゃんみたいな人、かな」

「うほっ、恥ずかしいからそういうことは部屋で言って!」

「…部屋ならいいんだ」



もう彼女に不安という感情はない。


美佐の心の中にある渇いた植木鉢に向かって無理矢理大雨を降らせてやると決めたのだった。

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